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【第三十一話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【ヒロイン/back number(2015年)】

2015年冬。
スキー場で流れる定番の冬ソングが、雪に反射し僕の心に突き刺さった。

「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。

どんな映画を観たって、どんな小説や音楽だって。
その経験を青春に重ねていた。

そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。

懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。


雪が綺麗と笑うのは


back numberの「ヒロイン」は、2015年を象徴する冬ソングだ。
片想いの定番曲「高値の花子さん」。
年末に聴きたくなる「クリスマスソング」。
映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の主題歌「ハッピーエンド」。
朝ドラ「舞い上がれ!」の主題歌「アイラブユー」。そしてYouTubeで有名になった「水平線」。
こういった曲たちがback numberの中でも好きな曲だ。

「ヒロイン」は、back numberとはじめて出会った曲で、僕にとっても印象深いものになっている。
僕は「ヒロイン」をスキー場のリフトに乗っているとき、はじめて聞いた。
初めて聞いた「ヒロイン」は、雪のせいなのか、寒さのせいなのか、はたまた絶景のせいなのか、3割増しで僕の心に刺さった。

僕の住む街では、めったに雪が降らない。
それだけに、雪景色とヒロインの雰囲気が余計にマッチして感じたのかもしれない。

そのため、僕は「ヒロイン」を聞くたびに、あの時のゲレンデの記憶が蘇る。

2015年の冬。
僕は職場の後輩にスノーボードを教えてもらうため、新潟県にあるスキー場へ向かった。
1泊2日のスノボ合宿。
僕は今までの人生でスノボはおろか、スキーもしたことがなかった。
当時の僕はチャレンジしたい欲が強く、失われていた青春時代を取り戻すように色んな経験を重ねていた。
そのため、ボウリング仲間でもあり、スノボが上手いと評判の後輩に「スノボを教えてほしい」とお願いし、一緒に行くことになったのだ。

スキー場に到着したのち、僕はいきなりゴンドラに乗せられて山の中腹まで連れてこられた。
景色はとてもいいけれど、雪山から降りるという行為は、初心者の僕にとって断崖絶壁から落ちるようなものに感じ、不覚にも恐怖心で震えてしまった。
完全なる初心者の僕に対し、上級者の後輩は優しく「木の葉」を教えてくれた。
※スノーボード初心者がまず練習する基本の滑り方。ボードを左右に振りながら、木の葉が風に揺れ落ちていくようにジグザグに進んでいく。
スピードを抑えられるため安全だが、慣れないうちは普段経験したことのない重心移動の負荷により、足の裏やふくらはぎがパンパンになる。

早速教えてもらった木の葉で滑るも、転倒する僕。
やっと滑ったと思ったら、3mくらいで転倒。
冗談抜きで、下まで降りるのに100回は転んだと思う。

転び、起き上がる度に失われる体力。
当時の僕はランニングもしていたし、体力がある方だと過信していた。
けれども起き上がりこぼしのように無限の体力はなく、ついにお尻が悲鳴をあげた。
転びそうになっても、掴んでくれる人はいない。
それがスノボなのだ。

僕は痛みと疲労と戦いながら、後輩たちに必死についていった。
滑って転んでを何百回か繰り返すうちに、不格好ながら木の葉で滑れるようになった。
夕方ごろにはターンも教えてもらい、なんとなくスノボの楽しさがわかったような気がした。

その日はスキー場近くの民宿に泊まり、酒を飲みながら今後の職場の未来について語り合った。

翌日。
朝目覚めると、僕は全身が筋肉痛で起き上がることが困難になっていた。
そんな馬鹿な。

すでに準備万端な後輩に対し、「もう少し休んでから出発しないか」と弱音を吐いた僕。
「だめです。滑りに行きますよ」と一蹴された。
鬼コーチかよ。

全身筋肉痛の中のスノーボードはとても辛く、僕はひとりでゆっくり滑ることになった。
その時の僕は完全に心が折れていて、リフトに揺られながら雪や汗で重くなったウェアや、筋肉痛で足の上がらなくなったブーツとボードを捨てたくなるほどだった。

その瞬間、降り積もる雪の静寂さの中で響き渡るように「ヒロイン」が聴こえてきた。
果てしなくそびえ立つ雪山の美しさと、遠くのスピーカーから聞こえてくる「ヒロイン」に少しだけ元気を分けてもらい、僕はリフトを降り立った。
こうしている間に、はじめてのスノボ体験は幕を閉じた。

誰だってはじめての経験ではうまくできないことのほうが多い。
20代後半にして、あらためてこのような経験をしたことは貴重な財産となった。

それ以来、僕はスノボにはまり、冬は弟や地元の友人たち、あるいは職場の仲間たちと雪山へいくことが定番化となった。

リフトから上手く降りることができずに、係員にリフトを止められる僕。
リフトを降りた先で駄弁る若者たち。
久々のスノボで滑り方がわからなくなる経験値リセット。
初心者コースって書いてあったよな…?と勘違いするほどの傾斜。
新雪を滑る気持ちよさ。
ゲレンデで反射して聞こえるスノーマジックファンタジー。
コースの中腹にある食堂で食べるカレーライス。
滑ったあとに浸かる温泉は、なんと気持ちがいいものか。

今振り返ると、僕はスノボを通じて「少しだけ前に進む」という感覚を味わったのかもしれない。
例えば、自転車に初めて乗れたとき。
逆上がりが初めてできたとき。
教習所をでて、初めて公道にでたとき。

緊張感が高まるドキドキと、言いようのない高揚感からワクワクする感情が入り交じる、「あの感覚」を久々に味わうことができた。

最近スノボからは遠ざかっている。
再びスノボの経験値はリセットされていることだろう。
それでも今年の冬こそは、みんなで久々にスノボへ行き、「少しだけ前に進む」経験を味わいたい。
そう思っている。


行ってみたい遠い場所で

2015年の僕を思い返すと、印象深い場所を旅行していた。
それが岐阜県高山だ。

僕は大学時代の友人たちと1泊2日の高山旅行をした。
その目的は「食い倒れ」で、とにかく美味しいものを飲んで食べ尽くす旅だった。
僕たちはずっと高山へ行ってみたいと話していて、スケジュールが奇跡的にマッチして、ついに実現した旅だった。

新幹線で朝から飲むビールと駅弁。最高。
高山に着いてから食べた飛騨牛握りと飛騨牛バーガー。うん、ジューシ。
飛騨古川の旅館で温泉に浸かりながら日本酒をたらふく飲んだ。あー、のぼせてしまう。
夕食で食べた飛騨牛のステーキ。口の中で溶けてしまった。
飛騨地方で作られた日本酒「色おとこ」。これが飛騨牛と合うんだ。

僕たちの心の中に潜む井之頭五郎がずっと「旨い。旨い」とつぶやいていた。
孤独のグルメかよ。

僕はといえば、旅館で食べる夕食のあまりの美味しさに心と体のバランスがピークに達して、気持ち悪くなるほどだった。
トイレに20分くらい立てこもり、なんとか復活した僕は、デザートをたいらげて部屋に戻った。
本当に危なかった。

翌日はバスを使い、高山から松本まで移動した。
高山は雪こそ降っていなかったものの、さすがに岐阜と長野の県境あたりは雪が積もっていた。
僕たちは、当初友人の車の運転でこの道を通ろうとしていた。
しかし、岐阜に住んだ経験がある友人が、「岐阜を舐めるな。雪が積もっていると考えろ」と忠告してくれ、急遽公共交通機関を活用することになった。
バスから見える雪まみれの狭い峠道を見て、この道は走れなかったと悟った。

松本では信州そばを食べた。
最後に唯一の観光ということで、松本城へ登った。
松本城から見える雄大なアルプスの山々に、心が洗われるようだった。

結局僕たちは高山へ来たのに、古い町並みを散策し、ただ食べて飲むだけで終わった。
白川郷の合掌造りも、新穂高ロープウェイにも行くことなく、観光らしいことはしなかった。
それでも、「食い倒れ」的には大満足な旅だった。

振り返って考えてみると、大学時代の友人たちは「ぼっち」でリアル孤独のグルメを展開していた僕を救ってくれた。
そんな僕と友人たちを繋ぐきっかけは「食」だった。
僕たちは学生時代からよくラーメンを食べにいろんな駅へ遠征をしていた。
※当時の思い出を綴ったnoteは下記から。

卒業してからも相変わらず食い倒れることで繋がっていた僕たちは、高山の旅行を契機に「食い倒れ会」と称して集まることになった。

毎年年末は、食い倒れ会の定期会合がある。
今年はみんなで何を食べようか。
それだけを楽しみに、僕はこの師走を乗り切るつもりだ。



僕にとってのヒロインは

食い倒れ会での高山からの帰り道。
バスに揺られながら、僕は大学時代の友人からとある作家、小説を勧められた。
岐阜といえばと紹介されたのが、米澤穂信の「小市民シリーズ」である。

当時、米澤穂信といえば、代表作「氷菓」が京都アニメーションによってアニメ化され、じわじわと知名度が広がっていた頃だ。重く澄んだ空気のような文章、静けさの中に潜む確かな熱量。そんな米澤作品の独特の「読後のざわつき」が、多くの読者を惹きつけていた。

僕はといえば、米澤穂信作品を学生時代に「ボトルネック」を読んで以降特に触れていなかった。
けれども、彼女から氷菓を猛烈にプッシュされており、気になっていた。

友人へその話をすると、「米澤穂信作品について語り合えるのはとても羨ましいことだよ」と教えてくれた。
なんだったら「古典部シリーズ」は高山が舞台だとこっそり教えてくれた。
友人は高山の街をめぐる中、ひっそりと聖地巡礼を楽しんでいたようだった。
早く言ってくれよ。


その事実と同時に、イチオシの「小市民シリーズ」を読んでみるよう勧められ、僕は早速読んでみることにした。

ともに小市民をめざす小鳩常悟朗と小佐内ゆきのなんとも言えない関係性。
小佐内さんの食べるスイーツの模写と内面に秘めた人間性。
小鳩くんのスカした感じの態度。

そして、本格的なミステリー要素が豊富に展開され、僕はあっという間に米澤穂信ワールドにはまっていった。

それからというもの、僕は米澤穂信作品を頻繁に読むようになった。
「古典部シリーズ」での折木奉太郎に憧れて、「やらなくてもいいことはやらない。やらなければならないことは手短に」をモットーにしていた時期もあった。
「折れた竜骨」でのファンタジーとミステリーの融合に新たな感覚を覚えた。
「Iの悲劇」で味わう地方の苦悩の真実と悲劇に涙した。
そして「黒牢城」での急に展開される戦国ミステリーに感嘆とした。

どの作品も僕は好きだけれど、共通して言えることは、米澤穂信作品独特の読み終わったあとの読了感だ。
真実を知ったとき。
なんとも救われようのない感情から心が「ずどーん」となる。
あの感覚を味わうために、米澤穂信作品を見ていると言っても過言ではない。

そして米澤穂信作品のもう一つの魅力といえば、「ヒロイン」のキャラ立ちだと僕は思う。
千反田えるの好奇心旺盛さ。
小佐内ゆきの内面に抱える闇。
そして「さよなら妖精」でのマーヤの知的探究心。

正直こんなヒロインたちは現実世界でみたことがない。
けれども、人物模写があまりにも丁寧に描かれているおかげで、ものすごく想像しやすいのだ。
古典部シリーズを読んでいるとき。
僕の脳内で勝手に千反田えるが動き回り、「これが気になります!」と喋りかける。
小市民シリーズを読んでいるときは、僕の頭の中で完成されている小佐内ゆき(cv林原めぐみ)が落ち着いた声で毒を吐いている。

今でも僕は米澤穂信作品は定期的に読んでいる。
今積読している「栞と嘘の季節」を早く読みたい。


どんな小説や音楽だって

どんな映画を観たって。
どんな小説や音楽だって。
その一つひとつに自分の青春を重ねてしまう。

ヒロインを聞けば、あの時みんなで滑ったゲレンデと筋肉痛の記憶が蘇る。
「古典部シリーズ」の作品を読めば、食い倒れ会で訪れた高山の街を思い返すのだった。

あれから10年が経過した。
僕はあの時よりも「強く優しい人」に成長できているだろうか。

ひとつだけ言えることがある。
それは、あの時の青春があったからこそ、今の僕がいるということだ。
あの時挑戦したスノボと、今でも続いている食い倒れ会。
そして、米澤穂信作品を読むたびに、僕は感想を妻と共有している。
あの時の経験は、確実に僕の人生の彩りの一部になっているし、今後も続いていくに違いない。

そして当時の僕は米澤穂信ゆかりの地であり、食い倒れをした街・高山になにか言いようのない縁を感じていた。
またここに来たい、いや来ることになるかもしれない。
そんな確信めいた自信は、すぐに実現することになる。

次回、「ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る」最終回でその話ができたらいいなと思う。

■第0話(イントロダクション)はこちら。

■まとめ記事はこちらから。


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