実技教科の実習の多くはどうやったらうまくいくかをあまり教わっていない気がする
はじめに
わたしは幼稚園に入るまえにすでに足が遅いと勘づいてしまった。ようやくヒトなみに走れたのは中学で運動部に入り、毎日走ったおかげ。水泳もようやく中3の夏休みに友人と誘いあったプール通いでようやくまともに泳げるように。そんな過去をよくふりかえると体育はまだしも、ほかの実技教科についてはどうやったらそれができるようになるかあまり教わった記憶がない。
きょうはそんな話。
実技の教科は
学校というところはまなびにいくもの。おもに先生と呼ばれる人物や、先輩というちょっとだけ先に生まれたヒトビトからいろいろ教わる。
とくに図画工作や美術に関しては授業においてこうやって描くよとか色はこうだよと具体的に教わった記憶がない。かんたんに構図のとり方とかきょうの題材とかにさらっと触れたあとは、ほとんど個人まかせ。まさに孤独な作業。共同制作でないかぎりそう。
音楽でも
音楽はなおさら。歌う際の声の出し方などはほぼ教わったためしがない。したがっていまだに歌えない。どうやって話すときとちがい、音の高さや拍にあわせてちょうどよい声をだせばよいのかいまだにわからない。つまりカラオケの伴奏のどのタイミングで声をだせばよいのかいまだになぞ。
一度は中学の音楽の教師から独唱の試験のあと「木山くんはけっして上手とはいい難いが一生懸命さをわたしは買う」とほめられているのかどうかあやしいコメントを全員のまえでおっしゃられた。
それは声変わりに関係しそう。とくに男の子は声が調節しにくい時期があるといわれる。突如裏返ってしまったり、友人がある朝、突如びっくりするほど低い声で話すようになったり。ところがわたしはいつまでも女子のアルトのパートのまま。周囲は女の子ばかり。そのなかにわたしをふくめほんの数人の男の子。こればかりはいたしかたない。
はっきりした声変わりをせぬまま。電話に出ると母親と間違われていた。そのうちセールスの勧誘の電話など「違います。」という返事すらめんどうなので、母親と間違われたままでどう断ろうかと考えたぐらい。
家庭科は
小学校の家庭科は立場がちがった。どちらかというと裁縫は得意なほうだった。とくに家で教わったわけでもなく、いつのまにか小学校で要求される程度は習うまえからなぜかできてしまった。ミシンもそうで難なくできた。家でやってみせると、つぎから学校にもっていくぞうきんなどはわたしがつればいいと母親からお墨つきをもらえた。したがってクラスのなかでは教え役。まさか女子に運針などを教えることになろうとは。
そんなふうに実技4科についてはさまざま。どうして運動がひとなみにできる母親や、野球のじょうずな弟のようにいかないのかなぞではあった。どちらかというと幼少のころからおとなしいとか、行儀のいい子といわれる機会が多かった。その意味ではこどもらしくなかったのかもしれない。それにうすうす自分で感じて友人たちとすこしちがうなと思っていた。
おわりに
いずれもひとつのキャラクターなのかもしれない。わたしはすこしばかり極端なほうかもしれない。それは主要5教科でもおなじで、理科と国語が得意というちょっと変ったタイプ。高校の担任からは3年の2学期まで文系かと思われていたぐらい。たしかに極端に数学がわからず、理科でも物理ができない高校生だった。
こんなにもできないものかと途方にくれるほど。勉強時間のほとんどをそれら苦手教科にあててこの状態だから、ほかの教科にしわ寄せが行かなかったのがふしぎなぐらい。したがって受験は社会(当時の倫理と日本史)について完ぺきをめざすという変則的なやりかたで、どうにか現役で理系の学部にすべりこめた。どこかいびつな受験勉強だった。
同時に実技教科のほうはどうやったらうまくいくかをあまり教わらないままなんとかヒトなみにできるようになれ、成績はまずまずだったのがふしぎ。
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