合理主義とは折り合わない文化をあわせてもっているかもしれないはるさめの長さ
はじめに
くらしのなかでめんどうだなとか、もっとこうしたらという場面にさまざま出くわす。何もそれは高尚なものばかりとはいえない。なかには変えてしまっても問題なさそうなものも。
きょうはそんな話。
はるさめをゆでる
CKDの食事制限にともなうカロリー不足を補う食品がいくつかある。なかでもはるさめはデンプンからつくられる食品で有用。ただしふつうは乾物として店にならぶ。たいてい水でもどしてからつかう。それ自体ひと手間いると感じる。
しかもそのサイズがひとりぐらしの手持ちのなべのサイズに合っていない。あきらかに長い。いろいろくふうのやりかたはあるだろう。ズボラなわたしは袋に入ったままキッチンばさみでふたつに切りわける。とりだしてからはさみでちょきちょきやるとあたりに飛び散ってしまうから。
飛んでいったはるさめをさがしつつ使おうとする意欲を削いでしまいがちに。めんどうだなと店ではすこし値段の高いコンパクトサイズのはるさめのほうに手が伸びる。
パスタも
おなじことがパスタでも起こる。たいてい長さは25センチ余り。もちろん上に記したはるさめと同様にふたつ折りしてなべに入れる。のこりはふだんづかいのタッパーなどの保存容器のサイズに合わない。そのために2Lサイズのペットボトルを活用したり、100均の店でさがしたり。
一度だけ店でほぼ半分サイズの長さのパスタを見た気がするが、そののち目にしない。値段が変わらないならばそちらのほうがひと手間少なく、まちがいなく購入するのだが。
調理法・保存法
もちろん、以前は沸騰した湯にもとのサイズのままでまわし入れる方法もやっていた。ところがやわらかくなり全体が湯に浸るまえに、なべのふちに飛び出た部分がコンロの火であぶられてこげてくる。そうめんなどでよくなりがち。
ひとりぐらしの賃貸ではそんなに大きななべを毎日の調理に使わない。ある程度まとめてつくるほうなのに、必要以上に大きな鍋は持たない。するとこうした麺類はサイズがいずれも長くてなんらかのくふうをしないとおさまらないし、保存もままならない。
文化とは
洋の東西にかかわらず、麺類とはどうもそんな長さが一般的。手持ちのなべよりもすこしだけ長い。なぜかヒトの腕の長さやあたまの大きさともほぼおなじ。つくりやすさや運搬などでおのずとそのサイズにおちついたというのがそもそもの理由かもしれない。とはいえおそらく数千年来そのサイズにととのえられ、つかわれてきたにちがいない。
じゅうぶん伝統文化を内包しているといえそう。「パスタを折る」のを良しとしない慣習的な行為の存在を聞いたことがある。それもまた言い習わしだろうし、連綿と受け継がれてきたのかもしれない。
アマノジャクなわたしはそれが害悪を生じさせないならばやってしまう。長すぎる麺は食べにくいし、食べくらべて半分サイズでも遜色なくじゅうぶんおいしく食べられる。「文化」は尊重するし、否定するつもりは毛頭ないが、個人的に変えてもなにもほかの方にめいわくをかけないのであればすぐに変えてしまうほう。おいしく食べられればそれでいい。
おわりに
けっきょく伝統的な文化とは何なんだろう。合理的なだけではない説明のつかないものがそこには数多くありそう。気持ちやこころの「余裕」から生じるものだろうか。連綿とうけつがれてきたものにはそれなりに何かある。
守っていきたい、保ちたい文化もある。食べ物だけでなく衣食住、身のまわりにや行動などにさまざまある。たとえば着る機会のすくなくなった着物(和服)などは一種のあこがれ。
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