「これは文明的なマナーなんだ」と言い聞かせ⋯。目をそらすことに命をかける、すれ違いの流儀
世の中には、挨拶をするには少し早すぎて、かといって無視するには不自然だという、魔の距離が存在するようです。
およそ30メートル。その絶妙な空白を前にした時、私たちの心は、昨日まで信じていた平和な日常を忘れて、急激に戦闘モード……あるいは、徹底的な逃避モードへと切り替わります。
それは、ある朝の何気ない通勤路での出来事でした。
少し硬めの新しい靴をコンコンと鳴らし、どこか落ち着かない気分のまま駅へと急いでいた時のことです。
視界の端、およそ30メートル先。
見覚えのある「グレーのコート」と、独特の歩き方の人物がこちらに向かって歩いてくるのが見えました。
近所で見かける、たしか隣の通りのあの方です。
その瞬間、私の脳内では緊急アラートが鳴り響きます。「挨拶すべきか?」「いや、まだ遠すぎる」「今目が合ったら、残りの25メートルをどんな顔で歩けばいいんだ?」
気づけば私は、カバンからスマホを取り出し、さっき確認したばかりの「今日の天気予報」を、まるですべての真理がそこに書かれているかのような真剣な眼差しで見つめていました。
挨拶までの「空白の30メートル」をどう生き抜くか
知っている人と、まだ挨拶を交わすには早すぎる距離ですれ違う時。あの なんとも言えない気まずさ というのは、一体どこから来るのでしょうか。
目が合った瞬間に「あ、どうも」と会釈をする。言葉にすればそれだけのことなのに、もしそれが30メートル手前だったとしたら、話は別です。
心理学的な研究によると、人が自然に挨拶を交わせるベストな距離は、だいたい 3〜4メートル ほどだと言われています。これなら、お互いの顔がはっきり見えてから、流れるように会釈まで繋げられます。
問題は、その10倍も手前の「30メートル」で気づいてしまった時です。
すれ違うまでの数秒間、ずっと微笑みを浮かべ続けるのは、なんだか顔の筋肉がひきつってしまいそうです。かと言って、一度パチッと目が合ってから、すれ違う直前までフイッと視線を逸らすのも、「一度捕らえた獲物を逃した」みたいで、なんだか気まずい。
結局、私たちはどこを見ればいいか分からなくなって、
・アスファルトの石を、宝石の鑑定士のような目つきで数え始める
・カバンの奥底にある、クシャクシャのレシートの感触を無心で確かめる
・電信柱に貼られた電話番号を、電話する予定もないのに暗記しようとする
といった、 誰も頼んでいない不自然な挙動 を繰り出すことになるのです。
それは「無視」ではなく「文明的な無関心」というマナーだった
あまりの自分の挙動不審さに嫌気がさして調べてみたのですが、実はこれ、社会学の世界では立派な名前がついている現象なんだそうです。
その名も 「儀礼的無関心(Civil Inattention)」 。
社会学者のアーヴィング・ゴフマンという人が提唱したもので、都会のような人が密集する場所で、相手の存在を認識しつつも、あえて過度な関心を示さない。これこそが、お互いのプライバシーと自由を守るための、高度に洗練されたマナーなのだといいます。
「私はあなたを監視していませんよ」「あなたの自由な空間を邪魔しませんよ」という、沈黙による 最大の敬意 。
なるほど。
私が廊下で必死にスマホの画面を見つめていたのは、決してコミュニケーションを拒絶した不器用な会社員の姿ではなく、あの人のプライバシーを命がけで守ろうとした、文明人の鑑だったわけです。
そう思うと、少しだけ、ほっとした自分がいました。
以前、服屋の店員さんに話しかけられた時にも似たような感覚を抱いたことがありますが、あの時も私は無意識に、自分だけの「文明的な聖域」を守ろうとしていたのかもしれません。
現代人の最強の盾、スマホという聖域
ただ、この「文明的な無関心」を発動させるためのハードルは、現代において少しだけ下がったような気がします。
昔の人なら、地面のアリを数えたり、空の雲の形を真剣に観察したりするしかなかったはずですが、今の私たちには スマホという無敵の盾 があります。
画面を点灯させれば、そこには情報という名の防波堤が広がり、外界からの視線をシャットアウトしてくれます。
もし特に通知がなくても、さっき見たばかりの「ニュースのヘッドライン」を二度見したり、計算機アプリを開いて「12,345 × 0」なんていう、答えがわかっている計算を大真面目にするだけで、私たちは「忙しくて周囲が見えていない人」という免罪符を手にすることができるのです。
ただ、あまりに盾を使いすぎると、今度は「あの人はいつもスマホを見ていて、挨拶もしない」なんていう別の誤解を招く可能性もあって、本当に 人間関係の距離感 というのは、一筋縄ではいきません。
結局のところ、近づきすぎても、離れすぎても、私たちはどこか「思うようにいかないもどかしさ」を感じてしまう生き物のようです。
理屈はわかりました。
私が目をそらすのは、不器用だからではなく、文明人としての高度なマナー。
そう自分に言い聞かせながら、今夜もまた、会社の帰り際のエレベーターに乗り合わせるであろう誰かと、階数表示を まるでダイヤモンドの原石を見つめるような情熱 で凝視する準備をしています。
そしてきっと明日も、あの人と目が合いそうになった瞬間、文明人としての誇りを持って、靴紐が解けてもいないのに全力で結び直す儀式を執り行うことになるのでしょうか。
▼もう少し「ふしぎ」を眺めたい方へ
気まずい時間をスマホでやり過ごすように。ちょっとした空白に耐えられず、指先で時間稼ぎをしてしまう私たちの寂しがりな本能について。
すれ違いざまに視線をそらすように。電話口でなぜか声が高くなるのも、大切な人と静かな距離を守るための優しい境界線です。
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