62.アッティラ
画像はウィキペディアから転載。
アレクサンドロスの予言
スキタイ人やゴグとマゴグと広く同定されているのが、フン族です。
フン族は、中央アジアやコーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民です。

コーカサス山脈といえば、アレクサンドロス大王の伝説です。
アレクサンドロス大王の日出ずる国での活躍ぶりは、シリア語の『アレクサンドロスの伝説』の冒頭で簡潔に要約されています。
マケドニア人ピリポの子アレクサンドロスの功績。かれがいかに世界の果てまで行き、鉄の門をつくり、北風に向かってそれを閉じたか。フン族が諸国を略奪するために出てこれないように。
すでに何度かお伝えしていますが、アレクサンドロス大王は、コーカサスの二つの峰のあいだにある峠まで敵を追い詰めます。そして神の助けによって、鋼鉄の巨大な壁(門)を建設し、峠を閉じます。
アレクサンドロスは、コーランではドゥル=カルナイン(二本の角を持つ者)に対応します。

コーランには対応する部分はありませんが、シリア語の『アレクサンドロスの伝説』の結論によると、アレクサンドロスはゴグとマゴグを防ぐために壁を築いたあと、その壁に予言を含む碑文を刻みました。
アレクサンドロスの最初の予言は、八二六年後にフン族が門を破り、峠を越えて略奪にやってくる、というものです。
そして九四〇年後、罪の時代と世界規模の戦争が起きます。
「主は王たちとその軍勢を集め」、壁を壊す合図を出し、フン族、ペルシャ人、アラブ人の軍勢が「互いに絡み合って倒れ込」みます。そして「地は人の血と糞とで溶け」、その後ローマが戦争に参戦し、天の果てまでを征服します。
アレクサンドロスは最後に、預言者エレミヤのエレミヤ書一章を引用します。
そのとき、主はわたしに言われた。「北から災いが起き、この地のすべての者の上に臨む」。
アレクサンドロスの家庭教師はアリストテレスです。帝政ローマ期の著述家ヨセフスは、アリストテレスは自分の教義をユダヤ教から直接導き出した、と記しています。
ユダヤ人の精神の発達に最も影響を与えたギリシャ人であるアリストテレスは、ユダヤ人の伝説に関わる数少ない異邦人の一人である。
なのでアレクサンドロスはセム系の一神教を知っていたわけです。
アレクサンドロスはとにかく人気者で、たとえばアッバース朝以降の伝統では、古代イランの王として伝えられています。
ここまですべて事実であるかのように記していますが、アレクサンドロスの予言などは、書に記されたまさに伝説です。本人がいったかどうかはだれにもわかりません。
ただの物語、つまり嘘なのかもしれませんが、どの文化もアレクサンドロスに寄せたかった、という点を考えると、やはり無視して通ることはできません。
八二六年後と九四〇年後という二つの日付は、ご想像のとおり黙示録(世界の終わり)に対応しています。
ウィキペディアによると、この「八二六年後」は、実際には五一四年から五一五年ごろのようです。
この時期は、サビル族がコーカサスの峠を強行突破してアルメニア、カッパドキア、北メソポタミアに攻め入ったころです。予言の成就です。

サビル族はフン族とも呼ばれました。
また、ハザールは六世紀の東ローマ史料において、サビル(サベイロイ)と呼ばれていました。
『戦史』の著者プロコピオスによると、「サビルはフンの一族であり、カフカスあたりに居住し、多数の首長のもとに適当に分かれている」ということです。
言語学者で歴史学者のケヴィン・ヴァン・ブラーデルが指摘したように、ギリシャとアルメニアの資料によると、これらの現実の侵略は終末論的な用語で解釈され、ゴグとマゴグに連想されていました。
当時の人たちが現実を執拗に終末論と結びつけていたので、後世の歴史家などは執拗にゴグとマゴグを追いかけなければならないわけです。
ヒエロニムス
キリスト教の聖職者で神学者、また四大ラテン教父の一人であるヒエロニムス(三四七年ごろ~)は、ラエタという娘に宛てた手紙でこう記しています。
ヒエロニムスの筆致はとても豊かで、そのときの情景や感情がしみじみと伝わってきます。
ローマにおいてさえ、いま、異教は孤独の中にある。かつて異邦人の神々であった者たちは、荒れ果てた尖塔の下に残され、フクロウや夜鳥の仲間となっている。……インドから、ペルシャから、エチオピアから、わたしたちは常に修道士の一群を迎えている。アルメニア人は矛を捨て、フン族は詩篇を学び、スキタイの霜は信仰の炎で暖められる。赤らんだ亜麻色の髪のゲタイ族は、軍隊とともにテント教会を持ち歩いている。おそらく、かれらがわれわれと対等に戦う理由は、同じ宗教を信じているからだろう。

ちなみにヒエロニムスはベツレヘムで、著述のかたわら聖書の翻訳を行い、四〇五年ごろに完成させました。この聖書は二十世紀の第二バチカン公会議までカトリックのスタンダード聖書でした。
四一〇年、西ゴート族の最初の王アラリック一世(三七〇年~)は、都市ローマを陥落させました。有名な「ローマ略奪」です。
ヒエロニムスはこのニュースを聞いて愕然としました。
あの強大な都(ローマ)の娘たちが、いつの日かエジプトやアフリカの海岸を召使いや奴隷としてさまよい歩くようになるとは、……だれが信じたであろうか。……わたしはエゼキエル書の注解を脇に置き、ほとんどすべての勉強を中断した。今日、わたしたちは聖書の訓戒を行いに移さなければならない。聖人の言葉を語る代わりに、それを行動しなければならない。
当時の混乱した状況と教父としての決意が伝わってきます。なにか「かっこいい」とさえいいたくなってしまいます。
数年後、「蛮族」はエジプトを北上し、パレスチナに侵入してきました。ヒエロニムスは再び勉強を中断され、さらにその後、異端のペラギウス派たちの攻撃に遭い、またもや勉強が中断されました。
ペラギウス派たちは荒くれ者をベツレヘムに送り込み、ヒエロニムス指揮下の修道士と修道女を強引に解散させました。何人かの修道士は殴打され、助祭が殺され、修道院は放火され、ヒエロニムスは一時身を隠さなければならなくなりました。
そんな激動の時代に書かれた、ヒエロニムスによるエゼキエル書の注釈にはこうあります。
三十八章:マゴグの王ゴグは、メシア時代前の最後の攻撃としてイスラエルを攻撃する。(マゴグの王ゴグは)エゼキエルがイスラエルに対抗する勢力を擬人化した造語なのかはわからない。この名前は、六世紀の小アジア西部のリディアのギュゲスに似ていると指摘されている。シュメール語で闇を意味するギュグが示唆したのかもしれない。ゴグの滅亡をあらわす言葉は黙示録的である。黙示録では、ゴグとマゴグはサタンと結ばれている。
「メシア時代」は、メシアが君臨し、平和と兄弟愛をもたらす永遠の時代のことです。
フン族は三七〇年までにヴォルガ川に到着し、四三〇年までにはヨーロッパに広大な支配権を確立しました。

支配はたったの六〇年で、かなり短命に終わりました。
西ゴート族
フン族は、ゴート族やローマ帝国の国境の外にいたゲルマン民族たちを征服し、ローマ帝国領内に逃亡させました。俗にいうゲルマン民族の大移動です。
セビリアのイシドールス(五六〇年ごろ~)の著書『ゴート族、ヴァンダル族、スエビ族の王の歴史』によると、ゴート族もまたゴグとマゴグの子孫です。
ゴート族が非常に古い民族であることは確かである。最後の音節の類似性から、かれらの名前の起源はヤペテの子マゴグに由来すると推測する者もおり、かれらはおもに預言者エゼキエルの著作からこれを推論している。しかし以前は、学識ある人々はかれらのことをゴグやマゴグではなくゲタイ族と呼ぶ習慣があった。わたしたちの言葉でかれらの名前を解釈すると、「テクティ」(守られた)であり、それは強さを意味する。ローマ帝国の権力をこれほど苦しめた国は世界にはなかったからだ。かれらはアレクサンドロスでさえ避けるべきだと言い、ピュロスが恐れ、カエサルが戦慄した人々である。
なんでもエゼキエル、なんでもゴグとマゴグです。なので後世のわたしたちは、歴史を知るうえではゴグとマゴグを避けては通れないのです。
四世紀後半、ゴート族の土地はフン族によって東から侵略されました。
ゴート族のいくつかの集団はフン族の支配下に入りましたが、ほかの集団はさらに西に移住したりローマ帝国内に避難したりしました。
ゴート族はドナウ川を渡ってローマ帝国に侵入し、三七八年のハドリアノポリスの戦いでローマに壊滅的な敗北を与えました。

ゴート族はトラキア(バルカン半島)からコンスタンティノープル(エグナティア街道の東端)を目指し南下をはじめました。迎え撃つローマ軍もエグナティア街道を東進し、両軍の中間にあたるハドリアノポリス(エディルネ)で戦端が開かれました。
このゴート族は西ゴート族として知られるようになりました。アラリック一世(三七〇年~)の指揮の下、ぞろぞろと移動し、最終的にはイベリア半島のトレドに西ゴート王国を築きました。

五世紀には、フン族の支配下にあったゴート族が独立しました。こちらは東ゴート族として知られ、テオドリック大王(四五四年~)の指揮下でイタリアに東ゴート王国を築きます。

中世ヨーロッパのはじまり
フン族は、とくにアッティラ(四〇六年ごろ~)の時代に、ローマ帝国の東部に壊滅的な襲撃を加えました。
四五一年、フン族はガリアに侵入し、カタラウヌムの戦いでローマ人と西ゴート族の連合軍と戦い、四五二年にはイタリアに侵入しました。

アッティラはこのような「名言」を残しています。
「我は第一の投槍を投ずるであろう。我に続くことを拒むものはただ死あるのみ」(アッティラが味方を鼓舞する際に言った言葉)
「蛮族」と呼ばれるだけあり、攻撃、攻撃、また攻撃のメンタリティーです。しかも武装も上等です。
戦いの結果は痛み分けで、アッティラ率いるフン族は壊滅的な打撃を受けて退きましたが、ローマ軍も追撃不可能なほどの被害を受けました。
コーカサス山脈の上と下では、文化がまったく異なります。つまり「蛮族」はコーカサス山脈からちょいちょい南に侵入してきたものの、おおごとにはならず、文化的にも踏みとどまっていたわけです。
それもこれもアレクサンドロスが鉄の門を築いてくれたおかげです。ですが悪魔のような連中は、いずれ雪崩を打って襲いかかってきます。
獰猛な「蛮族」はリアルに北にいるので、当時の人たちはリアルに恐ろしかったことでしょう。黙示録などで予言されてもいるので、もう終末の世の訪れは決定事項です。ゴグとマゴグはいずれ絶対必ず侵入してきます。
そして西ローマの勢力は弱まり、フランク族のガリア侵入がはじまりました。

いわゆる中世ヨーロッパ、「暗黒時代」のはじまりです。当時の荒廃ぶりを想像すると、多くの人が「終末の世」を想っていたのではないでしょうか。
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