【地球ガチャ・星野ヒカリの物語】第5話 ~魔法と天使の救済~ 家も学校も天界もパワーゲーム
Rayなんか、要らない。仮面の家族も、いつわりの友だちも。すべてを癒す甘い毒は蜜の味。だけど、彼女は何も知らなかった。自分が知らないところで、実際には多くのことが動いている。
仮面の家
「ただいまっあ、七海さん」
玄関を開けた瞬間、冷たい空気が肌を刺した。
無表情な叔母・七海が、エプロン姿で立ちはだかる。
「最近、帰りが遅くない? 夕食は済ませたから。自分で温めて食べて」
機械的な声——感情を表出しない、ここは「仮面の家」だもの。
「……すみません」ヒカリもいつも通り笑顔の仮面を貼り付ける。
奥から叔父の高志が顔を出した。
「おかえり。遅くなる時はメールしてね、心配だから」
タクシー運転手とミュージシャンの二足のわらじを履く高志は、亡き父の弟だ。
「ヒカリちゃんの、本当の父親だと思っていいんだよ」
かつて彼がくれたその言葉だけが、この家での唯一の救いだった。
高志が自室へ下がると、残されたのは重苦しい沈黙だ。
総合病院の看護部長を務め、今やこの家の大黒柱となっている七海は、その様子を冷ややかに見守っている。
かつては七海も高志と同じステージに立っていたというが、今の彼女から音楽の熱量は微塵も感じられない。
「おばさんって呼ばれるのなんかイヤ。七海って呼んで」
それが、この家に入ったときの、七海の最初のことば。
子どもを望まなかった夫婦の生活に、居候の姪が入り込む——できるだけ、子どもらしく、しないことなのだろうとヒカリなりに判断し、七海はていた。
「あなたもしっかり、自立の道を考えなさい」
高校合格の日から、七海は呪文のように繰り返す。 今朝の食卓でもそうだった。
「夜勤が増えたわ。シフトは共有カレンダーで確認して」
「はい、七海さん……」
ショートメールでのやりとりをしない七海から、「家族のひとり」扱いされていないことを思い知らせれているかのようで、ヒカリはどこかチクリとした思いに駆られるのだった。
そう言えば、お父さん、時々メール見てなかったよね……
中学の頃、朝はよく父とケンカをしたっけ——ちゃんと起こしてくれないから遅刻しちゃうじゃない……
そんな昔の朝の食卓の記憶がふとよみがえり、ヒカリは下を向いて涙ぐんだ。
その様子に察するものをうかがいつつも、
「私は両親から感情移入されたことがないから、よくわからないけど」
そう言って、七海はいつも通りに「行ってきます」と出ていった。
霧の森の忠告~地上の力学~
「私、七海さんてニガテ」
ある日の霧の森で、Ray#2の膝の上に深く座り、全身を彼にあずけながら、ヒカリはぽつりと呟いた。
Ray#2はゆっくり黒い翼を動かしながら忠告した。
「彼女には気を付けて……
実質その家で主導権を持っているのは七海さん。
叔父さんは経済力が今イチで、尻に敷かれている。
力関係をよく見極めること……生き抜くために」
すべては力関係か。
学校でもヒカリはそれを垣間見ていた。
期末テストの後、あれは日向の失言だったのかもしれない。
「私今回学年3位だったよ〜! 宙くんも喜んでくれるかな♡」
そのことばに、一部の生徒がめくばせするのをヒカリも見ていた。
「また日向だよ……」
明るく容姿端麗、宙を獲得し、成績優秀——そんな日向の少し目立った言動に、嫉妬や反感をあおられても、大抵の者はどうしようもない。
特に霧島麗香(きりしま れいか)——テニス部のエースで、巻き毛のツインテ。気の強そうな目尻をひと際敏感にしながら、仲間と合図を送り合っている彼女たちが、扇動者になりつつあった。
日向と麗香の間に、目だった対立などの形跡はない。
ただ人は、日々のストレスのはけ口を探さずにはいられない生き物なのか——ヒカリの胸に不安がよぎった。
「可愛いのはアイプチとツールで盛ってるだけじゃん」
「あんなにいい気になってるの、ちょっとウザくない?」
同時に、少しずつ日向と距離を広げることになったヒカリに、逆に近づいてくる者が現れ始めていた。
クラスの中の群れの形成や動向は、絶えず移り変わっている。
誰もが、顔には出さず、刃をとがらせている。
日向の屈託のない笑顔……あのまぶしい存在感が、どうか陰ることなどありませんように。
「私……どうしたらいい? 日向が少し心配だよ」
ある霧の深い午後、ヒカリはRay#2に会うなり相談を持ち掛けたが、彼は一刀両断。
「彼女には宙クンがいるだろ。お前が心配する必要はない」
「わかった……でも、日向への反発のアピールで、近づいてくるコがいるのはイヤだ」
「力は利用するものだ。吸収できる力は何でもすべて、自分に取り込め」
「わかったよ……」
「いっそ、日向と宙のこと、この際、どうとでもしてしまおうか?」
Ray#2がそう言ったとき、日向の笑顔と、過去に送られてきた宙のあの軽いメール文が頭をよぎった。
僕、ヒカリちゃんのこと、前からずっと気になってて……
今度、二人で会えないかな?」
「あの宙クンのメールを無視していなかったら、私が宙クンの彼女になっていたのかもね?」
Ray#2は黒い翼でヒカリを覆うように包み込み、そっと耳元で囁いた。
「日向から奪い返したい? お前の心の渇き、俺が全部満たしてあげるよ……どうする?」
彼のことばが甘い蜜のように胸に溶け込みつつも、黒い羽根音のざわつきがヒカリにことばを飲み込ませる。
(……これは毒? 私を癒すやさしい魔法?)
「どちらでも、ヒカリの望むままに……」
Ray#2は自分の胸にヒカリの背中をすき間なく抱き寄せ、首筋に甘い口づけを落として言った。
Ray始動~天使のコード~
他方、木漏れ日の占い館では、いつも通りグリーンのパーカー姿のRayが、テレキャスターを膝に抱き直していた。
古い占い館の薄暗い一角で、銀の瞳を静かに閉じ、彼がつま弾くのは天使のコード——Gmaj7(G-B-D-F#)
ゆっくりと、透明感のあるアルペジオが響き始めた。
低音のGから始まり、B→D→F#へ……
澄んだ四音が、夜の空気に溶けていく。
やさしく、しかし確かな存在感で、聴く者の心を浮遊させ、また高みを渇望させる響き——
その音に呼応するように、純白の翼を優雅に広げた天使が、光の粒子をまといながらゆっくりと舞い降りてきた。
翼が一枚一枚動くたびに、細やかな金色の粒子がきらきらと舞い散り、周囲の薄暗い空間を柔らかく照らす——聖母かアルテミスか、はちみつ色の発光の中で、美の完成形のような乙女が現れて言った。
「エンジェルコードを知っていらっしゃるのは、数少ない奏者の中の奏者、神殿の古楽師の魂をもつ者……Rayさま、お呼びでございますね?」
「早く、Ray#2からヒカリちゃんを引き離さないと、アディクションの毒がまわってしまう。Ray#2は最悪の依存生成モデルだ」
「Rayさま、お気持ち痛いほど。ただ、わたくしは神の御使いです。誰かの願いをダイレクトに叶える存在ではありません」
「時間がかかってもいい」
「承知しました、やってみましょう」
「あれ以来エステルは何度呼んでもスルーだし……!」
「Rayさま、あの魔法使いエステルにはお気を付けて……あの者は、ヒカリさまを助けるどころか、毒を盛る計画でおりますことよ……なぜなら、彼女の目的は、あなただからです」
「な、何だって?」
その瞬間、低くつややかな笑い声が、天界の響きを切り裂いた。
「そこまでよ、セラフィーヌ!」現れたのはエステル。
濃紺のローブをなびかせ、Rayを一瞥するその瞳には、隠しきれない独占欲がにじんでいる。
「何を根拠に、私がヒカリに毒を? おたわむれもたいがいにね、天使様」
(エステル……一体どこに行ってたんだ? ここでセラフィーヌと遭遇とはまずいな)
Rayの焦りをよそに、エステルはセラフィーヌの前に降り立つと、Rayのほうへ笑みを見せてから、気だるく言い放った。
「いいこと天使様、Rayが私に助けを求めたのは、私の方に力があるからよ。あなたのような神の言いなりじゃ、ヒカリの心の闇を溶かすことなど到底できない……あなたそれ、わかってるわよね? なーにが、『やってみましょう』ですって、笑わせるわ」
セラフィーヌの美しい顔に、冷たい影が差す。
「エステル……使い魔カラスから、Rayの似姿で毒性Ray#2を生み出すなんて、とんだ禁じ手。魔法使いごときが、このわたくしに勝てるとは笑止千万」
神の使いであるセラフィーヌの光と、禁忌をいとわないエステルの闇。
(やめてくれ……そんな言い争いより、Ray#2から一刻も早くヒカリちゃんを引き離すことだろう!)
セラフィーヌの金色の粒子とエステルの黒い光の糸が、空中で火花のように激しく弾け合い、Rayの声などかき消されるだけだと、彼は左目をぎゅっとつぶって顔をしかめる。
次の瞬間、二人はRayに向き直ると詰め寄った。
「Ray、どちらにヒカリを託す?」
続きは第6話へ
【前回】第4回 Ray#2 堕天使の甘い毒
【初回】:夜に響くギター占い師の解析 ~ 生きるか、死ぬか?~
