アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【最終話】本日天気晴朗ナレドモ波高シ ③
【最終話】本日天気晴朗ナレドモ波高シ 大日本帝国海軍中将 秋山真之 ③
あれ? ここ……何処だろう。
辺りは真っ暗だった。物音ひとつない静寂。必死に目を凝らし、手を伸ばして状況を探ろうとするが、何の手応えもない。恐る恐る歩き始めるも、どこまでも続く暗闇。徐々に不安になってくる。やがて焦燥感に駆られると、走り出した。あてもなく、ただ闇雲に。
誰か! 誰かいないの!?
必死に叫んで誰かを探す。自分にとって、大切な存在であったはずの誰かを。
『君が神月夕陽三等海尉か。噂には聞いていたけど、まさかこんな華奢な女の子だったなんてね』
暗闇に突如響いた声に振り返ると、目の前に長身の男が立っていた。
初めて会うのに何故かひどく懐かしい感じがする。しばし彼を見つめていると、全てを思い出した。夕陽にとって、何物にも代え難い大切なことを。ホッと息をつくと、ゆっくりと彼に歩み寄った。
『貴方のことも知っています』
夕陽は彼を見上げると、キッと睨みつけた。
『いっつもバカで、おちゃらけたフリばかりして。しかもエッチで女ったらしで、ちょっとまずくなるとすぐ土下座でごまかして』
そこまで言うと、夕陽は表情を和らげた。困った様子の彼を愛おし気に見つめながら。
『でも……、本当は人一倍気遣いで、努力家で、とても優しくて、いつもあたしのことを最優先に考えてくれて……』
夕陽の頬を涙が伝う。
『神月夕陽はそんなあなたのことが……世界で一番大好きです』
愛おしくて堪らない彼。その大きな胸に飛び込みたくて、彼に抱きしめて欲しくて、足を踏み出そうとした。だが、何故かその場から動くことが出来なかった。
『ありがとう……。俺も君のこと、大好きだったよ』
『え?』
何故、過去形なのか? 訝しむ夕陽に彼は寂しそうに微笑んだ。
『俺、もう行かなきゃ』
彼の言葉に心臓が凍る。
『やだ……、何言ってるの? 何処に行くのよ?』
彼を捕まえようとして、手が空を切った。
『ごめんね』
彼の背中が遠ざかっていく。
うそ……、うそでしょう……?
『いや……いやあああぁぁぁぁ!! お願い敏生行かないで!! あたしをひとりにしないでよおおぉぉぉぉぉぉ!!!』
次の瞬間、一気に視界が開けた。
ここは……。
医務室のベッドの上だった。どうやら眠ってしまっていたようだ。窓からは西日が差し込んでいて、その光景にどことなく既視感を覚える。
あたし、どうしてこんなところに……。
ひどく悲しい夢を見ていたような気がする。……夢? 必死に記憶を手繰り寄せ、そして思い出した。再び引く血の気。
「敏生!! 敏生はっ!? 誰かいないの!?」
「お、起きたか」
「敏生……」
自分の目が信じられない。そこにいたのは、紛れもなく最愛の人。
「良かった。夕陽が気絶したまま全然起きないって聞いてさ」
ホッとした表情を浮かべ、傍らのパイプ椅子に腰を下ろす彼。
「敏生……本当に敏生なの……?」
「本物だよ。触ってみ」
恐る恐る彼の頬に手を伸ばし、感触を確かめる。温かい。安堵と共に、涙が一気に溢れ出した。
「言っただろ? 俺はお前を守るために生まれてきたんだって。関係ないところで死んでたまるかよ」
「ばかっ、ばかあ。心配したんだからねっ」
ぎゅうっと彼に抱きしめられる。
「ごめん……。正直、俺も今回は駄目だと思った……」
敏生の手が夕陽の温もりを確かめるように背中を這い、夕陽もまた、彼の胸に顔を埋め嗚咽する。これが戦闘機パイロットであるがゆえの宿命なのだ。
明日も当たり前の日常が巡ってくる保証など何処にもない。どのくらい抱き合っていただろうか。夕陽は落ち着くとスンと鼻を啜り、そっと顔を上げた。
「そういえば……敏生は何でここにいるの? 浜松の救難隊に救助されたんじゃ……」
「隊長が強権発動したらしい。意識があって動けるのなら、そのままこっちに寄越せって」
「大丈夫なの? 検査はちゃんとした?」
射出座席は脱出時に二十Gもの衝撃が掛かる。脱出できても戦闘機パイロットとして復帰できる可能性は五分五分と言われているだけに心配だった。
「ああ、ここで見てもらったけど問題ないって。一応明日、世田谷の中央病院で精密検査をしてもらうことになったけど」
「そっか、良かった……」
再びぎゅっと敏生に抱き着く。彼の温もりを確かめるように。
「諦めかけた時にさ……夕陽の泣き叫ぶ声が聞こえたんだ」
「え?」
敏生が声を震わせながら夕陽の黒髪に頬ずりする。
「行かないで、ひとりにしないで、って……。夕陽のあんな声聞いたら、簡単にくたばるわけにはいかないよな」
「それって……」
まだ朧げに覚えている、さっきの夢。まさかあれが彼とシンクロしていたのだろうか? 夕陽がエマージェンシーコールを聞いた時には、敏生のT4は墜落していたはずなのに。
「……どうしたの?」
「ううん、何でもない……。ただ」
夕陽は涙を拭うと、ニッコリと彼に微笑んでみせた。
「あたしのところに……還ってきてくれて、ありがとう」
「うん……」
敏生の目尻からも涙が零れる。どちらからともなく、再び強く抱き合う。絶対に離れないと、お互いに心の中で誓いながら。
「おう、相変わらずところ構わずイチャついているな、バカップルが」
その声に顔を上げると、病室の入り口に刑部が立っていた。いつもの斜に構えた様子はなく、どことなく優しげな笑みを湛えている。
この常に沈着冷静な男が、数時間前には血の気を失い、真っ先にライトニングで敏生の捜索に飛び立とうとして皆に羽交い締めにされていたことを、二人は知らない。
「アッシュ……」
「隊長が速攻許可してくれたぞ。良かったな、ほら」
刑部が敏生にひらりと一枚の紙を渡す。
「おっ。さんきゅ、刑部」
「構内ではほどほどに、な」
そう言って敏生を指さすと、病室を出ていった。
「なに、これ? 区域外旅行許可申請書? 何であたしの名前も書いてあるの?」
「あ、ああ。ちょっと俺、今週末に夕陽と二人で行きたいところが出来てさ。来週の月曜日も二人まとめて休み取っておいたから……」
「ちょっと見せて!」
「おわっ?」
夕陽は敏生から素早く申請書をひったくると、記載内容に目を走らせた。
「下関……」
「いや、その、そうフグ、フグ食いに行こうと思って」
「……下関ではフクっていうの。季節は十一月から二月で夏場にかけては毒性が強くなる。だから今は思いっきり時季外れよ」
「そ、そうなの? 知らなかったなー」
「どういうつもり? 何を企んでいるの?」
敏生は向き直ると、夕陽の両肩をがっちりと掴んだ。
「夕陽のご両親に会いに行く。夕陽の勘当を解いて貰って俺たちの交際を認めてもらう」
呆気に取られる。何を言い出すのかと思えば。
「いやだ。あたし行きたくない」
「夕陽」
「あたしはもう二度と下関には戻らないって決めたの!」
「本当に後悔しない? 血を分けた、夕陽をこの世に産んでくれた肉親なんだよ? 少なくとも夕陽をここまで立派に育てたご両親がそこまで酷い人たちだとは俺には思えない」
「敏生には分からないよ! あんなに立派なご両親に育てられた敏生には!」
「分かった。じゃあ一度だけチャンスをくれ。こうして生きて夕陽の下に帰ってきた俺に」
その言葉に押し黙る。今は何よりも重たい、彼の言葉。
「今回、死にかけて改めて思ったんだ。俺たち戦闘機パイロットは未練や悔いだけは残しちゃダメだって。ご両親のことが夕陽の中で引っ掛かっているのなら、今のうちに取り除いておきたいんだ」
引っ掛かっていないなどと否定はできない。何も言わなくても、敏生は誰よりも自分のことを分かってくれている。
「でも……だって人の話を聞かない人たちなんだよ!?」
「自分の親をそんな風に言っちゃいけないよ。俺は夕陽のご両親に感謝している。こんなに素敵な女の子に出会わせてくれたご両親に」
真剣な彼の目に心が揺らぐ。
心の底から自分のことを想ってくれているからこその提案を無下には断れない。
「……分かったわ。行きましょう、下関に。そうすれば敏生にもあたしの言っていることが分かってもらえると思う」
「ありがとう、夕陽」
目を瞑り、横に首を振る。
死線を潜り抜けてきたばかりだというのに、自身をそっちのけで慮ってくれる彼。むしろこっちが感謝しなくてはいけない。今回は自分の中で決着をつける良い機会には違いなかった。
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