【冒険の書 AI時代のアンラーニング】 読書#166
みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。
自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!
今回のキーワードは、冒険です。
そして内容は、教育のお話です。
ヘッダーは、コーヒーさんの作品を使わせていただきました!
ありがとうございます!!
目次
基本情報
孫 泰蔵 (著)
日経BP社 出版
2023年3月13日 第1刷発行
全365ページ
読書所要期間10日
本書も、バリューブックスさんで購入しました!!
私が本書に出会うきっかけ
この本は、私が以前所属していた職場のチーム内で回し読みされていた。
私には、たくさん積読しているものが常にあるため、他の方に順番を譲り、みんなが読み終わり、落ち着いてから読もうと考えていた。
だが、そのうちに私は、そのチームからいなくなった。
ずっと読みたいと思っていたところ、そのチームへ先日足を運んだ際、本棚に戻っているのを目にした。
許可を得て、ついに借りることができた!
私が思う、この本の本質
著者は、AIの開発にたくさん関わってきているそうだ。
その経験の中で、つくづく思うことがあるという。
それは、AIがこれほど発達してきたのに、
「学校教育は、40年前と何も変わっていない」
ということ。
※あくまで、著者個人の感想
つまり、今やっている教育はこの先ますます意味を失っていく中で、
「このままではマズいのではないか」
という危機感を抱いたという。
そこで著者は、知的探求の旅に出た。
その旅路の中で得てきたことを、著者なりの解釈を踏まえてまとめるというのが、本書のスタイルである。
そして、それを多くの人が目にし、拡散していくことを著者自身が期待している。
私が感じたこと
基礎ってなに?
「基礎という神話」という項目があった。
勉強だけでなく、スポーツや音楽などにも言われる ”基礎” 。
・四則演算をスピーディーに解いたり、
・筋トレしたり、
・バーナムをやったり、
などなど。
でも、私の経験を振り返って思う。
私は、基礎練がつまらなかった・・・嫌だった・・・
本書を読んで、
「その対象を楽しむ気持ちそのものや、それに向き合い続けるモチベーションを維持すること」
が基礎ではないかという仮説を、私は持った。
そして、世に言う基礎とは、
「教える側のコストを下げること」
あるいは、
「教えていると満足するための仕組み」
なのではないかとすら感じた。
『なぜ、学校はつまらないのか?』
その答えは、 ”基礎” の考え方にあるのかもしれない。
その ”基礎” と言う考え方が基礎となって、先生たちや大人たちを縛り、子どもたちがそれに引っ張られる形で結果として縛られているのかもしれない。
これはつまり、基礎という名の呪縛の再生産が、長く続いていると言えるのかもしれない。
そこから解き放つため、著者は一つの提案をしている。
それは、『失敗』だ。
3つの区分
「学び」 「遊び」 「働き(仕事)」
これらは、すべて別の意味を持つのだろうか?
私は、教育や子育てを含む子どもの権利について学ぶ前は、すべて別物だと思っていた。
でも、考えてみて欲しい。
「遊び」や「働き」からは、何も「学ぶ」ことはないだろうか?
私は、働きながら、たくさんのことを学ばせていただいている。
子どもたちは、遊びの中からたくさんのことを学んでいる。
「遊び」や「学び」からは、何の「働き」もないだろうか?
「遊び」や「学び」を、「働き」にしている人がいる。
「働き」から、「遊び」や「学び」の要素が見つかることもあるだろう。
「学び」や「働き」からは、何の「遊び」もないだろうか?
「学び」の中から「遊び」は生まれ得る。
私はそもそも、「遊び」と「学び」はイコールだと考えている。
そして、「働き」も楽しい気持ちで、「遊び」感覚を持ってつとめることの重要性が、先日書いた『冒険する組織のつくりかた』でも述べられている。
以上のことから、
『学び=遊び=働き』
であって、本来区分されないものが、社会システムが構築されるプロセスにおいて、残念ながら区別されていった。
しかしこれは、当時のシステム創生期の状況下では正当だったのだろうし、本来は今も正当なのかもしれないが、逆機能的に働いてきてしまっているのかもしれないということを感じた。
親と先生の言うことを聞くな!
私は子どもの頃、「先生になれ!」と親に言われて育ってきた。
私は、完全に親のエゴだと思っていた。
絶対にならないと心に誓って生きてきた。
だから私は、娘たちに対して「〇〇になれ!」とか「どの学校に行け!」とか、「勉強しろ!」とは一切言わない。
ただ、聞かれた時、何か思い悩んでいそうな時にだけ、一意見として、参考例として、言うことはある。
私は子どもの頃、先生は絶対的な存在だと思っていた。
何もかも、完璧な人だと思っていた。
しかし、大人になって気づいた。
「先生も、ただの人だ」と。
それを実感したのが、お酒に酔っ払って道を歩く先生の姿を見たとき笑
「あっ、その辺の大人たちと同じなんだ」と。
言うことを聞かなければならない存在だと、盲目的に捉えていたということを、大人になって理解した。
だから子どもたちには、
「先生が絶対に正しいとは限らない」
「先生も間違うことがある」
と、世の先生方には申し訳ないことかもしれないが、我が家ではそう伝えている。
なぜこれらの話をしたのかというと、著者も親と先生を事例に挙げて伝えていることと、とても通ずるものがあると思ったから。
それは、
『何事も、自分で考える』
ことの重要性を説いているということ。
本当に、その職業になることが良いのか?
本当に、その学校に行くのが良いのか?
本当に、親の言うことが正しいのか?
本当に、先生の言うことをすべて聞かなければならないのか?
本当に、先生は正しいのか?
先生や親の言うことが、結果として合っていることが多いのかもしれない。
でも、それらに絶対的な正解はない。
その答えは、無限にある。
むすびに(まとめ)
自由とは何か?
自由になるために、勉強するのか?
自由になるために、良い仕事に就くのか?
そもそも、良い仕事ってなんだ?
勉強して、ここで言う自由に私はなったのか?
これらは、 ”学校へ行くこと” とどう関係があるのか?
必要性や、唯一・独立な価値が学校にはあるのか?
どうして学校へ行きたくないのか?
勉強がつまらないから、学校がつまらないように感じている前提がないか?
この先間違いなく、私たちはAIとともに生きていかなければならない。
それは、決してマイナスなことだけでないが、慣れないこともたくさん出てくるだろう。
これまでも私たち人間は、他人とともに生きてきた。
これは、この先も絶対に変わらない。
変わりゆくものと変わらないことを共存させつつ、自分らしく生きていかなければならない。
これが、これからを生きる人々の大きな課題なのかもしれない。
この課題に答えはない。
だからこそ、無限ループとも言うべき問いのサイクルを考え続ける、回し続けることが、現在の世に言う『探究』というものであり、『生きる』ということであるのだと私は思う。
つまり、これからの学校では、
『探究』を導入して、私らしく『生きる』を追求する一つの拠点になる
のは間違いないと、私は思う。
今回だけは、いつもと書く内容を変えています。
読む方には伝わりにくいことだと思うのですが、実はかなりマイルールを破って、ネタバレとは言わないまでも、若干ネタの核心に触れる手前まで書いているといった感覚があるのが、今回の記事の特徴です。
というのも、「ネタバレOK!」と著者自身が冒頭書いてくれているからです。
とにかくこの本の内容が少しでも世の中に広まることを重視している著者は、ネタバレによる売れ行きの低下を懸念していないのです。
このような本に、私は初めて出会いました。
だから少しでも、その志を応援したいと思い、書かせていただきました。
著者には、心から感謝です。
本日も、ご覧いただきありがとうございました!!
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