かげろうの君と #07 第二話 憧憬③
第二話 憧憬③
「さ、どこを見たい?」
「まずは婦人服売り場を見たいわ」
「じゃあ、このレディースファッションのところだね。2階から6階か。上がりながら1階ずつ見て行こうか」
幸子がうんうんと嬉しそうに首を振る。店内に入ると、彼女の興奮は最高潮に達した。
「わあ、どれも素敵!」
はしゃぎながら、店内を見て回る幸子。気になる洋服があれば、拓海が手に取って、広げて見せてあげる。
「いいなぁ、こんなに素敵なお洋服ばかり。女優さんが着る服みたい。ここは天国ね」
うっとりとした表情で洋服を眺める。
「さっちゃんの時代は……そのズボンが流行っていたの?」
「もんぺ? こんなの流行っていないわ。贅沢禁止令でみんな、嫌々履いていただけよ」
彼女が口を尖らせる。
贅沢禁止令というのは、恥ずかしながら初めて聞いた。
女性の日常のお洒落を、かつての政府はわざわざ禁止していたというのか?
それで一体何が得られたというのだろう?
「抗ってパーマかけたり、スカート履いたりしている人たちもいたけど、あたしには周囲の雑音を撥ねつける勇気も気力も無かったわ」
寂しそうな笑みを浮かべる幸子に、拓海は広げた洋服をすっと差し出した。
「さっちゃん。このお洋服、気に入ったんでしょ? 買ってあげるよ。俺からのプレゼント」
拓海の言葉に驚いて、顔を上げる彼女。
「ええっ!? でもあたし着れないし……」
「気分だよ。前に言ったろ? 俺がさっちゃんに何かプレゼントしたいの」
その申し出に、幸子は戸惑いと嬉しさでコロコロと表情を変えながら逡巡していたが、あっ、と小さく声を上げた。
「ちょっと待って……。あたしも前から試したかったことがあったの」
「試したかったこと?」
「うん。失敗したら恥ずかしいから、その服をあたしの方に見せたまま、あっちを向いてて」
幸子が悪戯っぽく舌を出す。
「ああ、はい」
言われた通りに服を持ったまま、彼女を見ない様に横を向く。やがて。
「やったわ! 見て見て! 拓海!」
彼女の声に振り向いて、驚いた。
拓海が選んだ服を身に纏っている幸子。
「……やっぱり実物を見たらできるのね、お着替え。どうかしら?」
幸子は恥ずかしそうに肩を竦めると、拓海の前でくるりとひと回りしてみせた。
「可愛い……」
拓海の呟きに、彼女が真っ赤になって、両手で頬を覆う。
「これなら好きなお洋服、ただでいくらでも着れるでしょ? あたし幽霊だし、着れもしないのに拓海に無駄遣いさせるなんて出来ないわ」
それは自分への精一杯の気遣い。そんな彼女がたまらなくいじらしい。
「ありがとう、さっちゃん。でも、やっぱり俺はさっちゃんの為にプレゼントしたいんだ。これは無駄遣いじゃなくて、俺の気持ちだから」
「拓海……」
拓海はすっと服を畳むと、レジに進んだ。
「彼女さんにプレゼントですか? お包みしましょうか?」
若い女性店員が微笑みながら聞いて来る。
「え?」
「お客様、先ほどお電話で相談しながらお洋服を選ばれていたようなので」
鼻の頭をちょんちょんと掻く。
「ああ、まあ……そうですね。彼女へのプレゼントなので包んでくれますか?」
「かしこまりました」
お洒落にラッピングされた服が入った手提げ袋を受け取ると、お礼を言ってレジを後にする。
幸子はショップの前で待っていた。
「はい、これ、さっちゃんにプレゼント」
「あ、ありがとう……」
「どうしたの? 顔真っ赤にして」
「その……、あたしは、拓海の彼女……なの?」
さっきの店員との会話が聞こえていたようだ。
顔が赤いということは、「彼女」にそういう意味があることを理解しているということ。
そんなに古くから使われていた言葉だったと知り驚くが、今はそこじゃない。
もう、間違えたくはない。失いたくは無い。
「ちゃんと言って無かったね。俺……、さっちゃんのことが好きだ。俺の彼女は、嫌かな?」
今回は淀むことなく、ちゃんと言えた。
もっとも、心臓はバクバクだ。
一方の幸子は、信じられないといった表情で口元を抑え、拓海のことを見つめていたが、やがて我に返ると、ブンブンと首を横に振った。
「いっ、嫌じゃないわ! あ、あ、あた、あた、あた、あたしも、拓海のことが大好き!」
真っ赤な顔のまま、振り絞るように叫ぶ幸子。
「良かった……」
安堵と共に涙が滲む。
確信はあった。彼女があの橋を離れることが出来たのは、恐らく、あの場所への執着よりも、自分への想いが勝ったからだと思ったから。
「拓海、その……、あたしたち、恋仲ってことで、いいの?」
拓海は袖でゴシゴシと涙を拭うと、大きく頷いた。
「当たり前じゃん! よし、今日はとことん、デートしよう!」
「でーと?」
「あ、デートは通じないのか。えっと、逢引き、は分かる?」
その言葉に再び顔を赤らめる幸子。
「あたしが……逢引きなんて……」
「え? なんかまずかったかな?」
「違うの! その、あたしの時代はお見合い結婚が当たり前だったし、好きな人と一緒にお出掛けするなんて、夢のまた夢だったから……」
そういえば何かで読んだことがある。戦前は結婚前の男女が並んで歩くことすら憚られたと。
今とは全く異なる価値観を持っているであろう彼女に、あまり強い刺激を与えないようにしなくてはいけないな、と思い至る。
「よし、じゃあさっちゃんが生前にやりたかったこと、ひとつひとつ叶えて行こうか?」
「あ、ありがとう、拓海。じゃあ……早速いいかしら?」
彼女が、遠慮がちに視線を落とす。
「いいよ。どこに行きたい?」
「あたし……好きな人が出来たら、一緒に純喫茶に行ってみたかったの! あと映画も!」
聞き慣れない単語に首を傾げる。
「純喫茶……?」
「……今の時代は純喫茶は無いの?」
拓海の反応に、残念そうに肩を落とす幸子。
「あ、いや、ちょっと待って」
慌てて、早速スマホで調べてみる。なるほど、昔のカフェは女給が男性客の隣に座って色々とサービスをする、今でいうナイトクラブみたいな形態で、特殊飲食店と呼ばれていたことを知る。
そのカフェと区別するように、純粋に珈琲を楽しむお店を純喫茶と銘打ったようだ。
そして、戦前のデートは人目を忍ぶように、映画館でこっそり手を繋いで鑑賞し、その後に純喫茶で珈琲を嗜むのが定番コースだったらしい。
もっとも、そんな風景も太平洋戦争に突入すると同時に失われていったようだが。
幸子が望むのは昔ながらの喫茶店。飲めないのだから雰囲気を味わいたいはず。なら、珈琲チェーンではイメージが違うだろう。それなら。
「よし、行こう。ただ、ここには映画館が無いから電車で隣町に行くよ。その後に純喫茶に行こうか」
「本当に!? 嬉しい!」
キラキラと目を輝かせる幸子がとても可愛くて、拓海は彼女をもっともっと楽しませてあげたい、と思った。
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