【第0話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【夏の思い出/ケツメイシ(2003年)】
先行きの見通さない令和の時代。
不確実な時代だからこそ、青春時代を思い出す。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
僕は平成という時代に学生時代を過ごした。
そのすべての場面に、流行っていた曲や友達と口ずさんだメロディが流れていた。
だから、僕にとって「青春」を語るなら、平成の音楽とそのときの思い出を一緒に語らなければならない気がする。
こんな経験はないだろうか。
まちで、YouTubeで、時折流れる平成のJ-POPであの時過ごした青春が思い返されることが。
無性に1990年代、2000年代のヒットソングが聞きたくなり、YouTubeを検索することが。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
その入り口にあるのが、2003年の夏――。
第0話
夏の思い出/ケツメイシ(2003年)
高校1年生の夏休み、ラジオやカラオケで必ず流れていたケツメイシの「夏の思い出」。
あの曲を聴くと、蝉の声や部活帰りの汗、夕焼けの帰り道を思い出す。
陸上部の練習帰り、コーチの車で競技場のあった町から最寄り駅まで送ってもらっていた。車の中は、僕達の汗とコーチのタバコの匂いが混じる。
カーステレオから流れてくる軽快なラップ音楽。今までラップには興味がなかったのだけれど、妙に耳に残る「思い出せる」というフレーズ。
調べてみると、ケツメイシというグループが歌っていることがわかった。
部活帰りに、そのまま最寄りのTSUTAYAへ寄り道。早速シングルCDをレンタルし、自宅でMDへ落とした。
当時のコンポはカタカナしか入力できず、文字数も限られていた。だから“ナツノオモイデ”と不格好なタイトルを付けたのを覚えている。
初めてのバイト代で買ったMDプレーヤーと、耳かけイヤフォンで、壊れるまでケツメイシを聞きまくった。
※今では考えられないほど、MDプレーヤーは脆い。僕も半年に1回は買い替えていた。
先日、実家からMDコンポと大量のMDを引っ張り出してきた。もちろん理由は、ケツメイシを始めとしたMDたちを聞くため。
ワクワクしながらMDを挿入するも、読み取りエラーで再生されない。調べてみると、読み取りのためのゴムが駄目になる事例があるようだ。
泣く泣くMDコンポを手放し、我が家には聞く手段を失ったMDだけが残された。このMDたちを供養する機会は訪れるのだろうか。
これが僕とケツメイシの出会い。
今でもケツメイシは大好きなアーティストで、仲間たちとカラオケに行けば必ず「夏の思い出」を熱唱する。季節が夏じゃなくても「夏の思い出」は歌うのだ。
そんな記憶が、「夏の思い出」を聞くと一瞬にして蘇る。
今振り返ると、あの時、あの瞬間は確かに「青春」だった。
ときめき、不安、期待――全部が混ざり合った、不器用で、でもかけがえのない時間。
そんな「音楽と青春の記憶」を、これから平成の初めから辿ってみたいと思う。
あなたにもきっと、あの時代の曲を聴くと蘇る景色があるはずだ。
まずは、平成6年。テレビの中で流れていた、あの曲から――。
もしこの記事を読んだあとに「夏の思い出」を聴きたくなった方は、ぜひこちらをどうぞ。
