"仲間はずれ"と"涙"の間で…アドラー心理学をかじった母として、できること
小学3年生の末娘くんちゃんが、
ある日、ちょっと悲しい顔をして帰宅した。
「おかえり。どうしたの?」
「今日ね、AちゃんとBちゃんとCちゃんは、
3年1組だけで遊ぶんだって。
くんちゃんは2組だから、遊べないんだって」
今年度、近所の仲良しのお友達女子3人のうち、
2人は1組、くんちゃんは2組と、分かれてしまった。
クラスが違っても、放課後遊ぶ約束をしてくる日もあれば、
「帰りの会」が終わる時間がズレて一緒に帰れず、
遊ぶ約束を取り付けられずに帰宅する日もある。
(そんな日は、同じクラスの子と楽しく帰ってくるのだが)
そんな中での、
「クラスが違うから、一緒に遊べないんだって」という話。
近所の女の子2人に、
少し離れたおうちの1組の女の子も加わって遊ぶらしい。
女子の世界では「あるある」のやつだ。
悲しい顔をしているくんちゃんを見ながら、
母として、どう声をかけたらいいか、
ものすごく迷った。
「仲間はずれはダメ。みんな一緒に遊びなさい」と、学校の先生だったら言うだろうか。
でも、
「同じクラスのメンバーだけで遊びたい」
そう思う日があるのも、事実。
くんちゃんが、そちら側の立場だった時もある。
自分にだって、子どもの頃に、思い当たる記憶がある。
意地悪な気持ちによる「仲間はずれ」とは、ちょっと違うような気がする。
「仲間はずれ未満」というところか。
「みんなで一緒に仲良く」が一番だけど、
誰と遊びたいか、何をしたいか、
気持ちは、その人だけのものであって、
尊重されるべきもの、だとも思う。
近所のお友達は、親同士もよく知っていて、
お互いの子どものトラブルを、
わりと、気負いなく話せる関係性だ。
だから、
「実はこの前、娘が一緒に遊んでもらえなくて…」と
話そうと思えば、話すこともできる。
悲しそうなくんちゃんの気持ちを思ったら、
そうやって、今後は一緒に遊んでもらえるように、
ちょっと声がけしてあげるのが、
母として、良いのだろうか…。
いや、それは「子どもの課題」に介入することになるのだろうか。
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こういう時、
私は、以前学んだアドラー心理学の考え方を思い出す。
アドラー心理学では、行動面と心理面の目標がある。(詳しいことは、こちら ↑ の記事に書いてます)
子育ての行動面の目標
自立する。
社会と調和して暮らせる。
子育ての心理面の目標
私は能力がある。
人々は私の仲間だ。
周りの人と「調和」して生きていくこと。
自分で考え、自分でコミュニケーションをとって、人間関係を築く上で「自立」すること。
くんちゃんは今、それを学んでいる真っ最中だ。
近い将来、親の知らない友達と付き合う日がやってくるだろう。
友達関係、いろんなことがある。
いい時もあれば、トラブルもある。
きっと、一番難しくて、一番繊細で、
最も悩みのタネになることと言っても過言ではないのが「友達との仲」。
今なら、親が見守ることができて、必要であれば声をかけたり、相手の親に話をしたりできる。
この貴重な期間に、親としてどう振る舞うか、
「子育ての目標」に照らし合わせて考える…。
また、くんちゃんがこのことを私に話してくれたのは、
「お母さんは私の仲間だ」と思ってくれたからだ(と信じている…!)。
この、相談できる関係性をキープすることを、
何より大切にしたい。しなくちゃ。
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もう一つ、
アドラー心理学の考え方に、
「課題の分離」
という考え方がある。
課題の分離とは、
あるできごとの問題(課題)について、
どう取り組み、どう解決するか、
そしてその結末が、誰の身にふりかかるか、
を考えて、課題分けをする(分離する)作業のこと。
(課題の分離や、子どもの課題に口出しする弊害については、こちら↓の記事に詳しく書いています)
くんちゃんと、お友達との関係は、
確実に、
「くんちゃんの課題」だ。
だから、くんちゃんのお友達との関係について、
親である私は、なるべく不必要な口出しをしないように、と心がけている。
ちなみに、「口出ししない」のは、
無視したり、気にかけないのとは、違う。
トラブルがあったことを打ち明けてくれたら、
じっくり話を聞く。
悲しんでいたら、「そうかそうか」と共感する。
「あなたはどうしたい?」と本人の気持ちを聞いてみる。
そして、「何か、お母さんにできることがあったら、教えてね」と伝える。
もし、子どもが「お母さんから話してほしい」と言ってきたら、
(アドラー心理学の子育て「パセージ」によると)
「子どもの課題」が、子どもと親との「共同の課題」になって、親が関与することができる。
逆に、子どもが「お母さんは、何も言わないで」と言うなら、
親は何も行動を起こさず、静かに見守るのみ。
(実は、こっちのほうがずっと忍耐力が要る…)
アドラー心理学の「課題の分離」を学んでから、
子ども同士のトラブルや、学校でのトラブルがあった時には、不必要な介入や口出しをしすぎないように、意識するようになった。
つい先走って相手に何か言ってしまったり、学校に電話してしまったり、
ちょっとお節介さんになりがちな私には、
この考え方が、立ち止まって考える良いブレーキになっている。
子どもの「学ぶ機会」を奪わないために。
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テキスト通りにはそうなのだけど、
やっぱり心配な母。
登下校など普段の様子をこっそり伺っていると、
AちゃんBちゃんと個人的には仲良くおしゃべりしていて、
意図的に「仲間はずれ」にされたり、いじめられたりしているのではないようだった。
(それが確認できただけでも、少し安心…)
ひとまず、話を「そうかそうか」と聞き、
毎日、学校から帰ってくるくんちゃんの様子を、
少し意識して観察する。
そんなに、ストレスを溜めている様子は見えない。いつもの明るいくんちゃんだ。
ただ、AちゃんBちゃんと遊びに行く日は、めっきり少なくなっている。
大丈夫かな…。
そんなある日、
くんちゃんは、お風呂の中で泣き出してしまった。
一緒に遊べない日があることも、理解し、
自分を納得させようとしたのだけれど、
自分がいないときにこっそり遊ぶ約束をしていたり、心にチクリと刺さる小さな出来事があったりして、どうにも悲しくなってしまったようだった。
私は、私の思うことを伝えてみた。
本当は、みんなで一緒に遊べたらいいよね。
でも、クラスの子だけで遊びたいって日があるのも、お母さんも経験がある。
(「くんちゃんも、ある。クラスの子で遊びたいのもわかる」と本人も言っていた)
Aちゃんたちは、遊びに入れてもらえないくんちゃんが悲しい気持ちでいることに、気づいてないのかもしれないよね。
一度、くんちゃんが実は悲しいって思ってること、本当は一緒に遊びたいって思ってること、伝えてみてもいいかもよ。
これから、くんちゃんが、
お母さんの知らない子とお友達になったとき、
自分の気持ちを、自分で相手に伝えないといけないこともあると思う。
だから本当は、くんちゃんがどう思ってるか、
くんちゃんが伝えるのが一番。
今は、その練習が出来るときなんだと思う。
でも、もし自分で伝えるのが難しかったら、
お母さんから、伝えてもいいよ。
本人たちに話すこともできるし、
Aちゃんたちのお母さんに話すこともできる。
言われて悲しかった言葉があるなら、それを伝えることもできる。
とにかく、お母さんは、
必ずくんちゃんの味方だからね。
今、私ができる最大限のこと。
くんちゃんは、ひとしきり泣いて、
一度、
「お母さんから、AちゃんとBちゃんのお母さんに言ってもらおうかな」と言って、
その後、
「やっぱり、今は、言わなくていい」
と言った。
親としては、「えぇ?ホントに言わなくていいの?」という気持ちもあったが、
くんちゃんが、いろいろ考えて出した
今時点の答えを、尊重しようと思った。
お風呂に入りながら、いろんな話をした。
私も小学生の頃、突然友達から仲間外れにされたことがある。
「その時、どうしたの?」とくんちゃんが聞く。
「お母さんは、クラスに他にもお友達がいたから、他の子と仲良く遊んでたよ。なぜか、あんまり気にしなかったんだよね。」
気にしない、っていうのも、生きていく上では、大切なスキルかもしれない。
いろんな人がいるから。
全ての人と仲良くはなれないから。
(くんちゃんの場合は、仲が悪くなった訳ではないけれど)
「くんちゃんも、同じクラスのお友達と、放課後に遊ぼうかな…」
ふと、くんちゃんが言い出した。
「同じクラスのYちゃんに、放課後遊べるか聞いてみようかな…」
「いいんじゃない?くんちゃんも、クラスのお友達と遊んだっていいんだし」
「明日Yちゃんに、いつ遊べるか聞いてみる!」
くんちゃんの顔が、パッと明るくなった。
こうしてくんちゃんは、
同じクラスのYちゃんと遊ぶ約束を取りつけて、
初めて、公園で一緒に遊んできた。
今まで見たこともないくらい早く学校から帰ってきて、シール帳とお気に入りのぬいぐるみをリュックに詰めて、ルンルンで出かけていく。
帰り際には、
「また遊ぼうね〜!また明日、学校でね〜!」
と元気に手をふって別れる。
きっと、次の遊ぶ約束も、取りつけて帰ってくるのだろう。
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こうしてnoteに書くにあたって、キレイにまとめた話になってしまったが、
実際は、悲しんだり、空元気を出したり、
いろんな気持ちを抱えながら、くんちゃんは日々を過ごしていた。
私も、いろいろ言いすぎてしまったり(「自立」という目標とはかけ離れている…)、
言い方まずかったなぁと反省したり、
「子どもの課題」への関わり方は、悩みながらだ。
介入しなかったことで、取り返しのつかない方向へ行ったらどうしよう…という不安も、常にある。
自分の対応が、ベストなのかベターなのか、そうではないのかも、わからない。
今も、悩みながら、反省しながらの日々。
それでも、
子どもが「自立」して、周りと「調和」して生きていけるには、どうするのが良いかと考えながら、
したほうがいいことと、しないほうがいいことを見極めながら、
私にできることをしていきたい。
子どもの持つ「育つ力」を、信じている。
