「今年も悲しい結果に終わった明智光秀かわいそう。」
豊臣兄弟0726。
秀吉と光秀が茶会をしたりと、自由な大河ドラマ。
ちなみに茶会を許されたのは秀吉と光秀だけ、という、いい加減な設定も飛び出しました。
のちに信長に、「特に働きがない」と言われてしまう佐久間さんは、頻繁に茶会をしていました。
《茶の湯御政道》や《ゆるし茶湯》という有名な言葉がありますが、働きがない佐久間さんが茶会をしまくっていることからわかるように、信長は茶会を上司の許可制にする《ゆるし茶湯》なんてルール、作ってもいなかったのです。
信長が死んで、あることないこと言いたい放題言ってのけた秀吉によって捏造されたお手柄ヒストリーの一つが「信長に茶会を許された俺」だと思われます。
この「ゆるし茶湯」という概念については、信長が死んだ後の、本物の秀吉書状に書かれています。
けれども、「本物の秀吉書状」とは、『本人が残したもの』という意味であって、『全部本当』という意味ではありません。
現代に置き換えると、本人が送った LINEだからといって、全部本当のことが書いてあるとは限りませんよね。
自分に都合の悪いことは書かなかったり、相手に気に入られようとして話を盛ったり、そもそも状況を勘違いしていることだって、今でも普通にあることです。
本人が『私は無実です』と書いたから、この人は無実だ!と頭から信じる刑事や探偵はいませんよね。
それと同じで、本物の手紙でも、内容の真実性については分析が必要なのです。
「上様をなんで殺したんやー、新しき世はもう少しやったのにー」という秀吉に対して、光秀は「ホンマは足利義昭に従って新しき世を作りたかったんやー」とかなんとか、言うておりましたが、義昭の関与は以下の通り▼
ありません。
また、▲で述べた義昭の様子から、光秀が連絡を取っていないこともわかります。
それから、「わしらはなんのためにサムライになったんじゃー」と悲しみにくれる秀長について。
今、彼らは農民から身を起こしたことになっていますが、当時の史料ではもっと低い身分だったことがわかっています。
今年も例年通り、また光秀が本能寺の変を起こしてしまいました。
でもきっと、なんで光秀が本能寺の変を起こさなきゃいけなかったの? と、イマイチ腑に落ちなかったと思います。
本能寺の変が謎なのは、間違った人を犯人にしてしまっているからだと思います。
一度、常識を疑って歴史を見直してはいかがでしょうか。

今年の大河では、織田信澄も大変気の毒な役回りをさせられ、無意味に評価を落としたように思います。
かわいそうで、昨日弟と「中江藤樹・たかしまミュージアム」に、信澄の展示を見に行ってきました。
“織田信澄”の名前はないけれど、ここであってます。

織田信澄くんは近江聖人と江戸時代に称えられた中江藤樹と同じくらい、もしかしたらそれ以上にスゴイ人なので、地元でももっと推してほしいです。
《ゆるし茶湯》については、
コチラ214ページ▼にて詳細を解説しています。

コラム「ゆるし茶湯」
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