若い方々のみならずだれもが、おじいちゃん・おばあちゃんたちから祖先たちの戦争の話を聞いておいたほうがいい
はじめに
先日、学生たちとのnote自主講座「まなびの森」のなかでのひととき。日本史をいっしょに学び中。
昭和の前半がテーマ。まさに昭和がはじまってすぐの頃からこの国は戦争の時代に突入する。おじいちゃん・おばあちゃんたちから話を聞いたことがあるかどうか尋ねると、「無いです。」と答える学生ばかり。そうか、もうそんな時代かと改めて気づかされ、さっそく私の家族の体験を話して聞かせた。
きょうはそんな話。
生々しい
戦争の真っ只中、父と叔父は丘の上の畑で農作業中だった。日々滞ることなく、小学生の父はいつもどおり黙々と作業を手伝っていた。この場所は丘の上とはいえ、海岸まで駆け下りるのに5分とかからない見晴らしの良い場所。そんな風景は今も変わらない。
それは一瞬のことだったという。飛行機の音だと思ったとたんの機銃掃射で、地面を走る銃弾のほこりが舞い上がったという。叔父が身を伏せたすぐそばでそれが起きた。ほんのわずかふたりの身を置く向きが違っていたらと思うと恐ろしかったという。日頃から訓練やたびたびの空襲の防空壕避難で身が反射的に動いたという。軍人も民間人の区別もない。現実とはそういうこと。
りんごの皮
母の生家は、塩やたばこなどの専売品も扱う雑貨屋。ぜいたくはもちろんできないが何とか暮らせていたという。そんな戦争のさなか。末っ子の小学生の母は、店先でりんごの皮をむいて食べた。むいた皮を軒先の端のごみ容器の上に。
しばらくすると、十字路の一画にある母の店の前を乱れた隊列を組み、兵士たちがぞろぞろと歩いてきた。おそらくとなり街の連隊の拠点へ向かうのだろう。そのなかからある兵士がひとり、店のほうへ近寄り、小学生の母がつい先ほど捨てたはずのりんごの皮を容器から拾い上げ、むさぼるように口に入れたという。母はその様子を鮮烈に覚えているという。兵士たちは戦いに向かうので食料はこと足りていると思っていたが、現実はこうだったんだと気づかされたという。
世代が
わたしは昭和の後半生まれ。祖父母や父母から当時のそんな話を何度か聞いた経験がある。親類には戦死者がいる。戦地で亡くなったという。伯母は満州からの引揚者。それぞれ私の親戚のひとつ上の世代は皆、戦争体験者。戦前生まれの父母はもはや90代。戦後生まれの私を含め、親戚の多くは戦争を体験していない世代となる。
元の職場でお世話になった方々の中にも中国から引き揚げてこられた方、長崎で被爆された方、学徒動員で爆薬原料の製造に携わった方からお話を伺ったことがある。全てご当人の体験されたことばかり。常日頃のご様子からは伺い知れないことばかり。
もはや私が聞いて覚えている内容を周囲に話さないかぎり、それらの実話のいずれもが途絶えて埋もれてしまう。こうしてここへ残しておくだけでも違うかもしれない。父の伏せた場所が少し違っただけで私はこの世にいないはず。そう思うとほんのわずかな運命の差に違いない。
戦争について
わたしとて自然災害に巻き込まれかけ、背中のすぐ後ろで間一髪という経験がある。ただしそれは戦争のように人為的に生じるものとは違い、起こそうとせず実行に移さなければ回避できるもの。人間の知恵と努力をとことん発揮させて本来ならば回避すべきもの。
もはや語らねば、その現実のすさまじさと情けないほどのやるせなさは伝わらない。あまりに生々しい。
おわりに
めったにこんな話は記してこなかったが、もはや私が当事者であり、そのひとりには違いない。伝えるかどうかはあくまでも当人の判断だし、聞いた方々がどう受け取るかも任される。とはいえ伝えておかないと何もかも始まらないし、回避できるかどうかもわからない。でも世論を形成するうえで、現実を把握し冷静にみつめる上で欠かせないことだと思う。
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