映画『海辺へ行く道』を観て思った取り留めもないこと…(感想に非ず)~「暇」だからこそ「忙しい」~
「忙しそうだね」と言われて「暇だからね」と、映画『海辺へ行く道』(横浜聡子監督、2025年。以下、本作)の主人公・奏介は応える。
果たして奏介の返しは、矛盾した頓珍漢なものだったのか?
アーティスト移住支援をうたう、とある海辺の街。
のんきに暮らす14歳の美術部員・奏介(原田琥之佑)と後輩の立花(中須翔真)は、夏休みにもかかわらず、演劇部に頼まれた絵を描いたり、新聞部・平井(山崎七海)の取材を手伝ったりと毎日忙しい。
先輩のテルオ(蒼井旬)は海辺に建てた自分のアトリエで何やら忙しそうだ。
街にはあやしげな"アーティスト"たちがウロウロ。
そんな中、奏介たちにちょっと不思議な依頼が次々に飛び込んでくる。
長いサンバイザー、江戸の人魚、静か踊り、カナリア笛、野獣、穴…。
この街は今日も何かがちょっとヘン。ものづくりに夢中な子供たちと秘密だらけの大人たち。
果てなき想像力が乱反射する海辺で、すべての登場人物が愛おしく、優しさとユーモアに満ちた、ちょっとおかしな人生賛歌。
(俳優名は引用者が追記)
確かに、奏介はとても忙しそうに見える。一体、夏休みはいつまで続くのか、と訝しむほどに。いつ寝ているのか、宿題はしなくていいのか、と心配してしまうほどに。
いや、奏介だけじゃない。
他の子どもたちも、勉強そっちのけで、部活動に今しかない青春を懸けている。
みんな、たぶんそうだ。
暇だから、忙しいんだ。
出典が定かではないのではっきりとは言えないのだが、何かのアンケートで、若者がスマホで動画などを見るのは「暇つぶし」のため、という回答が多かったと聞いたことがある。
暇を"つぶす"ためにスマホを見る。確かに彼/彼女たちは忙しそうだ。
でも、本作の子どもたちとは何かが違う気がする。
それはそうだ。本作の子どもたちは、暇を"つぶす"ために芸術や部活動に今しかない青春を懸けているわけでは、(きっと)ない。
たぶん、「暇つぶし」の若者たちは何か勘違いをしているのではないか。
哲学者の國分功一郎氏は著書『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫、2022年)で、こう記している。
「暇」と「退屈」という二つの語は、しばしば混同して使われる。(略)しかし、当然ながら暇と退屈は同じものではない。
暇とは、何もすることのない、する必要のない時間を指している。暇は、暇のなかにいる人のあり方とか感じ方とは無関係に存在する。つまり暇は客観的な条件に関わっている。
それに対し、退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分を指している。それは人のあり方や感じ方に関わっている。つまり退屈は主観的な状態のことだ。
この説に倣えばだから、本作の子どもたちは奏介が言うように「暇」なのだ(勉強とかは置いておいて、というか、きっとみんな、本作で描かれないところでキチンとやっているに違いない)。
それに対し、スマホを見ている若者たちは「退屈」なのだ。
電車に乗っていたり誰かと待ち合わせをしていたりといった時間は『何かをしたいのにできない』状態にある。
つまり、「暇だから忙しい」というのは矛盾ではなく、本来あるべき状態ではないだろうか。
本作終盤でテルオが、『「ものをつくる」ことは何かになるためじゃない。だから、アーティストはみんな「自称」であるべきだ』と、初見なので文言は違っているかもしれないが、凡そこんなことを言う。
「自称」は主体が自分にある。
だから、他者や社会に理解・評価してもらうという概念が、そもそもない。換言すればそれは、「暇」を無条件に他者や社会に明け渡していないということだ(だから「STORY」にあるように、忙しそうだが他者からは『のんきに』見える)。
対して『何かになる』の『何か』とは、他者や社会から見て説明・評価可能な『何か』である。
最近(でもないけれど)はやりの「コスパ」や「タイパ」もそうだが、「パフォーマンス」の評価を、無条件に他者や社会に明け渡している。
だから、本作に出てくる子どもたちがみんな、生き生きキラキラしているのは、自分自身を無条件に他者や社会に明け渡していないからだ。
明け渡していないからこそ、子どもたちはみんな「視野が狭い」。
というと非難しているように聞こえるかもしれないが逆で、自分のやりたい事に集中しているために、いい意味で「周りが見えない」「周りを気にしていない」。
それが本作がスタンダードサイズで撮られている理由でもある。
現代でもスタンダードサイズの新作が多く撮られているが、その理由を「ワイドだと余計なものが映り過ぎる」と語る監督は多い。
本作も恐らくそうで、だから観客は余計な事を気にすることなく、子どもたちと同化することができる。
横浜監督は、長編デビュー作『ウルトラミラクルラブストーリー』(2009年)や『いとみち』(2021年)、短編『りんごのうかの少女』(2013年)など出身地である青森県 、『俳優 亀岡拓次』(2016年)で長野県諏訪市といった具合に地方を舞台にした作品が多い印象だが、本作においても小さな島が舞台となっている(なのに、あれ?「陽人」や「いと」がいる?)。
それはおそらく、「地方称賛、都会批判」でも、ノスタルジーでもなく、横浜監督の中での地方都市は「今ならかろうじて、フィクションとしての"現在の希望"が描ける場所」なのではないだろうか(上映前の舞台挨拶で横浜監督が、奏介役の原田琥之佑について『普段は現代っ子なのだが、カメラに映った彼は、昭和生まれの私が見ても懐かしさを感じた』と評した。つまり、本作は「ありのままの田舎」を撮っているわけではない)。
ということで、子どもたちの"現在の希望"を描いた本作が、2025年の第75回ベルリン国際映画祭のジェネレーションKplus部門でスペシャルメンション(特別表彰)を受けたのは当然のことだった。
横浜監督は「お客様からたくさんの笑いが起こって、その瞬間が一番幸せでした」と授賞式で喜びを語った。(略)
ジェネレーション部門は子どもを題材とした作品が選ばれ、子どもや若者の観客が多いが、本作の上映時間は約2時間20分で同部門としては異例の長さ。
「多くの子どもたちが最後まで見てくれてうれしかった。長い上に商業性のない作家主義の映画なので、参加できただけでそれ以上望むことは何もなかった」と横浜監督。「帰国したらスタッフとキャストに『奇跡が起きたよ、起こしたのはみんなだよ』と報告します」
公式上映では、本作が長編初主演の原田琥之佑と共に登壇。短いエピソードを連ねた構成について観客が問うと、「原作は何話もあり、いろんな人物が行ったり来たりする混沌とした世界を群像劇にしました。余白を残してあるので、それぞれの人物の生き様を想像してほしい」。
日本においても『文部科学省選定(高等学校生徒向き)』なのだそうだが、しかし個人的には、子どもや若者だけでなく、大人たちにも観て欲しいと思う。
何故なら、本作に登場する大人たちは揃いも揃って、他者や社会に無条件に自分を明け渡していないからだ。
1年のある時期だけ弁当を売りに来てある日誰にも告げずにどこかへ去ってしまったり、何故だか海から毎日その弁当を買いに来たり、怪しげな包丁を売ってバレそうになるとすぐに行方をくらましたり、アーティストたちはみんな借金取りに追われているし……
そこには、評価や実績、立場や役職といった他者や社会に説明可能なことは何ひとつないし、「コスパ」も「タイパ」もない。
本作のその世界観は「ファンタジー」だと言うかもしれない。確かに、それは否めない。でも……
私は、本作の子どもたちについて、「無条件に」明け渡していない、と書いた。実際、彼ら/彼女らは、島の人やアーティストのために多くの時間と労力を費やしている。それは、子どもたちの「意思」によるものだ。
だから、本作を「ファンタジー」だと思う大人たちも、「無条件に」明け渡すのではなく、少しでも「意思」を自覚してみてはどうだろう(それは、現状を「諦めて受け入れる」ということでは決してない!)。
そうすれば、もしかしたら「暇」と「退屈」の区別くらいはできるようになるかもしれない。
メモ
映画『海辺へ行く道』
2025年7月17日。@新宿ピカデリー(舞台挨拶付き完成披露上映会)
私は「暇」だから、平日夜にこうして映画を観にゆき、舞台挨拶30分+本編140分を、全く「退屈」せずに堪能した。
それにしても、夏休みとは何と儚いことだろう。
私は田舎育ちなので、「夏休みの間だけいる(いた)子」に馴染みがある。最初から「終わり」が見えているというのは儚い。
本作で描かれているのは「終わり」だ。
高岡(高良健吾)とヨーコ(唐田えりか)も最初から「終わり」を見据えているし、そんなヨーコに淡い恋心を抱く立花もそうだ(『エネルギーが溜まり過ぎて、脳みそがパンパンだ!』というのは共感しかなく、だからこそ、とても切ない気持ちになった)。
弁当屋(坂井真紀)は夏の終わりとともに忽然と姿を消し、「いつもそうだから」と呟く五郎(宮藤官九郎)は、毎年のことと知っていながらも、寂しそうに海へと帰ってゆく。
夢に亡き夫が出てきた老女もそうだし、谷川(剛力彩芽)もアーティストたちがいずれ島からいなくなると知っていてなお恋を繰り返してしまう。
痴呆症気味の老人たちは、回復への希望を断たれる。
謎の凶暴な獣は姿を見せないままいなくなり、そして、夏休みの終わりとともに、テルオも去ってゆく……
夏休みの終わりが切ないのは、夏休みが終わるからだけじゃない。
なお、本文で挙げた『暇と退屈の倫理学』の引用部分は、結論ではない。もとより、その本は「結論」を知るためにあるのではなく、自身で考え「結論」を導こうとするためにある。
文章自体は難しくないので、ちょうど夏休みの時期でもある(本作公開は、夏休みが終わる頃ではあるけれど)ので、「暇つぶし」だと思って、じっくり読んでみるのはどうだろうか。決して「退屈」しないはずだ。
横浜聡子監督作品
高良健吾さん出演作
唐田えりかさん主演作
剛力彩芽さん出演作
山崎七海さん出演作
新津ちせさん出演作
諏訪敦彦さん出演作
宮藤官九郎さん出演作
坂井真紀さん出演作
