カーネーションよりも深く
娘が保育園で描いてきた、私の似顔絵。
赤いクレヨンが顔からはみ出し、髪の毛はなぜか紫色のグルグル巻き。
「お母さん、これプレゼント!」と誇らしげに差し出してきたその画用紙の端っこには、彼女の指先に付いていたであろうピンク色の粘土の欠片が、小さくこびり付いていました。
夏になれば、彼女ももう4歳。
最近は少しずつ自分のこだわりが出てきて、クレヨンの色選びにも時間がかかるようになりました。
台所の隅で、そのカサカサに乾いた粘土を爪でそっと剥がしながら、私はふと、ある不思議な現象を思い出していたのです。
私たちは、子どもが生まれた瞬間に別々の体になるのだと信じています。
へその緒が切れたあの日から、私たちは独立した個体として、それぞれの人生を歩み始めたのだと。
けれど、私たちの身体が記憶している事実は、もっとずっと執念深く、そして泣きたくなるほど身勝手で、温かなものでした。
身体が記憶している「秘密の約束」
マイクロキメリズム、というどこか無機質な名前で呼ばれるその現象は、生命が交わした「秘密の約束」のようです。
彼女が生まれる少し前、今から4年ほど前のこと。
まだ私のお腹の中にいた彼女を構成する小さな細胞の一部は、胎盤をすり抜けて私の体の中へと静かに流れ出していました。
そしてもっと驚くべきことに、その小さな細胞たちは出産後も消えることなく、母体の脳や心臓、肺といった場所に、自分たちの住処を見つけて住み着いてしまったといいます。
ある研究では、子どもを産んだお母さんの脳内から、わが子由来の細胞が数十年にわたって検出されたそうです。
わが子が成長して家を出て、いつか私の背丈を追い越し、たとえ何年も会わない日々が続いたとしても、私の脳の中にはずっと、あの日の幼い彼女が生き続けている。
私が一人で何かを考え、悩み、ふと窓の外を眺めるとき。私の思考の波打ち際で、彼女の細胞が一緒にその景色を眺めているのかもしれません。
この「身体の同居人」の存在を知ってからは、自分がひどく落ち込んだり、誰かを心の中でこっそり毒づいたりするとき、ふと落ち着かない気持ちになるようになりました。
私の脳内にいる純粋な彼女に、大人げない本音をすべて覗き見されているような……。
科学を知る前にはなかった、なんとも言えない気恥ずかしさを覚えるのです。
自分の頭の中という、世界で一番プライベートなはずの場所にまで、隠し事のできない同居人がいる。
そう思うと、もうここは私一人だけの場所ではないのかもしれませんね。
免疫学が見つけ始めた「大使」の存在
これは決して、一方的な居候ではありません。
近年の免疫学研究では、子どもの体内に残った母親由来の細胞が、免疫システムに「お母さんは自分の一部だよ」と教え、攻撃を抑えさせる役割に関わっている可能性も示唆されています。
まるで「お母さんを敵だと勘違いしないでね」と、身体の奥で静かに語りかけているようです。
母親が子どもを守るように、細胞たちもまた、生涯をかけて互いの免疫の平穏を守るためのアンバサダーとして、身体の奥底で働き続けているのです。
さらに、こんな切実な話もあります。
お母さんの心臓が傷ついたとき、子供の細胞がその場所へ急行し、自らが心筋細胞に姿を変えて、傷口を塞ごうとする。
それは、言葉を覚える前のわが子から贈られた、最も純粋な恩返しです。
ピンク色の粘土が剥がれ落ちたあとの画用紙を眺めながら、私は自分の左胸にそっと手を当ててみます。
ここにも、あるいは今この一文を綴っている脳の深い場所にも、私の意思とは無関係に、彼女の一部が今日も静かに息づいています。
糊の地層と、贅沢な沈黙
カーネーションを贈る手と、それを受け取る手。
私たちは、お互いがお互いの一部を体内に宿したまま、孤独なふりをして生きているだけなのかもしれません。
そう思うと、部屋のあちこちに散乱している、糊でベタベタになったハサミや、派手な色の画用紙の切れ端さえも、なんだか細胞同士が交わしている賑やかな便りのように見えてきます。
ふと、浸っていた余韻を現実に引き戻したのは、指先に触れたあの不快な「ペタペタ」でした。
見れば、娘がさっきまで工作をしていたハサミには糊がべったりと付き、テーブルの上にも白く乾いた跡を残しています。
慌てて濡れ布巾で拭き取ろうとしたものの、かえって糊が薄く広がり、テーブル全体がうっすらと白く、逃げ場のない粘り気に包まれていきました。
この思い通りにいかない状況も、私の脳内に住む彼女の細胞が「お母さん、そんなに格好つけなくていいよ」と笑っているせいだとしたら、まあ、今日くらいは許してあげてもいいのかもしれません。
明日の朝には、また「早く起きなさい!」と、ついつい小言を言ってしまう自信があるけれど、今夜だけは、脳内の小さな同居人と一緒に、うっすら白くなったテーブルを前に、少しだけ贅沢な沈黙を楽しもうと思います。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
指先に残る糊の「ペタペタ」を拭いながら、以前感じた、あの乾燥した指先で潤いを求める切実な意地のことを思い出しました。
目に見えない「細胞」のつながりも驚きですが、実は私たちの「呼吸」も、無意識のうちにわが子と共鳴しているのかもしれません。
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