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確実にいるはずの新たなパイオニアを育てるために:無報酬でもやりがいがあるならばけっこう引き受け手はいるかもしれない


はじめに


 このクニの学術論文の数や質の評価が相対的に下がりつつある。もはやそういわれて20年。これだけクニにより大学の運営費が抑えられたままで、実質的に間接経費などに消えているならばそれもしかり。ならば学生を教育したいという熱意をもつヒトビトに一部を任せてはどうか。

非常勤でもいいし無報酬でもやりたいという方はいそう。クニとして本音は70歳ぐらいまではたらいてほしいならばなおさらそうしてはどうか。

きょうはそんな話。

すでに


 大学に貢献しそうなヒトに関しては特別な報酬つきで働ける制度があるにはある。しかしそれは研究業績や大学の運営にさらなる直接の貢献が期待できそうな方々。大学には教育というもうひとつの大きな役割がある。あまりに漠然とし成果などは間接的で見えにくいため、意外とおろそかにされ、ないがしろになっていないか。

国立大学の場合、かなりの割合の教員が大学院の所属。世間ではあまり知られていないかもしれない。たしかに学部も兼任されているが、どちらかというと大学院の方に目が向きがち。

共通教育は形骸化?


 とくに大学1,2年生がおもな共通教育に関しての認識や意識はうすいかもしれない。これは以前からよく聞く。カリキュラムはどこかいびつで、本来ならば高校まで履修しておいてほしい教科や科目に関して不十分なまま大学に進み、虫食いのようにトッピングだけつまみぐいするかのよう。たとえば語学の必修単位はわたしが履修したころの半分以下になった。

たしかにすくない科目であってもじっくり学んで深めてくれればそれもよいかもしれないし、余裕のある時間に自らの幅を広げる活動に熱中するのもいい。たしかにわたしたちの頃とくらべると総じてまじめに出席はしているようには見える。しかもとくに国公立理系では修士課程へ進む割合が6割以上をしめている。6年間でじっくり養えばいいという声もありそう。

とはいえ


 ところが、最近ふえつつある総合入試の形態によってはすでに入学時に学力のアンバランスも可能性としてある。できれば大学1,2年のうちに語学をふくめて補習してバランスをとっておきたい。

そのほうが專門にすすんで外国語で書かれた論文や著書をまなぶ上でスムーズになりやすいはず。いくら学生まかせにしようとしても、翻訳アプリが充実しようとも、大学で何をまなぶかわからない新入生に、その時期に何を学ぶべきかは案内役がいないと気づけないしむずかしい。

さてそこで


 だれもが学びの充実に総論では賛同しそう。するとだれが共通教育、しかも補習や教養の部分や高校と大学をつなぐ部分を担うのか。いまは大学(大学院)の先生方のどなたが担当する(とくに大学院の先生方)かは任意であり、やるやらないの選択まで任されている。

ではベテランの大学や高校に長年勤務してきた先生方や研究者ならばどうだろう。大学のみならず高校の先生までひろげたのには理由がある。高校の先生方のなかには、高校の後半の授業が共通テストをはじめとした受験指導でで中途半端な形で終わるのに不満をお持ちの方もいらっしゃるだろう。実験、観察、身につく演習などをもっと充実したほうが大学へつなげやすいはずと。

何をどこまで学べば学年の進行についていけるか、もっと伸ばせるか。本線の講義で何を言っているのかわからないといった状況だけはせめて回避できるのでは。長年教育にたずさわってきたからこそ、それを熟知していて最適の人材でなかろうか。

いまは私立大学、その他のしごとにむかいがちかもしれない。もちろんそこでの活動でもすくなからず貢献はあろう。しかしもっとこのクニを支えるパイオニアたちを育てるための人材として活用してよいのでは。

現役ならずとも


 そんな露払い役を率先してやる方が大学内に心細い状況ならば、むしろやる気のある方々を募ってはどうか。大学で教えるには高校までの教員免許に相当するものはなく、大学が学生の教育にふさわしいと認めさえすれば教えられる(この説明は十分でないが)。

すでに大学での業績をお持ちの定年に達したベテランの先生方、高校で教育に実績をあげた方々、一般の社会人の方々のなかにも大学で教鞭をとるのにふさわしいお仕事を成就された方々は多い。もっともっと活用すべきでは。

ボランティアで


 財政が逼迫して頼めない状況ならば、場合によってはそんな先生方のうち希望なさればボランティアでやっていただくのもいいのでは。せめて教材費や交通費程度をお出しするのであればなおいい。すでに大方の大学(国立をふくめて)の経営状況にそんなに違いはない。どこもギリギリ。

人的資源しか残るものはないこのクニを担うはずの学生たちがスムーズに学べる状況を築くのは大切ではなかろうか。もっとボランティアのちからを信じてほしい。ボランティアのひとりとして訴えたい。

おわりに


 クニはまさにその逆をやろうしているかのよう。あまりに共通教育を形骸化し、もはやじっくり学んでもらおうという口実で大幅に単位の取得要件を緩和した。でもどうだろう。そうなったからといってひとつひとつ選択した科目をそんなに広く深く自主的にじっくりまなぶ学生がどれほどいるだろう。ニンゲンどうしても易きに流される。

びっくりなさるかもしれないが、半年のあいだで試験がたったひとつだけという理系の学生さんすらいる。極端な例でたまたまの選択でそうなったらしい。同試験期間内にレポートなどほかの課題があるわけでもない。これでスムーズに学年をあげていけるのがいまの制度。もはや高校と大学のギャップなど埋めないまま、埋まらないまま消し飛んでしまっている。

これでいいのか。貴重な大学4年間、理工系は場合によっては6年間すごすことになる場。せっかくならばそのあいだにごく一部でも最後のほうで、学問の深淵にふれてほしい。そのためには基礎基本、つまり高校から大学へのギャップを埋めることからしっかりやらないと広い裾野は築き難い。しかも砂上の楼閣になりかねないと危惧する。くりかえしになるが確実にこのなかに未来を切り拓くパイオニアがいるはずなのに。


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