48.聖パウロ
画像はウィキペディアから転載。
ヘロデの一族
キリスト教は、イエスの言葉からもわかるように、ユダヤ教の改革運動としてはじまりました。
マタイの福音書五章にはこうあります。
わたしが来たのは、律法を滅ぼすためでも、預言者たちを滅ぼすためでもない。滅ぼすために来たのではなく、成就させるために来たのだ。
紀元前六世紀のバビロン捕囚のあと、一部の「ユダヤ人」はバビロニアのカルトやカルデア人の占星術を学び、ユダヤ教を変質させました。オカルトと人類の戦いはここからはじまりました。
キリスト教がいわゆる「宗教」になったのは、聖パウロ(紀元後五世紀ごろ~)によって秘儀カルトに変容させられたときです。
イエス直系の信者は、ナザレ派とも呼ばれました。「主の兄弟」、義人ヤコブを長とし、正統派ユダヤ教の掟を厳格に守っていました。イエスの教えを守る、「キリスト教徒」ではない人たちです。
キリスト教神学者で聖職者のヒエロニムス(三四七年ごろ~)は、著書『De Viris Illustribus(偉大な人々について)』にこう記しています。
使徒たちのあと、主の兄弟で義人と呼ばれるヤコブがエルサレムの教会の長となった。ヤコブと呼ばれる者はじつに多い。この人は母の胎内から聖なる者であった。かれはブドウ酒も強い酒も飲まず、肉も食べず、髭をそったり、軟膏を塗ったり、風呂に入ったりすることもなかった。かれは毛織の法衣を着ず、亜麻布の法衣を着て、ひとりで神殿に入り、民のために祈った。そのためかれの膝はラクダの膝のように硬くなったといわれている。
キリスト教の伝道者パウロは、このナザレ派と対立していました。
なぜユダヤ教の立法を否定したのかというと、割礼がイヤだったからです。

死海文書の専門家、ロバート・アイゼンマンは、パウロはヘロデ家に仕えていたと推測しています。
https://robertheisenman.com/paul-as-herodian/
(リンク先はセキュリティー的に保護されていません)
新約聖書の正典は二十七の文書からなるのですが、「パウロ書簡」と呼ばれる書簡は十三もあります。採用率が高すぎですが、それだけ「キリスト教」の重要な伝道者だったということです。
パウロ書簡の一つ、ローマの信徒への手紙の一六章にはこうあります。
同族のへロディアンに挨拶を。
このへロディアンは、ロバート・アイゼンマンによると、ヘロデ家の目的に不都合ではない政治的、宗教的志向を意味します。「ヘロデ家の目的」は、パレスチナだけではなく、小アジアやローマの地域も含まれます。
ヘロデ家にとって割礼は、非ユダヤ人たちとの同盟を拡大するうえでとくに障害になるものでした。
ヘロデ・アグリッパ二世(紀元後二七/二八年~)の妹ドゥルシラは、コンマゲネ最後の王アンティオコス四世の息子ガイウス・ユリウス・アルケラウス・アンティオコス・エピファネス(三八年~)、エメサの祭司王アジズスと縁組みを行ったのですが、旦那がユダヤ教を受け入れるのが条件でした。
結局どちらの旦那も割礼を拒否し、破談に終わりました。
そしてドゥルシラは、ユダヤ総督のアントニウス・フェリクス(五年~)と再婚しました。
要するに、割礼などの否定は、広く権力を拡大するためです。いつまでもちんこの皮に固執していては大きく羽ばたけません。
その点、キリスト教は好都合です。
次にヨセフスの『ユダヤ古代誌』を見てみます。
コストバルスとサウルスも、大勢の邪悪な者たちを集めた。かれらは王家の一族であったからである。かれらは(ヘロデ・)アグリッパの近親者だったので、かれらのあいだで好意を持たれた。それでもなお、かれらは民衆に暴力を振るい、自分たちよりも弱い者から略奪しようとした。
パウロはもともとサウロと名づけられました。サウルス(ギリシャ語読み)という名前は、当時は一般的ではありませんでした。
ロバート・アイゼンマンは以下のように記しています。
サウルスは、「権力者(ヘロデ家)、パリサイ派の主要人物、祭司長、そして和平(すなわちローマとの和平)を望むすべての人々」の仲介者であるだけでなく、ヨセフスはかれを 「アグリッパの近親者」とも記している。
キリスト教
パウロ書簡の一つ、コリントの信徒への手紙一の三章にはこうあります。
熟達した棟梁(master-builder)として、神から賜わった恵みによって、わたしは土台を築いた(laid the foundation)。
棟梁といえばフリーメーソンです。
プリンストン大学の宗教学教授エレイン・ペイジェルスは、著書の中で、パウロが原初的グノーシス主義者であると同時に原初的カトリック主義者であると考えられることを実証しています。
イエスの教えはシンプルで、グノーシスする必要はありません。ですが新しい宗教、キリスト教は、マリア崇敬や三位一体、死と復活の祭りなど、邪教の要素が満載です。
ですがキリスト教が世に広まったのは、人類にとっていいことです。なのでイエスの教えを歪めたパウロは極悪人、などとはいえないところがあります。
ヨハネの福音書もグノーシスの影響を受けています。
はじめに言葉(ロゴス)があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
ロゴスといえばギリシャ哲学です。ヘラクレイトスは、ロゴスは「火」である、などといっていました。火といえばゾロアスター教です。
ギリシャ人の哲学はオリジナルでもなんでもなく、バビロニア、ペルシャなど、アジアの影響をしっかりと受けていました。「現代西洋文明の礎」は実際は中東起源でした。
さらにいうと、ギリシャ人哲学者の多くはフェニキア人でした。
ロゴスはまた、カバラ的でもあります。ヨハネの福音書には「徴(サイン)」という語もよく出てきます。これは占星術の影響です。
キリスト教の神学自体も、初期のカバラの影響を受けていました。
学者で劇作家のヒアム・マコビーは、パウロはユダヤ教、グノーシス主義(天から救い主が降臨するという神話)、ミステリーカルト(死に復活する神という思想)を統合し、宇宙的救世主宗教としてのキリスト教を創り上げた、と提唱しています。
パウロのユダヤ教への失望が、パウロ的キリスト教を生み出したのである。
パウロは当時の神話を統合したわけです。神学者というより神話学者です。
初期グノーシス主義宗派の一つ、ワレンティヌス派の代表者ワレンティヌスは、パウロの弟子テウダスに密議のイニシエーションを受けたと主張しました。
ちなみにこのワレンティヌスは、聖ヴァレンタインの人ではありません。
初期キリスト教の神学者、アレクサンドリアのクレメンス(一五〇年ごろ~)は、著書『ストロマテイス』でこう記しています。
同様に、かれら(異端を捏造する者たち)は、ワレンティヌスがテウダスの弟子であったと主張する。そしてかれ(テウダス)はパウロの弟子であった。
パウロはごく限られた人間だけに秘密の知恵を授けました。無知なキリスト教徒が崇める神は、実際には神のイメージに過ぎないという教えです。
グノーシス主義の信望者は、物質世界はデミウルゴス(「公的な職人」)と呼ぶ小さな神によって創造されたと信じていました。
神がいるならなぜ世界にはこれほど邪悪がはびこっているのか、という至極まっとうな問いに対する答えの一つです。創造主は悪神だったので悪を生み出したわけです。
ですが真の神、無限にして一である万能の唯一神は、見えないところに存在しています。見えないものを見るために、神秘主義者たちはいろいろと危ないことをやっていました。
神は神ではない、というグノーシスを達成すると、秘密の秘跡を受ける準備ができます。
秘密の秘跡とは、いわゆる贖罪のことです。これは道徳的義務からの「解放」を意味します。
ワレンティヌス派のデミウルゴスは、ほかのグノーシス主義宗派でおなじみの敵対的な創造主とは性格が異なります。ワレンティヌス派は、デミウルゴスは多少愚かかもしれないが悪とはいえない、と主張しました。
パウロは、復活したイエスを神秘的な人物、原型的な人間として理解していました。これもグノーシスで、原型的な人間といえば、アダムです。
コリントの信徒への手紙一の十五章で、パウロはこのように記しています。
聖書に「最初の人アダムは生ける魂となった」と書かれているとおり、最後のアダムは生命を与える霊となりました。
しかし、霊的なものが先にあったのではなく、自然なものが先にあり、霊的なものが後にあったのです。
はじめの人(アダム)は地の塵から、二番目の人(イエス)は天から来たのです。
パウロの秘密の知恵は、ソフィア(グノーシスのマリア)の秘儀(受難、堕落、回復)に関連しています。つまりキリストの受難、磔刑、復活です。
しかし、わたしたちは、完全な者たちのあいだで知恵(ソフィア)を語るのであって、この世(イオン)の知恵や、この世の支配者(アルコン)たちの知恵を語るのではありません。
しかし、わたしたちは神の知恵を神秘の内に語っています。それは、神がわたしたちの栄光のために、世に先立って定められた隠れた知恵です。
それを知っていたなら、栄光の主を十字架につけることはなかったでしょう。
イオンには、時代、空間、天界(プレローマ)、地下の広大な空間、次元を支配する霊的存在など、さまざまな意味があります。
パウロから教えを受け継いだワレンティヌス派の神学によると、コスモスのイオンは、デミウルゴスと呼ばれる簒奪神、邪悪な創造神、聖書のヤハウェを指します。
ワレンティヌス派の神学者たちは、パウロによると、モザイク律法(旧約聖書にある六一三の戒律)と旧約聖書の一部には簒奪神に由来する儀式が含まれている、と主張しました。
アルコンはギリシャ語で支配者を意味します。紀元後一、二世紀には、ヤルダバオート、サクラス、サマエルなどの多くの名前で知られていました。
パウロなどのグノーシスたちがキリスト教を歪めた、ともいえますし、もともとキリスト教はグノーシスだった、ともいえます。
グノーシスがイヤなのであれば、イエスの教えに立ち返るしかありません。日曜日に教会に行く必要はありませんし、聖書の文言に固執する必要もありません。
クリスチャンではない、キリストのフォロワーとして生きるのです。
伝道の後援者
パウロは「キリスト教」の伝道活動を行ったのですが、不審な点があります。
使徒言行録の二十三章にあるように、パウロは争乱を起こした張本人ということで、エルサレムでローマに逮捕されました。
ユダヤ人たちはその後、パウロを暗殺する計画を立てましたが、ローマの千人隊長リシアは陰謀に気づき、パウロをなぜかカイサリアに移送しました。
そしてパウロは、ユダヤ総督のアントニウス・フェリクス(五年ごろ~)の裁判を受けることになります。
フェリクスの妻はヘロデ・アグリッパ二世の妹、ドルシッラです。つまりパウロのお仲間です。
パウロはフェリクスに、どこから来たのかと聞かれただけでした。その五日後、サンヘドリンの面々が訪れてパウロを告発しましたが、パウロは否定しました。
フェリクスは千人隊長リシアが証拠を提出しに来るまで裁判を長引かせました。ですがパウロから賄賂をもらいたくもあったので、無罪にはしませんでした。
ドルシッラはパウロに会って話を聞きたいと言ったので、パウロは夫婦に福音を伝えました。残忍で欲まみれと評判だったフェリクスは恐れおののきましたが、結局悔い改めることはありませんでした。
フェリクスとドゥルシラは、その後もたびたびパウロを訪ね、話をしました。そして次のユダヤ総督フェストゥスが到着するまでの二年間、パウロは緩い軟禁状態に置かれました。
フェストゥスは、パウロがヘロデ・アグリッパ二世と妹ベレニケに自分の訴えを提出できるよう手配してやりました。
パウロの裁判がはじまると、ユダヤ人の指導者たちは罪状をあれこれと言い立てましたが、立証することはできませんでした。
フェストゥスはパウロに、エルサレムでもう一度裁判を受ける気があるかとたずねましたが、パウロはローマ市民として「皇帝に上訴する」権利を行使しました。
そしてパウロはローマに送られ、ローマにおいて宣教することになります。
このようにパウロは、ヘロデ家の人間やローマの支援を受けていたと考えられます。
コリント人への手紙二の十一章にはこうあります。
かれらはキリストのしもべなのか。(わたしは狂ったようにいう)わたしはかれら以上にそうである。労苦はもっと多く、鞭打たれることはもっと多く、獄に入れられることはもっと多く、死に面したこともしばしばあった。
ユダヤ人たちのうちで、わたしは四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、ローマ人に鞭打たれたことが三度、棒で打たれ、一度石で打たれ、三度難破に遭い、一夜一日、深みにいた。
たびたび旅に出、水の危険に遭い、強盗に襲われ、同胞に襲われ、異邦人に襲われ、町の中で危険に遭い、荒野で危険に遭い、海で危険に遭い、偽りの兄弟たちのあいだで危険に遭った。
これが事実であれば、後援者なしでは命がいくつあっても足りません。
例えば、使徒言行録の二十一章にはこうあります。
かれら(民衆)がパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が騒然としているという知らせが千人隊長に届いた。
隊長はすぐに兵士と百人隊長を連れ、かれらのところへ走って行った。人々は隊長と兵士たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。
いくつかの偽典によると、パウロは皇帝ネロの命令によってローマで斬首されたとのことです。
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