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なぜ「よりによって今日」なのか。鏡の中の居候と、私の身体の絶望的なタイミング

「よりによって、今日か……」

鏡の前で、私は崩れ落ちそうになりました。

顎の右端、これ以上ないほど目立つ特等席に、真っ赤な居候が鎮座していました。

「ニキビ」と呼ぶには少しばかり図々しく、大人になった今では「吹き出物」という、どこか情けない響きの呼び名がしっくりきてしまうアイツだ。

今日は、ずっと楽しみにしていた友人との再会の日。

数年越しの再会がようやく叶う、待ちに待った特別な一日です。

どちらにせよ、私の人生において「最高に整った自分」でいたい日の筆頭なのです。

昨夜は丁寧に洗顔をし、少し高い保湿パックまでして、万全の態勢を整えたはずだったのですが。

それなのに、私の身体は、私の意図をあざ笑うかのように、この「赤い火種」をキャスティングしてしまいました。


現場に現れた「オーバースペックな舞台演出家」

なぜ、私たちの身体は、大事な日を正確に狙い撃ちしてくるのでしょうか。

「空気を読む」という能力があれば、せめて明日まで待ってくれたはずです。

でもこの吹き出物、今日突然現れたように見えて、数日前から静かに準備が進んでいたものらしいです。

キーワードは、 CRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン) という舌を噛みそうな名前の物質です。

実は、私たちの脳(特に視床下部)には、オーバースペックな舞台演出家 が住んでいます。

彼にとって「数年ぶりの再会」や「大切なイベント」は、人生の集大成ともいえる「歴史的なプレミア公演」なのです。

主人が緊張やプレッシャーを感じているのを察知した演出家は、舞台裏でハチマキを締め、鼻息荒く号令をかけます。

「おい!主人は今、数年ぶりの再会という戦場に出ようとしている!全セクション、全力で主人の身を守るんだ!」


脳と肌の、熱すぎる連携ミス

この「身を守れ」という号令を、皮脂腺(特殊効果係)は「物理的な防衛力を高めろ」と解釈してしまいます。これが、最近注目されている 脳・皮膚相関 のメカニズムですね。

演出家(脳)から CRH という名の「防衛命令」を受け取った皮脂腺は、奮起します。

「了解!大切な友人に会う主人の肌を、乾燥から守るために、油をどんどん出すぞ!」

そして、演出家はさらなる熱意を見せます。

「火薬が足りない!もっと盛り上げろ!火炎放射だ!」

こうして、主人の意識とは無関係なところで、顔面のど真ん中で特殊効果(皮脂の過剰分泌と炎症)が火を噴きます。

その爆発の跡こそが、私たちが絶望のなかで見つめる「あの吹き出物」というわけなのです。

このような連携ミスは、20代から40代の特にストレスの多い大人で起こりやすい「生存本能の暴走」です。

主人の晴れ舞台を応援しようと張り切りすぎ、あろうことか主役の顔面に、頼んでもいない『特殊効果』を点火してしまった、おっちょこちょいの特殊効果担当なのですね。


演出家への、届かないダメ出し

当然ながら、舞台裏の暴走を知った主演俳優(私)は、心の中で演出家に詰め寄ります。

「いや、今日の再会のシーンに、その火炎放射器はいらないから! もっと静かで上品なスポットライトでいいんだよ!」

しかし、演出家(脳)の耳に、私たちの常識は届きません。

一度始まった特殊効果の爆発は、前夜に奮発した高級パックという名の『開演前の入念な仕込み』を丸ごと飲み込み、顎の上に鮮やかな赤色を添えていく。

鏡を前にして、洗顔フォームの泡を「火消しの水」のように塗りたくります。

けれど、舞台はもう幕を開けてしまった。

私たちは、顔面に予期せぬ特殊効果を背負ったまま、数年ぶりの再会というステージへ向かうしかないのです。


身体は、不器用な親友。

結局、その日の再会は、吹き出物があるせいで逆に肩の力が抜けたのか、予想外にうまくいきました。

「完璧でいなきゃ」という呪縛が、赤い一点のせいで「まあ、長い付き合いだしな」という諦めに変わったからかもしれない。

鏡に向かって、私は演出家(脳)に語りかける。

「次は、火炎放射じゃなくて、スポットライト程度にしてくれないかな」

もちろん、返事はありません。

もしかすると彼は、顎の上の真っ赤な大爆発を「今日一番の傑作」だと思って、舞台袖で自分に酔いしれているのかもしれませんね。

不器用な愛だなんて、言葉で自分を言いくるめてみても、鏡の中で熟れきった居候を眺めるたび、「応援上映のチケット代、返せよ」と心の中で小さく悪態をついてしまうのも、また私なのです。


次に大事な日が来るとき、私はまた新しい吹き出物と遭遇するかもしれません。

けれど、それが自分の身体が必死に自分を「守ろう」とした、あまりにも不器用な愛の形だと思えば、少しだけ、その赤い居候を許してあげられるような気がする。

私たちの日常は、こうした「身体の空回り」という名の偶然で満ちている。

それを不気味だと思うか、それとも救いだと思うか。

少なくとも、私の演出家は、今日も私を誰よりも応援していることだけは確かなのです。


▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ

昨日の敵は今日の友。脳が「パン屋」という職業には勝てず、なぜか私たちの名前だけを器用に忘れてしまう。そんな不思議なお話です。

「せっかくの休日くらい、ゆっくり寝かせてよ」という主人の切実な願いを、ホルモンという名の目覚まし時計が全力で叩き起こしてしまう。身体の「良かれと思って」が空回りする、もうひとつの朝の風景です。

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