映画『レイニーブルー』を観て思った取り留めもないこと…(感想に非ず)~生きづらさを抱えた、たった一人の「女の子」のために~

最初に断っておく。
映画『レイニーブルー』(柳明日菜監督、2025年。以下、本作)の主人公・中山蒼が嫌いだ。

17歳とはいえ、やりたいことを人に伝えられず、或いは、本当にやりたいことがないのを「映画の脚本を書いている」ことでごまかしているのかもしれないが、いずれにしても、そんな現実の自分から逃げるように、世界に対してシニカルを気取り、同級生だけでなく父親や教師までもを見下す態度。
脚本を書いているとはいえ、図書館から大量に本を借りて引用したり、他人を尾行したりすることでしか何も書けないという中身のなさで、結局、自分の態度が原因なのに、周りがわかってくれないと拗ねたあげく、脚本の中の登場人物たちに自分を称賛するセリフを言わせることしかできない、その哀れさ……
まさに、「自意識過剰がセーラー服を着ている」主人公……

55歳のオヤジの私は、逆に「それが"思春期"だね。わかるよ」などと物わかりの良い大人を見せることはできるが、どちらの態度をとっても、どうせ彼女は反抗的な態度をとるだけだろうから、本音を言っておいた方がラクだ。

私は本作を批判しているのだろうか。
というか、最終盤まで本当に批判的な気持ちで観ていた。

本作は、俳優でもある柳明日菜の監督作品であり、偉大な俳優・笠智衆氏を輩出した熊本県の母校を舞台としている。
近年、俳優が監督する映画が何本も公開されていて、本作もその系統かと思ったが、実は違う。

「映画を作りたい」と強く思ったのは、高校2年生、16歳のとき。
映画に詳しかったわけでもなく、ただ演劇で創作に夢中になっていた私は、直感に突き動かされました。その勢いで、熊本県の観光振興課や南阿蘇村の旅館組合、さらには行定勲監督のもとへ、当時書いた30枚の映画製作の企画書(予算規模:3,000万円)を持ち込みました。
突拍子もない話だったのに、皆さんは真剣に耳を傾けてくださり、行定監督は「映画を観ずして映画は作れない。柳の本気を見せなさい」と、私を含む高校生30名を「くまもと復興映画祭」に招待してくださいました。

本作パンフレットより

「くまもと復興映画祭」はその名のとおり、2016年に発生した熊本大地震の復興のために、翌2017年から開催されている映画祭で、熊本出身の行定勲監督は、この映画祭のディレクターを務めている。

熊本の人が熊本愛に溢れているのは、熊本を舞台とした行定監督作品『うつくしいひと』(2016年)が、本作にも出演している高良健吾氏を始め、2022年9月30日放送のTBS系「A-Studio+」で地元愛を語り倒した橋本愛さんなど、熊本出身者で作られていることからもわかる。
ちなみに翌年、公開直後に発生した熊本大地震復興のため続編『うつくしいひと サバ?』を公開している(この時は橋本愛さんの代わりに、やはり熊本出身の中別府葵さんが出演)。

それはそうと私が最終盤まで本作を批判的に観ていたという話だが、そこに至るまでに、おっ!、と思ったシーンがあって、それが上映後に観客の質問に答える監督が放つ言葉で、「日常は退屈なんかじゃない。日常は、生きることは楽しい。それを表現するのが映画だ」みたいなことを言う(初見なので文言は違っていると思う)。
それを観て私は、「映画とは人生の肯定であり、希望だ」みたいなことを考えて、おっ!、と思ったのだが、それは直後のシーンで完全に裏切られる。

だが柳監督は、本作公式サイトでこうコメントしている。

私は、映画や演劇などの文化芸術には「触れた人の心を変える力」があると信じています。私自身、10代の頃、同世代の演劇作品に心を動かされ、「10代のうちに映画をつくる」という夢を持ちました。何をどう始めればいいのかもわからない中、がむしゃらに動き、試行錯誤を重ね、もがきながらも少しずつ形にしてきました。

本作、柳監督のその想いに「落とし前」をつけなければならないはずなのに、相変わらず本人が演じる蒼にはそういったことが起こらない。

もうダメか……と諦めかけたそのとき、物語は動き出す。

先の監督のシーンで「人生の肯定であり、希望だ」という映画観が裏切られたように観えた。
ラストに向かって疾走を始めた蒼を観ながら、それが誤解だったことに気づいた。
「映画」なんだから、観客全員とまではいわなくても、多くの人に「人生の肯定、希望」を与えなくてはならない。そう考えていた。
でも、本当にそうなのだろうか?

映画館の暗闇の片隅で、誰にも気づかれず誰のことも気にする必要がなく声も出さず静かに涙を流す、たった一人の「女の子」のために作られる「映画」があったっていいんじゃないのか?

私はふと、過去の拙稿で何度も引き合いに出してきた、オムニバス映画『21世紀の女の子』(山戸結希企画・プロデュース、2019年)のDVDの特典映像に収められた、「セフレとセックスレス」を撮ったふくだももこ監督のコメントを思い出した。

もうボロボロ涙を流しながら、まだ映画が始まってもいないのに……
その子を見たときに、「ああ、この映画は、そういうことなんだ」って……
もう、映画から産み落とされた「女の子」がここにいたんだって……

この映画には、先に挙げた橋本愛さんも出演していて(「愛はどこにも消えない」(松本花奈監督))、彼女は舞台挨拶でこうコメントしていた。

私もこの映画から何度も救われながら生きていくと思います。

同DVD特典映像より

そう、行定勲監督だって、高良健吾氏だって、橋本愛さんだって、きっと「たった<わたし一人>を救ってくれた」という「映画」があって、だからこそ今、それを届ける側に回っているのではないだろうか。

柳監督もまた、その一人だろう。
本作、ちゃんと「落とし前」はついていた。

本作は、55歳のオヤジのためには作られていないかもしれない。
でも、いや、だからこそ。

「触れた人の心を変える力」があると信じています。

この映画は、映画館の暗闇の片隅に座っている、今この時を生きづらいと感じているたった一人の「女の子あなた」のためだけに、作られている。

メモ

映画『レイニーブルー』
2025年7月28日。@UPLINK吉祥寺

本文で、17歳の蒼のことを『自分の態度が原因なのに、周りがわかってくれないと拗ねたあげく』などと書いたが、25歳当時の泉谷しげるさんだって、こう歌っているのだ。

言葉がたりないばかりに
相手に自分を伝えられず
分かってくれないまわりをうらみ
自分は正しいと逃げ出す

誰が呼ぶ声に答えるものか
望む気持ちとはうらはら

「春のからっ風」(泉谷しげる作詞・作曲、1973年)

本作の蒼は、映画の脚本を書いているとはいえ、誰にも心を開かず独りで悶々・鬱々しているだけだが、それでは映画は作れない。
それは、本作の出演者の人数が証明している。
その中には夏都愛未監督(『21世紀の女の子』では「珊瑚樹」を撮っている)や、SF作家の梶尾真治氏の名前まである(ともに熊本出身。本当に熊本出身の人は熊本愛に溢れている)。
また、熊本出身ではないが、笠智衆氏のお孫さんで俳優の笠兼三氏も出演している。

ちなみに、『うつくしいひと』はしっとりとした大人のロマンス(姜尚中氏と石田えりさん(ともに当然、熊本出身)が素敵)だったが、続編『うつくしいひと サバ?』は復興支援という意味合いもあるのだろう、大笑いではなく心が少し軽くなるようなユーモアタッチの作品だった。なお、映画の中で橋本愛さんはカフェを併設した書店の経営者という役だが、続編で出演が叶わなかった際、物語上は「所用で休み」という設定になっており、だから代わりに店員役で中別府葵さんが出演している(さらに言えば、このカフェは熊本にある『だいだい書店』で撮影されている)。

夏都愛未監督作品(柳明日菜さん出演)

高良健吾さん出演作

鄭 亜美さん(先生役)主演作


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