見出し画像

「足利義昭黒幕説はなぜ成立しないのか。」

ところで、ドラマ中チラチラチラチラしていた、
足利義昭あしかがよしあきがなんかやるぞぉ~!
義昭が今にもナニかをくわだてるぞぉ~!
ってなフリ。

「これはもしや、足利義昭が黒幕なのでは!?」
というミスリードがあったけれど……、
今回は、この説が成立しない理由を解説しようと思うのであります。


ひとことで言うと、
本能寺の変を知らなかったからなんだけど。


足利義昭が本能寺の変を知ったのは、本能寺の変の4日後。
秀吉など、もう姫路城まで引き返していた頃。

義昭は、本能寺の変を次のように理解していた。


「明智光秀と柴田勝家が、織田信澄のぶずみとともに京都で織田信長親子を討ち果たしたあと、大阪で織田信孝のぶたかを殺害した。」
(『大日本史料』)


なんか普通に間違っている。


それで義昭がなにをしたかというと、お手紙を出しまくった。

宛先あてさきは、今わかっているだけでも、秀吉 、柴田勝家、織田信雄のぶかつ、徳川家康その他もろもろ……。
(山本博文編『徳川家康の古文書』柏書房、2015年)

光秀と共謀したとは、とても思えない。


義昭は思ったのだろう。
幸運なことに信長が死んだんだったら、自分は京都に戻れるんじゃないの!?
今がチャンスなんじゃないの!? と。
だから行動を起こした。
お世話になっている毛利さんに、上洛を持ちかけたのである(藤田達生『証言本能寺の変 史料で読む戦国史』八木書店、2010年)。

……なのに!!

なのに毛利さんは、「天下の情勢」よりも「南条元続なんじょうもとつぐを警戒する!」と言い出したのだ(藤田達生『証言本能寺の変 史料で読む戦国史』八木書店、2010年)。

この「南条元続」というのは、毛利さんを裏切って信長に加担していた人物で、本能寺の変の3日前、光秀は南条さんと一緒に織田軍のために頑張ってくれている福屋隆兼ふくやたかかねさんに、お手紙を書いている(桐野作人『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』PHP新書、2007年)。
その内容をざっくり要約すると、こんな感じ。

「これからまず秀吉さんの援軍に行って、状況を見つつ南条さん、福屋さんのいる伯耆国へ向かうかもしれません。そのときはよろしくね。」

義昭的には、「えぇ~、南条元続ぅ!?」とはがゆく思ったことうけあい、
「私を京都に連れてって〜!」と、広く募集する作戦に切り替えている。

そしてここがまた世知辛い史実なんだけど、
義昭の手紙をもらった人たちはみんな、「OK!」てな感じの、好意的な返事をしてくれた。


なのに。


なのにっ!!


その後これといった動きを誰も・・起こさないまま5年の月日が流れ、
……その頃にはもう、秀吉の天下になっていた。



足利義昭黒幕説。

……やめたげてね。

こんな義昭を見て、そんなふうに思える?



今回すごく悪い奴にされちゃってるうえ、
なんやねんコイツ! って、株価を下げまくっている織田信澄くんについては、前回のnoteを読んでね。


▶次回◀


▶前回◀

▼信澄くんについては、前々回のnoteにも。
かわいそ過ぎて書いたよ……。
よかったら読んでね。


※関連書籍『本能寺の変 明智光秀冤罪説』

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集