アホウドリの空〜自衛隊ラブストーリー〜【第六話】悔しさが男をつくる、惨めさが男をつくる、悲しさが男をつくる。そして強大な敵こそが、真におまえを偉大な男にしてくれる。 ③
【第六話】悔しさが男をつくる、惨めさが男をつくる、悲しさが男をつくる。そして強大な敵こそが、真におまえを偉大な男にしてくれる。 ドイツ帝国陸軍航空隊騎兵大尉 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン ③
「夕陽」
戸惑いを察したのか、敏生が毅然とした表情で夕陽を覗き込んだ。
「焦る気持ちも分かるけど、オーバーワークは良くない。大切なことは、効率と継続だよ」
諭すように語り掛けてくる彼。
「この体幹トレーニングの効果を高めるために、ウォームアップを入念にやってもらったんだ。ハイペースランニングもあるしね。朝は筋肉が固いから。もちろん、ウェイトメニューもやるけど、それは器具が揃っている隊舎のトレーニングルームでね」
そういうことだったのか。意味も考えずに、盲目に取り組んできた自分が恥ずかしい。
「じゃあ、ここで質問。夕陽の戦闘機パイロットとしての持ち味は何だと思う?」
「あたしの持ち……味?」
いきなり問われて言葉に詰まる。ただ、がむしゃらに突き進んできた身としては、自分の持ち味など、考えたことも無かった。彼がさもありなんと頷く。
「自分じゃ分かりづらいよな。俺が思う夕陽の持ち味は、ズバ抜けた空間認識能力を生かした出足の鋭さだ。切れ味鋭いマニューバは相手にとってかなりの脅威だよ。大抵の相手なら今のままでも十分にキルできる。千歳のベストガイは伊達じゃない」
彼が自分のことをそんな風に見てくれていたとは。失いかけていた自信が少し浮上する。
「でも相手がエース級なら?」
ぐっと言葉に詰まる。その先は身に覚えがあり過ぎた。
「躱されることが多いよね。俺ならそこから力で捻じ伏せることもできるけど、夕陽はいつも力負けする。でも、それは女の子だから仕方ない」
「女の子だから」の言葉が引っ掛かり、パッと顔を上げて彼を見る。
「敏生、いつも〝パイロットに老若男女は関係ない〟って言ってるじゃない。力負けは言い訳にならないわ。その差は何としても埋めたい」
「絶対に無理だよ。例えば女子100メートル走の世界記録は1988年にフローレンス・ジョイナーが叩き出した10秒49。第二位は確かカーメリタ・ジーターの10秒64。じゃあ、一方の男子は?」
何も言えない。これらの数字を上回る男子の競技者なんて世界中にごまんといる。夕陽の様子に、敏生はうんと頷いて見せた。
「俺でも防大時代のタイムは10秒60。ジョイナーには及ばないけど、ジーターよりは上だ。男女の間には明確な身体能力の差がある。そんな不利なところに自ら上がって戦う意味は無い。待っているのは犬死だ」
夕陽の両肩にポンと彼の手が乗る。
「だったら最初の仕掛けの瞬間だけでも、G負けせずに確実に相手を仕留めろ。持ち味の出足の鋭さに、さらに磨きをかけろ。女性パイロットとしての戦い方を身につける、そのための体幹を作るんだ」
彼の強い眼差し。
「あとは持久力。一撃離脱を繰り返しできるだけの体力を作る。仕留め損なっても、何度でもやり直しできるようにね」
自分は何て愚かだったのだろう。女子が男子のヘビー級ボクサーと真正面から闘って勝てるわけなど無い。必死になり過ぎるがあまり、自分の立ち位置を見失っていた。彼の力強い言葉に、憑きものが落ちたような気がした。
「最後の有人戦闘機と言われたF104スターファイターが登場したのが1954年。70年近く経った今でも俺たちパイロットは存在しているし、最新鋭のF35だってドッグファイトを想定したガンオプションは残されている。俺たちが重力の世界から解放されるのはまだまだ先の話だ。だから俺たちは、過酷なGの世界で生き残ることのできる頭脳と身体を身につけなくちゃならない」
朝焼けの空を見つめながら、自分に言い聞かせるように語る敏生。
「ん? どうした? 夕陽」
「あ、いや、何でもないです」
慌てて目を伏せる。真剣な彼の表情に、思わず見惚れてしまっていた。
大丈夫かな、あたし。色んな意味で……。額に手を当て、自分を戒める。
「それからもうひとつ」
芝生に手をつきながら再び空を見上げる彼。
「夕陽は俺の方が先を行っていると思っているみたいだけど、俺の考えは違うよ」
「え?」
「今までの夕陽は目指すべき場所へのアプローチを遠回りしていただけ。今の俺たちの差なんて、これから次第でいくらでも埋められる」
仲間への偽りのないリスペクト。これがきっと、彼の強さだ。
「ただ」
「ただ?」
首を傾げる夕陽に、彼が笑みを浮かべる。
「俺としては簡単に追いつかれるつもりはない。夕陽には俺のこと、ずっと気にしていてもらいたいからね」
「敏生……」
涙ぐみそうになり、ぐっと堪える。だって、彼が好きになってくれたのはきっと、あの自信に満ち溢れていた頃のあたしだったと思うから。
「……分かったわ。あたし、絶対に敏生に追いついてみせる。ううん、必ず追い抜いてみせるわ。だから覚悟しててよね? 編隊長殿」
もはや潤んだ瞳は隠しようが無かったので、せめて強気に彼をキッと睨んでみせる。
「うん。楽しみにしているよ」
彼は嬉しそうに微笑むと、おもむろに立ち上がり、スッと手を差し伸べてくれた。
「さ、行こうか。そろそろ戻らないと朝礼に遅れる」
「うん……。あっ」
彼の手を取り、立ち上がると、よろめいた。
「おっと」
咄嗟に彼に抱きとめられる。
「夕陽? 大丈夫か?」
分厚くて逞しい胸板に思わず顔を埋める。正直なところ、色々と大丈夫ではない。
「もう少し……、こうしていて、いい?」
「……ああ」
そっと頭を撫でてくれる大きな手。いつの日か、堂々とこの手を取れるようになってみせる。不思議と落ち着く彼の匂いに包まれながら、夕陽は固く心に誓った。
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