昭和生まれだが、実質的にはまだひとことで言いきれない平成の時代を中心に生きてきたといえそう
はじめに
学生のころは明治・大正・昭和と過去をふりかえりつつ、ヒトを「明治の生まれだから⋯」とか、「戦後生まれならば⋯」などとひとくくりにしつつ話しがちだった。どうしても「わたし」を中心に時代やものごとを考えがち。
いまや令和。昭和から平成へたどってきた。おそらく令和のいまを生きる若い方々には、すでに昭和とはわたしにとっての明治と同格。いや大正とちがい平成が長かったから、もはや若い方々にとっての昭和とは、はるか以前。わたしにとっての江戸時代とおなじ感覚かもしれない。
きょうはそんな話。
昭和のなかで
学校はすべて昭和で完結。そんな教育を受けてきた。社会に出たとたん平成がいつのまにかはじまっていた。そんな世代。もはや戦前は親から聞く話のなかの時代であり、昭和中頃までつづいた高度経済成長はごく幼いころのかすかなものでしかない。
つまり安定成長から停滞の時期を生きてきた。昭和を3分割すると最後の3分の1と平成の全部。昭和の残務整理を平成の中頃までやっていた感がある。明治の方々からは気骨を感じ、大正のヒトビトからは自由な空気を、そして昭和戦前の親の世代からは勤勉をみてとれた。
平成に入って
社会人となりさまざまな面接を実施する側に。すでに個人情報の扱いや面接で聞いてはいけないことなどが、注意書き一覧でリストアップされていた。「むかしとちがう」ことをまざまざと知る場面。これらをほとんど学校で学んでいないのはやはり大きい。ことあるごとに自分のなかで「社会通念上」という言葉を再配置し直す。
はじめのうちはどうしても無意識のうちに出てしまったり、あるいは指摘するまでおおかた気づけなかったり。同世代や上の世代のヒトビトとておなじだったろう。考え方やものの見方はあきらかにちがう。そのあいだでの軋轢やとまどいを経験。
平成を3分の2すぎて
ある会議。上司や責任者の方から「何でそんなことが必要なの?」というところに対してわたしをはさんで、学校で教育を受けたわかい世代から説明がはじまる。あくまでも上司たちの了承なくばモノゴトははじまらない。したがって常識な結論を導き出すまでに余分に時間がかかったり、説得に時間を要したりがつづく。
平成の3分の2が過ぎる頃まではそんなことがつづいたような気がする。自分とてそんな波のなかで揉まれ、はざまでとまどいなどさまざまあった。まるで洗濯機のなかの洗濯物になった気分。ぐるぐるひきまわされたあとはぎゅうとしぼられる。
令和にむかう
平成ののこり3分の1で転職。いまこうしてふりかえると絶妙なタイミングだったかもしれない。古くからのしがらみからぬけだせてリセットできた感触。ようやく外干しされて陽を浴びられる清々しいきもちになれた。
なにもかも自分ひとりで決められる個人事業。ほんとうはこれが枠にはまりたがらない自分には最善の場所だったと自覚できた。もちろん平成から令和の「たしなみ」や「常識」をよく知ったうえで、それだけダイレクトに責任を追わないとならないのは承知の上。
それだけより慎重に周到に準備して、首尾よく顧客を得ることができたときのよろこびは大きかった。やっと時代に追いついた感じ。
おわりに
ようやくそれまでなかったちいさな自信の芽が平成がのこりわずかになった頃から自分のなかに育った感じがする。こうやればよかったのかの気づきはどうやら鈍感なわたしには昭和、平成とふたつの時代を経てようやく得られた気がする。
さて、「◯◯の平成」。こうしてふりかえるとそこにはどんな文字を入れるとぴったりおさまるだろう。ひとまず自分なりにかんがえてみよう。
こちらの記事もどうぞ
広告
