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二進法のルーツは「東洋の知恵」? ある数学者が驚愕したデジタルの意外な正体

深夜、あるいは静まり返った早朝。

誰もいないリビングで、パソコンのファンが「ファー……」とかすかに唸っている音を聞いていると、なんだか自分まで、この機械の一部になったような奇妙な一体感を覚えることがあります。

子供たちがようやく寝静まったあとの、静かなキッチン。

明日の朝食の予定をぼんやり考えながら、お湯が沸くのを待ってスマホを眺めている、あのなんとも言えない時間。

手に触れるスマホの画面は、少しだけ冷たくて、どこまでも滑らか。

こんなに無機質で、情緒なんて欠片もなさそうなこのデバイスが、今の私の「生活の全て」を繋ぎ止めている。

そう考えると、ありがたいような、得体の知れない怖さを感じるような、ある種の畏怖を抱えながら、今日も私たちは無意識に、この板をなでています。

指一本で世界と繋がれる、この手の中の機械。

そこに流れているのは、冷たくて、どこまでも合理的な 「0と1」のリズム です。


私たちの日常を支える「0と1」の正体

以前、誰かが「デジタルって、究極の二択だよね」と言っているのを聞いたことがあります。

スイッチが入っているか、いないか。

電気が流れているか、いないか。

私たちの写真は、動画は、そしてこの文章さえも、細かく分解していけば、最後はたった二つの数字、「0」と「1」の迷路に行き着くのだといいます。

いかにも現代的で、機械的で、少しだけ寂しいような気もする、その仕組み。

でも、実はこの「二進法」という考え方のルーツを辿っていくと、なんだか意外な、温かみのある光景に見えてきました。


過去からの手紙?ライプニッツを驚愕させた図形

17世紀のドイツに、ライプニッツという天才数学者がいました。

彼は、「0と1だけで、この世の全てを計算できるはずだ!」と意気揚々と二進法を研究していました。

そんなある日、彼は中国にいた宣教師から、一通の手紙と、ある不思議な図を受け取ります。

そこに描かれていたのは、3000年以上も前の古代中国から伝わる占い、 『易(えき)』の記号 でした。

棒が一本の「-(陽)」と、真ん中が切れた「--(陰)」。

この二種類の棒を組み合わせただけの、一見すると暗号のような模様。

ライプニッツは、その図を見た瞬間、椅子から転げ落ちんばかりの衝撃を受けたといいます。

「これは……私が考えている二進法のように解釈できる構造だ!」

最先端だと思っていた二進法のロジックは、何千年も前の人たちが、「陰」と「陽」という名前で、似た発想がはるか昔から存在していたのでした。

二進法の「1」は、力強い太陽の「陽」。
二進法の「0」は、静かな影の「陰」。

現代の視点では、陽を1、陰を0のように読み替えることもできる。時代も場所も全く違う誰かが、同じ宇宙のリズムを見つけていた。

そう思うと、この無機質なスマホが、急に、古代から受け継がれた 「魂のバトン」 のように見えてくるから不思議なものです。


宇宙は意外と、シンプルな「リズム」でできている

ライプニッツは、この一致を見て「0は無を、1は神を象徴している」なんていう、少し壮大なことまで考えたみたいです。

無(0)から、一(1)が生まれる。そこに全宇宙の創造という壮大な物語を見出し、二進法を「神を讃えるための、全人類共通の言語」にしようとさえ、彼は本気で夢見ていたそうです。

さすがに現代を生きる私としては、そこまで飛躍するのは少し踏みとどまってしまいますが……。

でも、私たちが今日「どの靴を履こうか」と迷う朝の数秒間も、何万枚というスマホの写真も、最後はすべてこの二つの要素の積み重ねでできている。

あまりに情報が溢れすぎている今の日常で、その潔さはなんだか不思議な法則のように感じます。


その先にある、「0でも1でもある」不思議

さらに面白いのは、話がここでは終わらないことです。

最近よく耳にする「量子コンピュータ」の世界。

そこでは、もはや「0か1か」という古い決まりごとさえ通用しなくなるといいます。

「0でもあり、1でもある」という、まるで魔法のような 重ね合わせの状態

これ、個人的には 「寝かしつけ後の、寝室のドアをそっと閉める瞬間のわが子の状態」 によく似ている気がしました。

扉を閉めきるまでは、熟睡(0)か号泣(1)か確定していない。親のわずかな「あ、成功した」という気配(=観測)が、結果を左右してしまうあのヒリヒリした緊張感。

量子ビットという最先端の粒子も、実は子育て世代が毎晩味わっている、あの 「予測不能なスリル」 の中に存在しているのかもしれません。

実はこれも、東洋哲学では「太極(たいきょく)」 という数千年前からの言葉で説明されていました。

陰と陽に分かれる前の、全てが混ざり合った原初のリズム。

量子力学の育ての親、ニールス・ボーアという博士は、この不思議な一致に感動して、自分の紋章にあの「太極図」を選んだのだとか。

数千年前の人が静かに見つめていた「宇宙の真理」に、不思議な共鳴を感じた人もいるのかもしれません。

そう思うと、この無機質に見えるデジタルの迷路も、大きな「流れ」の一部のように感じられて、怖さが和らぐ気がします。


スマホを置いた後の、少しだけ静かな夜

結局、ライプニッツが驚いたのも、私たちがスマホを手放せないのも、根本にあるのは同じ 「繋がりへの渇望」 なのかもしれません。

0と1が織りなす、古代と現代の不思議なシンクロニシティ。

今夜、スマホの充電ケーブルを差すとき、ほんの一瞬、3000年前の誰かに思いを馳せてみる。

「そちらの陰陽はどうですか?」なんて、聞けるはずもないけれど......

さて、明日の仕事のために、そろそろ私のやる気も「0」にして、静かな陰の時間に入ろうと思います。

宇宙は 0 と 1 で明快にできているのに、明日の子供の着替えが足りるかどうか、そんな些細な二択にさえ答えを出せないまま、私は今日も、ただ布団の中に逃げ込んでしまうのです。


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