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営業が苦手なエンジニアへ。8年間ゼロ営業で単価130万円にした「人間関係」の作り方

独立を考えるとき、多くのエンジニアが引っかかるのは技術ではなく営業だと思う。売り込むのが苦手だ、人脈がない、案件が途切れたらどうする——私も同じだった。
だが独立して8年、営業らしいことを一度もしていない。 独立直後の1社目だけはエージェントを通したが、それ以降は提案書を作って売り込んだことも、交流会で名刺を配ったことも、SNSで案件募集を出したこともない。
それでも単価は、65万円から85万円、そして130万円へと上がっていった。
運が良かった、で済ませてもいい話だと思っていた。だが最近、自分がやっていたことに名前がついていると知った。弱い紐帯、シグナリング、返報性、繰り返しゲーム。行動科学と経済学の言葉だ。
この記事では、営業の代わりに何をやっていたのかを、その研究に照らして分解してみる。売り込まずに仕事が続く人間関係は、どうやって作られるのかを。



Ⅰ.営業が要らなくなるのは、実績が営業より強いシグナルになるから

面談なしで、単価85万円の契約が決まった

まず、いちばん象徴的な出来事から書く。

会社員時代、私はある大手企業の案件を担当していた。プロジェクトリーダーとして、要件定義から開発まで一人で回していた。その会社を辞めるとき、取引先のCEOと、外部ベンダーを取りまとめる立場の方と、名刺を交換した。

「仕事はいくらでもあるから、いつでも連絡してきて」

そう言われた。ただ、すぐには連絡しなかった。辞めた直後に元の会社の顧客を持っていくのは、業界的にタブーだからだ。狭い業界で、その手の話はすぐに広まる。目先の一社を取って業界の信用を失うのは、割に合わない。

だから半年ほど別の会社で仕事をして、それが一区切りついたところで、あの名刺の連絡先に電話をかけた。

単価85万円。面談はなかった。

このとき私は26歳だった。フリーランス2社目で、いきなり面談を省略された。当時は「顔が知られていたから」くらいに思っていたが、これには経済学の説明がつく。

一緒に働いた記録は、面談より正確に能力を伝える

マイケル・スペンスという経済学者が1973年に発表した論文がある。「Job Market Signaling」(Quarterly Journal of Economics)。この研究で彼は2001年にノーベル経済学賞を受賞している。

要旨はこうだ。雇う側は、相手の本当の能力を直接観察できない。 だから学歴や資格といった、観察できる「シグナル」を代理指標として使う。面接も履歴書も、能力そのものではなく、能力を推測するための代用品だ。

ここで考えると、「一緒に半年働いた記録」は、面談より圧倒的に精度の高いシグナルだ。しかも相手にとってコストがゼロで済む。面談を1時間やっても分からないことが、一緒に働いた期間には全部含まれている。納期を守るか、揉めたときにどう振る舞うか、詰まったときに相談してくるか——面接で聞いても本音は出ない項目が、実績には全部記録されている。

つまり面談が省略されたのは、私の顔が知られていたからではない。面談より良い情報が、すでに相手の手元にあったからだ。

これは裏返すと、こう言える。営業とは、シグナルを新しく作る行為だ。 実績というシグナルを持っていれば、営業という代用品は要らなくなる。

仕事を運んでくるのは、親しい人ではなく「たまに会う人」だ

もうひとつ、名刺交換のほうにも名前がついていた。

社会学者のマーク・グラノヴェッターが1973年に発表した「The Strength of Weak Ties」(American Journal of Sociology)。彼はアメリカ・ニュートン市の男性282人を調査して、意外な結果を得た。仕事の機会をもたらすのは、親しい友人や日常的に会う同僚ではなく、「たまに会う程度の薄い知人」だった。

理由は単純だ。親しい人は、自分と同じ情報しか持っていない。同じ会社、同じ業界、同じ交友関係の中にいるからだ。一方、薄い知人は別の社会圏に足を置いている。だから自分の周りには回ってこない情報を運んでくる

あの名刺交換は、まさにこれだった。私と彼らは、毎日一緒に働いていたわけではない。取引先の、しかも上のほうの人だ。会う頻度は低い。だが別の会社の、別の意思決定圏にいた。だからこそ、私の会社の中には存在しない案件を持っていた。

余談だが、これは2022年に『Science』誌に掲載されたLinkedInの大規模実験でも検証されている。弱い紐帯のほうが転職につながりやすいという結果は、50年前の論文のまま生きていた。 ただしこの実験では、有効なのは「中程度の弱さ」までで、まったくの他人になると効果が落ちることも分かった。強すぎず、弱すぎない距離——退職時に名刺を交換するくらいの相手が、ちょうどその帯にいたのだと思う。

Ⅱ.やっていたのは営業ではなく、返ってくるまでギブし続けることだった

相手が「返します」と言うまでは、ギブしかしない

理論の話はここまでにして、実際に何をしていたかを書く。

答えは拍子抜けするほど単純で、相手が「こちらも返します」と言ってくるまでは、ギブしかしない。それだけだ。

何をギブするのか。時間、情報、提案、成果物、そして相手が困っていること全部。手が空いていれば引き受ける。詳しい領域があれば教える。言われていないが必要だと思うことは提案する。

人は受け取ると返したくなる——返報性の原理

なぜ先に与えることが効くのか。ここにも名前がついている。返報性の原理だ。

社会心理学者のロバート・チャルディーニが『影響力の武器』(原著1984年)で挙げた、人が承諾してしまう6つの原理のひとつ目がこれだった。人は何かを受け取ると、返さなければ落ち着かない。 それは礼儀の話ではなく、ほとんど反射に近い。

チャルディーニが挙げる例は分かりやすい。無料サンプルを渡すと購入率が上がる。募金の封筒に小さな贈り物を同封すると寄付が増える。返す義務が生じたわけではないのに、人は返そうとする。

私がやっていたことは、要するにこれを仕事の場でやっていただけだ。

ただし、ここには注意すべき点がある。返報性は操作の技術としても使えるということだ。「先に与えれば相手は断りにくくなる」——実際、営業手法としてそう教えられることもある。私はそれとは違うつもりでいる。理由は単純で、繰り返しの関係では、操作はいずれバレるからだ。一回の商談なら通用しても、7年一緒にいる相手には通用しない。

だから返報性を「使う」のではなく、返報性が働く場所に長くいる、というのが正確な言い方になる。

そして重要なのは、与える量に上限を考えていないということだ。ここは誤解されそうなので正確に書く。

与える上限は意志ではなく、契約時間で決める

アダム・グラントという組織心理学者が『GIVE & TAKE』(2013年)で示した有名な結論がある。人はギバー(与える人)・テイカー(奪う人)・マッチャー(等価交換する人)に分かれ、最も成功しているのも、最も失敗しているのもギバーだ。

失敗するギバーは「自己犠牲型」と呼ばれる。与えすぎて燃え尽き、搾取される。成功するギバーは「戦略的ギバー(otherish giver)」で、自分の資源を管理しながら与える。

私のやり方は、この問題を別の形で解いていた。器を時間で固定しているのだ。


与える量に上限はない。ただし器(=報酬が発生している時間)は決まっている


勤務時間は決まっている。その時間の中で、相手に何を与えられるかがすべてだ。そして、それ以上はやる必要がない。

つまり、与える量に上限を設けていないのは事実だが、与える器(=報酬が発生している時間)には最初から蓋がある。だから無限には広がらない。夜中も休日も相手のために使う、という自己犠牲型にはならない。逆に、その時間内では出し惜しみをしない。

グラントの言う「資源の管理」を、私は意志の力ではなく契約時間という物理的な制約でやっていた。意志で節制するより、器で決まっているほうが続く。

返ってくる相手かどうかは、小さな場面で判定できる

ギブしかしない、と書いたが、返ってこない相手もいる。グラントの言う「テイカーに搾取されるギバー」がまさにこれだ。

私の場合、判断基準がひとつある。

大きく返してくれる人は、必ず小さく、高い頻度で返している。

具体的にはこうだ。自分が困っていて「〇〇の件、詳しい方いますか」と聞いたとき——

  • 知っていれば、答えてくれる

  • 知らなければ、知っていそうな人を紹介してくれる

  • 誰も知らなくても、代わりに調べてくれる


大きく返す人は、必ず小さく・高い頻度で返している——ギブを続けるかの見極め


金額でも、大きな見返りでもない。この程度の小さな反応が、返ってくるかどうか。 ここが分かれ目だった。日常の細かい場面で何も返ってこない相手が、大きな場面で返してくれることは、経験上ほぼない。

だから見極めがついたら、早めに切り上げるほうがいい。関係を壊す必要はないが、ギブを積み増すのはやめる。ここを引きずると、グラントの言う底辺のギバーになる。

そして逆側の指標もある。相手が返す側に回ったサインは、「次の案件どうですか」と「単価の話」だ。この2つが出てきたら、ギブは通じている。

Ⅲ.目先の受注を捨てるほど、長期の単価は上がる

全社にLLMを入れたいという相談を、私は止めた

もうひとつ、具体的な話を書く。

ある会社で、チャット型のLLMを全社導入したいという相談を受けたことがある。従業員の作業をAIが代行してくれるなら、全体の効率が上がる。当然の発想だ。

私は止めた。本当にそうかと。

考えてみてほしい。効率化して時間が空いたとして、その先はどうなるか。

ここは正確に書きたい。日本で解雇が「できない」わけではない。 整理解雇には判例で形成された4つの判断要素がある(人員削減の必要性/解雇回避努力/人選の合理性/十分な協議)。全社が黒字でも、特定部門が不採算なら人員削減の必要性が認められた例はあるとされる。

ただし黒字企業の場合、解雇の手前に配置転換や希望退職の検討が置かれ、そこを飛ばすと後から無効にされるリスクが高い。だから多くの会社は解雇まで踏み込まず、希望退職の募集で止まる。実際、東京商工リサーチの集計では2024年上半期の上場企業の早期・希望退職で、募集人数の95.5%が黒字企業だった。減らしたい意思はある。だが手段は解雇ではない。

そして「AI導入で業務がなくなった」を理由とした整理解雇については、私が調べた限り、日本で確立した判例はまだない。弁護士の解説では「主張は可能だが、リスキリングや再配置を先に検討したかが問われる」とされている。メガバンクが事務職を削減したとき、解雇ではなく営業への配置転換を選んだのは、この法理を踏まえた対応だ。

つまり結論はこうなる。人は社内に残る。 そこに新しい仕事があるならいい。だがその会社は売上成長が年に数パーセントで、労働環境としてはむしろホワイトな部類だった。空いた時間に充てる新規の仕事が、用意されていない。

すると何が起きるか。空いた人件費はそのまま残り、その上にトークンコストが乗る。 効率化が、純粋なコスト増になる。

だから私はこう提案した。導入するのはいい。ただし企画や営業の職種から入れて、「新しい仕事を作る」使い方をまず検討すべきだと。効率化から入るのではなく、仕事を増やす側から入る。

この提案は、私の受注を減らす方向だった。言われたとおり全社導入すれば、設計も実装も発生して、私の仕事は増えていたはずだ。

それでも単価は上がった。 そして次も相談された。

繰り返しの関係では、協力する側が最も多くを得る

ここに、もうひとつ研究の裏づけがある。

政治学者のロバート・アクセルロッドが1984年に発表した『協力の進化』(The Evolution of Cooperation)だ。彼は「繰り返し囚人のジレンマ」というゲームで、世界中の研究者から戦略を募ってコンピュータ上でトーナメントを行った。

勝ったのは、驚くほど単純な戦略だった。「最初は協力する。相手が裏切ったら同じだけ返す。ただし相手が協力に戻れば許す」——Tit for Tat(しっぺ返し)と呼ばれる戦略だ。

重要なのは、この戦略が勝つのはゲームが繰り返される場合だけだということ。一回で終わる取引なら、裏切って奪ったほうが得だ。だが繰り返しがあると、最初に協力する戦略が最終的に最も多くを得る。

フリーランスの仕事は、まさに繰り返しゲームだ。私は同じ会社に7年いた。 一回の案件で最大化しようとすれば、言われたものを作って請求するのが正しい。だが7年という繰り返しの中では、「この人は自分たちを損させない」という評価が、次の契約と単価を決める。

自己学習に投資し続けたのも、同じ理屈だった。技術書を買い、講座を受け、自分でサーバを借りて試す。これは自分のためでもあるが、それ以上に客を勝たせるためだ。客が勝たなければ、私の単価は維持されない。この順番を間違えなかったから、「維持しよう」と思っていた収入は、結果的に勝手に上がっていった。

紹介は、量が少ないのに成功率が異様に高い

ここまで自分の話をしてきたが、紹介の強さはデータでも示されている。

採用の世界では、紹介経由の人材について次のような集計がある。

  • 在職期間の中央値:紹介38ヶ月 vs 非紹介22ヶ月(約70%長い)

  • 1年後の定着率:紹介46% vs 他ルート33%

  • 紹介は全応募の7%に過ぎないのに、採用成功の40%を占める

(※これらは求人サービス系の業界集計値で、精度は要確認。学術研究としては Pieper et al. (2019) Journal of Management が紹介採用の定着とパフォーマンスを扱っている)

つまり紹介というルートは、量が少ないのに成功率が異様に高い。営業をしないという選択は、効率の悪い選択ではなかったらしい。

この方法には、3つの代償がある

ここまで読むと「営業しなくていい」という話に見えるかもしれない。だが、そう単純ではない。この8年で、私が本当に困る可能性があった点を、正直に書いておきたい。

ひとつ目は、取引先の集中リスク。 私は同じ会社に7年いた。会計や金融の実務では、ひとつの顧客が売上の10%を超えると「高集中」と見なされる。私の場合、一社が売上のほぼ全部だった時期がある。その会社の方針が変わった瞬間に、収入がゼロになる構造だった。実際に何もなかったのは、リスク管理ができていたからではなく、運が良かったからだ。

ふたつ目は、人脈の同質化。 紹介で仕事が回ると、繋がる相手は似た業界・似た文化の人に偏る。グラノヴェッターの理論を思い出せば、これは弱い紐帯を失っていく過程でもある。新しい情報も、新しい単価帯も、同じ輪の中には落ちてこない。

みっつ目は、グラントの警告そのもの。 ギブが機能するのは、繰り返しゲームが成立する相手との間だけだ。一回で終わる相手、返す気のない相手に同じことをすれば、ただ搾取される。グラント自身、ギバーが底辺に沈む例に多くのページを割いている。

だから私は「営業をするな」とは書かない。私がやったのは、営業をしない代わりに、実績というシグナルと、返してくれる相手の見極めに全部を賭ける方法だった。 それが成立したのは、たまたま繰り返しが成立する場所にいたからでもある。

まとめ:営業の代わりにやっていた4つのこと

8年分を振り返ると、やっていたことは4つに整理できる。

① 実績をシグナルとして残す。 面談で説明できることより、一緒に働いた記録のほうが強い。だから目の前の仕事の質が、次の契約条件を決めている。

② 薄い関係を切らない。 毎日会う人ではなく、たまに会う人が仕事を運んでくる。辞めるときの名刺交換や、丁寧な引き継ぎは、そこに効く。

③ 契約時間の中では、出し惜しみをしない。 上限は意志ではなく、報酬が発生している時間で決める。その中では、相手が困っていること全部にギブする。

④ 小さな返報を見て、続けるかを決める。 返ってこない相手に、ギブを積み増さない。

営業をしなかったのではなく、営業に相当する何かを、別の方法でやっていたのだと思う。名前を知らないままやっていたことに、あとから研究の言葉がついた——それがこの記事を書いた理由だ。

そして最後にもう一度書いておく。この方法は、取引先が集中し、人脈が同質化するという代償を払っている。8年もったのは、正しかったからというより、繰り返しが成立する場所を離れなかったからだ。


関連記事

そもそもなぜ独立したのか、単価がどう変わっていったのかを時系列で書いたものです。この記事の前編にあたります。

逆に、私が関係を壊した側だったときの話です。基準を他人に向けると何が起きるか。



出典

論文

  • Spence, M. (1973) "Job Market Signaling," Quarterly Journal of Economics 87(3), 355-374(2001年ノーベル経済学賞の対象研究)

  • Granovetter, M. (1973) "The Strength of Weak Ties," American Journal of Sociology 78(6)(ニュートン市の男性282人の調査)

  • Granovetter, M. (1985) "Economic Action and Social Structure: The Problem of Embeddedness," American Journal of Sociology 91

  • Pieper et al. (2019) Journal of Management(紹介採用の定着とパフォーマンス)

  • 弱い紐帯のLinkedIn大規模検証は Science 誌(2022年)掲載の研究

書籍

  • Adam Grant『GIVE & TAKE』Viking, 2013(邦訳: 三笠書房)

  • Robert Cialdini『影響力の武器』原著1984年(邦訳: 誠信書房)

  • Robert Axelrod『協力の進化』Basic Books, 1984

データ

  • 希望退職の数字は東京商工リサーチ(2024年上半期集計)

  • 紹介採用の定着率・パフォーマンスの数値は求人サービス系の業界集計値で、精度は要確認

注記

  • 整理解雇は労働契約法16条をめぐる判例法理にもとづく。黒字企業の事例については弁護士解説による一般的な整理で、個別の判断は専門家に確認してください

  • 単価・年数は私の実数だが、匿名性のため企業名は記載していない

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