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たまにひじきの煮物を食べたくなるのはミネラルを摂りたくなるタイミングなのだろうか


はじめに


 ふと思う。もしかしたらからだは恒常性を維持するために、足りなくなりそうな栄養成分や元素などをからだのあちらこちらが脳の中枢に伝える性質を備えているのでは。なにも科学的な根拠があるわけではない。自宅で料理する際にちょうど漫画家の滝田ゆうさんの描く吹き出しのごとく、あたまに浮かぶ献立を思いながらそう妄想した。

きょうはそんな話。

(タイトル写真は育てていたキウイの花)

食べたくなるもの


 きょうは魚が食べたいなとたびたび思う。おそらくドコサペンタエン酸(DPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)など魚などから得られる成分がからだに不足ぎみなのだろうなと思う。からだがほしがる栄養素をもとめるのはいわば自然なのかもしれない。でもそのしくみを考えはじめると不思議なものだなとあらためて思う。

不勉強でじゅうぶんたしかめていないのだが、からだづくりに必要な栄養素は数多い。それぞれを特定の食物で欲求するしくみはおそらく解明されていないだろう。よくよく考えると興味深い。わたしはたまにひじきの煮物が食べたくなる。これはいきなりおとずれる。たしかにひじきにはカルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛などのミネラル、そしてヨウ素などが豊富。

たいていローリングストックで乾燥ひじきの袋が片隅にあるので、思い立つとすぐに水でふやかしはじめる。

つくって食べよう


 このひじきの煮物。じつにかんたんにつくれる。じゅうぶんな水に15分ほどもどせばあっという間に何倍にも膨れる。合わせるのはそのときどきに台所に転がっている根菜のにんじんやれんこん、あるいは干し大根、そして油揚げの刻んだものや煮た大豆。そのときどきに応じてあるものをひとつふたつくわえる。たいていどれかある。

おそらく無意識のうちにこうして合わせるやさいなどの栄養素や食物繊維などもやはり日ごろから足りていないのだろうなと思う。いずれも口にするとおいしく感じられること自体、不足している証拠だろう。この足りていないときに「おいしく」感じるしくみもよくよく考えるとなぜだろうと思う。

情報の伝達のしくみ


 足りていないものを伝えるしくみ。しかも個々の栄養素ごとにあるのかないのか。これってコンビニなどの在庫確認や売れ筋商品の把握などとよく似ている。おそらくそんなに複雑な機構ではないのかもしれない。なあんだそうかとのちになって知ることになりそう。

しくみを解明できたら効果的に栄養補給など患者さんの栄養補給などを効果的に行えるかもしれないし、意外と波及する分野や効果がいろいろな方面に期待できそう。あれっ、これは研究助成金の申請に使えたかもしれない。ここでこうして公開してしまうのはもったいなかったかな。

身近な生活のなかにはまだまだわからないこと、わかっているようでそうでもないことが多々ありそう。それだけにふだんのなにげない生活上のひとこまを注意深く敏感に感じとるのはたいせつかもしれない。学生さんたちに今度話しておこうかな。

テーマを思いつく


 科学のテーマを設定し、じっさいに実行するのはたやすくみえてなかなかそうでもない。科学技術が発達したなかで着手できないとすれば、それはそれなりにむずかしさを内包するから。今まで残っていただけなのかもしれない。たいていのことは数十億人のニンゲンが暮らす世のなか、だれかが思いついてやろうとしたはず。

そのうちの何人が科学者だろうか。しかもそのうちのどのくらいがその分野について興味をしめすだろう。あたまに浮かんでもそのまま通り過ぎてしまうヒトが大部分だろう。いつまでも固執し、そこへとどまるのはごく少数にすぎないだろう。こんなに多くのヒトビトが暮らしていても、結局はそうなってしまう。

おわりに

 今のところわかっているだけのしくみの上で推論し、未知の部分について解明するための筋道や推論を組み上げて、それを観察や実験のかたちにして着手する。そこまでのエネルギーをそこへ費やせるか。科学上の対象として興味が持続するか。そして何らかの価値へと結びつけられるか。それは興味だけではなかなかなし得ないかもしれない。

逆に一個人の素朴な興味や関心から科学の探求ははじまるものかもしれない。よく煮えたひじきを口にしながらふと思った。


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