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氷河期世代AD、テレビの片隅で。#2「就活全落ち、人生を懸けた深夜のFAX」

生まれ育ったのは、
東北の山の中にある小さな町だった。

冬になると雪が積もる。

たまに熊がうろつき、
小学生の頃の僕は、
だいたい泥だらけだった。

清原選手に憧れ
少年野球チームに入り、
毎日白球を追いかけていた。

そして日曜の夜だけ、
僕はテレビっ子になった。

『天才たけしの元気が出るテレビ』。

あの番組が大好きだった。

ダンス甲子園、
100人隊、
エンペラー吉田。

特にエンペラー吉田と和田アキ子の
対談はとてつもなく面白かった。

でも今考えると、
なぜあんなにエンペラー吉田で笑っていたのか、
うまく説明できない。

でも当時は本当におもしろかった。

日曜の夜になると、
家族でテレビを囲んで笑っていた。

ちなみに、

僕が初めて好きになった芸能人も、

元気が出るテレビに出ていた

井森美幸さん。

周りの友達は

宮沢りえ

とか、

浅香唯

とか言っていた。

でも僕は断然、

井森美幸さん。

小学校の頃、将来の夢を書く作文で、

僕は「将来の夢はテレビディレクター」と書いた。

野球選手でもなく、
社長でもなく、
テレビディレクター。

クラスでそんなことを書いていたのは、
たぶん僕だけだったと思う。

中学、高校と進んでも、
相変わらず野球、野球、テレビ、野球みたいな毎日。


そして地元の大学へ進学し、
就職活動の時期になった。

当然のように、
テレビ業界を目指した。

でも、
東北の中堅大学の学生が、
キー局に受かるほど世の中は甘くなかった。

全落ち。

制作会社も全落ち。

普通の会社も全落ち。

あの頃は、
ちょうど就職氷河期だった。

ただでさえ少ない求人に、
僕に関係あるページはほとんどなかった。

気づけば大学4年の12月。

周りの友達の多くは内定が決まり、
みんな髪型が社会人っぽくなっていた。

でも僕だけ、
ずっと学生みたいな顔をしていた。

そんなある日。

当時人気が出始めていた若手芸人コンビの番組を見ていると、
エンドロールに知らない制作会社の名前が流れた。

僕は反射的にメモを取った。

そして104へ電話した。

今の若い人は104を知らないかもしれない。

昔は、
ネット検索の代わりに人間が電話番号を教えてくれていたのである。

しかも少し優しかった。

僕は教えてもらった番号へ電話した。

すると女性が出た。

「採用はもうかなり進んでまして……」

やっぱりダメかと思った。

でもその日は、
なぜか引き下がれなかった。

「なんとか一度面接だけお願いできませんか」

自分でも、
なかなかしつこい学生だったと思う。

少し沈黙があったあと、
なぜか面接してもらえることになった。

12月の金曜日。

僕は新幹線で東京へ向かった。

窓の外を見ながら、
「これ落ちたらどうしよう」
ばかり考えていた。

あと、
隣の席のサラリーマンが食べていた牛タン弁当の匂いが、
ずっと気になっていた。

面接官は5人いた。

その中に、
ひとりだけ空気の違う人がいた。

岩本さん。

この会社のトップだった。

業界人というより、
優しそうなおじさん。
でも只者ではない空気を発していた。

僕は、
テレビがどれだけ好きかを必死に話した。

『元気が出るテレビ』が好きだったこと。

テレビディレクターになりたかったこと。

何を話したのか細かくは覚えていない。

でも、
かなり暑苦しかったと思う。

「結果は月曜に連絡します」

そう言われ、
僕は会社を出るとそのまま新幹線で地元へ帰った。

本当は手紙を書きたかった。
何とか入れて欲しいと。

でも月曜には間に合わない。

その夜、
僕は家で紙に思いを書き殴った。

「どうしてもテレビの仕事がしたいです」

たぶん他にも、
かなり恥ずかしいことを書いた気がする。

深夜、
家から車で20分離れたコンビニへ向かった。

当時はまだFAXが普通に使われていた。

真夜中のコンビニで、
僕は人生をFAXしていた。

今思うと、
なかなか変な光景である。

送信完了の紙が出てきた時、
これでダメならもう諦めようと思った。


翌朝、
僕は地元のスキー場にいた。

スノーボードのインストラクターのバイトをしていたからだ。

ポケットにはPHSを入れていた。

ただ、
山の上なので電波が悪い。

というより、
ほとんど繋がらなかった。

レッスンの合間に何度もPHSを開いては、
アンテナを確認していた。

当時のPHSは、
少し機嫌が悪いとすぐ圏外になった。

レッスンが終わった頃、
ようやく着信が入っていることに気づいた。

昨日の制作会社だった。

僕は慌てて、
電波が入りそうな雪山の端まで移動した。

少し場所を変えるたび、
圏外になったり一本立ったりする。

たぶん人生で一番、
真剣に電波を探していた時間だったと思う。

山崎まさよしよりも
探していたと思う。

ようやく繋がった。

採用担当の女性が出た。

「昨日送ってくれたFAX、岩本に見せました」

そして少し笑いながら言った。

「“ウチで働いたらええやん”って言ってましたよ」

雪が降っていた。

でもその瞬間だけ、
不思議と寒くなかった。

こうして僕は、
憧れていたテレビ業界に入ることになった。

この時はまだ、
ADという仕事が、
“ここまで過酷”だとは知らなかった。


#創作大賞2026     #お仕事小説部門
#テレビ業界 #実話

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