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大学入試の共通テストで残り10秒ほどで受験番号や科目などいっさいをマークし忘れていることに気づく夢をみるのは


はじめに


 ありえないことが起こるのが夢の世界。現実では思いもよらないことがさも現実に進行しつつあるように感じてしまう。ふだんのように手のひらに汗を感じ、焦る気持ちばかりが先行し、なぜかやろうとすることが思うように進まない、もどかしい。たいていそんなところで目覚める。

きょうはそんな話。

ありえないが


 こんなことがあるだろうか。入試の終わりがけでマークシートの個人と受験に関するいっさいの要素を書き忘れていると気づく。けさの夢はそんなふうだった。こんなことはありえない、これは夢だからと夢のなかで思うことすらある。でもけさのはちがった。あまりにリアルだった。目覚めが悪いのはこんなとき。薄暗がりのなかで起き上がりぼんやりいま見たばかりの状況を反芻する。

のこり10秒ではとてもマークの書き込みは無理。そう思いひらきなおるわけでもなく、かといって可能なだけできるだけ埋めようという意志に反してからだが思うように動かない。夢とはまさにそんな状況。「金縛り」とはまさにそんな状態だろう。脳が中途半端に覚醒し、からだが眠ったまま。

それにしても


 半世紀まえならば現実に存在した試験。それから何十年も離れた今も見るなんて。何かしらこころの底にそんなあせりにも似たものを抱えるのか。試験に関して未練を残したままなのか自問自答するが思いつかない。

おそらくいまの自分ならば、冷静に試験開始前にすべきことができていない時点で、当然のごとく試験の答案自体がまともに答えられていないとあきらめるだろう。終わり間際には観念しているはず。

まともな判断


 日ごろは正常な行為を常識にもとづいて判断して動いてことがらが成立する。基本的にそう。それからはずれるほど、ふだんから遠ざかるほど、あり得ないとしてその時点で思考が向かわない。

その見極めはあくまでも現実の経験からみるとあたりまえ。もはや非常識の世界だし、そんなところに関わるべきでない。ところが現実の世界ではどうだろう。

このところの世界各地の政(まつりごと)のいくつかは、これまでの「常識」とか「あたりまえ」と思われてきた範囲といえるだろうか。たしなめる側のはずのクニがやってしまっていると感じるのはわたしだけだろうか。

なにをもって正常か


 もはやわたしがまなんできたものを疑うべきなのか。理想と現実とのギャップ。それとも・・・。常識外と思われて相手にしないレベルのことが現実に起こりつつあるのか。いや、じつはそれは以前からもそうだと言われればたしかにそうだったかもしれない。

でもはたしてそうか。過半、あるいはそれに近い割合のヒトビトがそんなまやかしかもしれない、あるいはおどらされているかもしれない世情にとらわれていやしまいか。いや、おどらされているのはじつは自分のほうかもしれない。

おわりに


 現実と夢の世界がどこか混じり合い、区別がつきにくい状況下にあるのかも。そんな現実から目をそむけてばかりもいられない。どこかでもっと「まともな」ほうへ、できれば夢だったかと覚めてほしい期待がどこかにある。へんな夢を見る原因はもしかしたらそんなところにあるのかもしれない。


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