やりたいこと・したいことの順番を決めて確実にやっていかないと
はじめに
大学キャンパスの木々の彩りは時間の経過を如実にあらわす。ことしも紅葉の時期が来てしまった~と気づかされる。ヒトから言われるよりもいちばんしっかりと芯まで伝わる。ここですごす学生に「時間は有限だよ。」と無言のまま伝えようとしている。ヒトから言われるよりもこうして自然からやんわりと知らされる。同時に四季で姿を変える樹木をよくぞ適切に配置したものだと感心してしまう。
いや、学生さんなどヒトゴトではない。わが身でこれまでやってきたことにどれほどの年月がかかったか。これからやりたいと思いながら積読状態のもの、さらにそれにあてがうわたしに残された「動ける時間」をそれぞれおもてに出してみた。すると⋯。
きょうはそんな話。
(タイトル写真は大学キャンパスの秋の彩り)
もはや
とくに問題となるのはこれからやりたいほう。どうしてもやらねばならぬことをひとつえらんでかたづける。それを果たしたらごほうびにやりたかったことをくっつけて⋯。結論としてはそんなところか。
イヤイヤでもやらねばならないことを先送りしないでやらないと。それこそ残された時間はかぎられ、ますますタイトになるばかり。これは必然であり待ってくれない。やりたいほうはあくまで自分の欲にからむわけだから、当面は抑えてもいなくなりはしないし、だれからも咎められるものでない。
やらねばならぬ
話をより具体的にしよう。とくにわたしがやるべき、あとかたづけすべきもののうち大きな事象は、みずから建てて30年を迎える家の処分。一般的な部材よりひとまわり太い柱をつかった頑丈な木造づくりで、すくなくともあと20年はびくともしないはず。使われた木がいとおしく、くぎ1本打たずに維持した。とりこわすには惜しい気がする。
親類縁者に打診すると「お好きにどうぞ」の状態でだれも欲しいとは名乗り出なかった。そこでとりこわし更地で売るか、残したまま他の方へおわたしするか、地元でのこどもたちのための社会活動の場としてつかってもらうか迷っている。まずは後者について話をできそうなところを見つけたので、そのあたりから話をすすめてみようか。
懸案がかたづけば
家のいく末が決まればそれに付随するものとして、土地、畑、山林、そして墓じまいだろうか。これは分家した祖父の名義(現状は父)なので、こちらも親類縁者との話し合いを得ていく心づもり。すでに、わたしの代以降の、こどもたちには話がついている。皆、土地をふくめて「ご自由にどうぞ」との応答。
この地では墓をそのままにして都会へ出た方々がめだつ。いずれもわが家同様にもはや孫の代。盆や正月の帰省の際にお参り。地方の中山間地としてごく一般的な傾向であり、くしの歯がぬけたようなこの状況の進行に歯止めはかからないだろうし、今後も変わることはまずない。にっちもさっちも行かない状況になる前に手をつけていかねばならない。
ふと思う
わたしはこの地で長年(20年ほど)学習サポートにたずさわり、地元のこどもたちのまなびの場を提供してきた。結果として、学んだ生徒の多くは都会へ向かった。もちろん地元にあらたなしごとをつくらねばとそれなりに関連の活動を模索したが、じゅうぶん叶っているとはいえない。わたしのサポートは結果的に地元から人材を放出させることを助長させてしまった。
それはいまもつづいており、教室の生徒やサポートしている学生さんたちが地元ではたらければとそれを念頭に活動しているつもり。上で示したわたしがやりたい・やりつづけたいことの最たるもの。
おわりに
言うのはたやすいが実行はなかなかむずかしい。それをすこしでも切り拓いてかたちにせねば前に進めない。やりたいこと・したいことの順番を決めて確実にやっていかないと。
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