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自由になりたかったわけじゃない——フリーランス8年目の、独立した経緯の話

「フリーランスは自由になれる」という言葉に憧れて独立する人は多い。時間も場所も選べて、嫌な上司もいない。そういう記事を、noteでもよく見かける。

私は違った。動機は自由ではなく、完全にお金だった。

フリーランスと自分の会社(マイクロ法人)の二本立てで働くエンジニアとして、独立して今年で8年目になる。この記事では、私がなぜ独立したのか、独立までに何があったのか、そして独立してから収入がどう変わっていったのかを、できるだけ正直に書いてみようと思う。

先に言っておくと、これは成功譚のようでいて、あまり綺麗な話ではない。出発点が綺麗ではないからだ。


土壁の団地

私の家は、とても裕福とは言えない家だった。

土壁の団地に住んでいた。ご飯はふりかけご飯。ゲームはあるにはあったが、みんながプレステ2で遊んでいた時代に、家にあったのはスーパーファミコンだった。塾には行けなかった。大学は、なんとか国立大学に奨学金で行くことができた。入ってからも、お金がなくて教科書が買えなかった。

こう書くと悲壮な感じがするが、当時の自分にとってはそれが日常で、特別不幸だとも思っていなかった。ただ、「お金がない」という状態がどういうものかは、体で知っていた。

だから就職を考えたとき、判断基準は一つしかなかった。収入だ。

外資全落ちと、妙な自信

当然のように、収入が高い企業に挑戦した。マイクロソフト、IBM、その他、初任給が600万円を超えるような外資系企業。

結果は全滅だった。

敗因ははっきりしている。妙な自信があって、大した就職対策もせずに臨んだからだ。自信の根拠は、学歴ではない。趣味で始めたプログラミングが幸いして、大学の選択授業では、情報処理系の学生たちよりコードが書けた。「専門でやっている人間より、自分の方ができる」——その小さな体験が、根拠の乏しい自信に育っていた。世の中はそんなに甘くなかった。

正直に書いておくと、今思えば普通に日本の大手企業を目指せばよかったと、今でも思うことがある。この記事は独立の経緯を書くものだが、独立が唯一の正解だったとは、8年経った今でも思っていない。

当時の私にあったのは、「若くして大金を稼ぎたい」という欲と、「30歳までに独立して月給100万円」という、根拠のない漠然とした目標だけだった。

ある社長の言葉

進路を変えたきっかけは、就活で受けたある会社の選考だった。ワークスアプリケーションズという、当時のエンジニア界隈では有名な会社だ。

結果から言うと、3次選考で落ちた。ただ、その過程で聞いた牧野社長のメッセージが、妙に残った。

「若いうちはとにかく苦労しろ。可能ならなるべく小さい会社に行って、裁量権のある業務を若いうちから経験しろ。そうすると仕事は思うままになる」

今思えば、当時のワークスはそれなりに大きな会社で、自分の会社の採用の場で言う言葉ではない気がする。ただ、外資に全落ちした学生には、この言葉は刺さった。大手がだめなら、裁量権のある会社で力をつけて、独立してやろう。このとき独立は、選択肢の一つではなく、前提になった。

私はベンチャーに進路を切り替えた。

ベンチャー就活は、拍子抜けするほど楽だった

外資と比べて、ベンチャーの採用試験は明らかに簡単だった。5〜6社受けて、全部受かった。

その中から選んだのは、「自社サービスもある」「実力主義で若くして出世でき、裁量も大きい」「10年目くらいの会社の、支社立ち上げのスタートアップメンバー募集」という求人の会社だった。社長も魅力的に見えた。初任給は21万円くらい。600万円の世界からはずいぶん遠ざかったが、裁量権を取りに行くと決めたのだから仕方がない。

入社したら、地獄だった。

存在しない自社サービスを「あることにして」売ってくる営業がいた。そして、存在しないものを「あることにして」、裏で顧客のお金を使って開発を進めるエンジニアがいた。私のことだ。

新入社員かどうかに関係なく、エンジニアにもプロジェクトの利益ノルマが課された。入社1週間で、初めての泊まり込みを経験した。1年目の残業は月200時間を超えていた。

ただ、牧野社長の言葉に嘘はなかった。文字通り、裁量権はあった。

顧客折衝も、見積もり作成も、全部自分でやる。稟議という概念はない。コードレビューをしてくれる先輩も、テスターもいない。全部自分の責任で成果物を出し、担当案件が次に繋がらなければ成果にならない。この時代の話は生々しすぎるので、いつか別の記事で詳しく書こうと思う。

断っておくと、私にプロのエンジニアとしての知識があったわけではない。おそらく、その会社のエンジニアにも力のある人はいなかった。だから、全部ネットで調べた。有料の講座を受け、自分でサーバを借りて、仕事でわからないことを試した。そうやって、ほとんどの仕事をなんとか完了させ続けた。

2年目に、歴代最短で課長職に昇進した。給料は月に10万円増えた。残業は300時間くらいになっていた。この頃の記憶はあまりない。調子に乗っていた気もする。

3年目、体が止まった

もともと、3年くらいで何かしらのキャリアアップをするつもりだった。ただ、その転機は計画的には来なかった。

大手企業の案件を担当していた頃、心身に異変が出はじめた。明らかに頭の働きが悪くなる。頭が重い。仕事のスピードが落ちているのが自分でわかる。それでも「なんともない」と思っていた矢先、休日に、疲労で起き上がれなくなった。

今思えば、おそらくうつ病のなりかけだった。

辞める決意をした。ただ、その決意は唐突で、自分が何の力を持っていて、何になればいいのか、全く考えていなかった。

それでも、お金は欲しかった。仕事はうまくいっていたが、月給は35万円くらい。夢の100万円には全く届かない。

振り返ってみると、その時の私のスキルシートは、同年代の3倍以上の項目で埋まっていた。顧客折衝、要件定義から開発まで、見積もりも提案も全部やってきた。ワークフローやアプリケーションの領域なら、一人で全部作れた。

牧野さんの言葉通りだった。小さい会社で苦労した分だけ、裁量権は能力に変わっていた。

だから、こう考えた。

独立しよう。今仕事をしている大手企業からも良い評価を得ている。この企業の仕事を、今の会社から抜いて独立しよう。十分貢献してきたし、許されるだろう——と。

名刺交換と、業界のタブー

結論から言うと、その大手企業のCEOや、外部ベンダーを取りまとめる方と、会社を辞めるときに名刺交換をした。

「仕事はいくらでもあるから、いつでも連絡してきて」

その言葉をもらって、私はフリーランスになった。

ただし、すぐにその言葉に甘えることはしなかった。辞めた直後に元の会社の仕事を「中抜く」のは、業界的にタブーだからだ。狭い業界で、その手の話はすぐに広まる。目先の一社を取って、業界の信用を失うのは割に合わない。

だから最初は、エージェント経由で紹介してもらったECサイトの会社で、フリーランスとしての仕事を始めた。

単金は65万円。税金などを加味した手取りは40万円くらいで、会社員時代より手取りが20万円前後増えた。独立した瞬間に、給料が上がったことになる。

申し訳なかったが、その会社に長くいるつもりは最初からなかった。納期まで半年しかないきつい案件だったので、かなり残業をしてその仕事を支えた。半年後にはそれなりの信頼を得て、かなり相談される立場になっていたが、案件の終わりが見えた頃、自分から辞めると告げた。

そして、あの名刺の連絡先に電話をかけた。

面談なしの85万円

フリーランス2社目は、会社員時代に担当していた、あの大手企業だった。

単金は85万円。面談はなかった。

面談がなかった理由は、シンプルだと思う。私はその会社の案件で既にPL(プロジェクトリーダー)をやっていたし、周囲の人より明らかに色々なことができた。つまり、面談の代わりに「一緒に働いた実績」が評価になっていた。

元いたベンチャー企業との関係は、CEOが直接連絡を取って、丸く納めてくれた。独立というと、啖呵を切って辞めて裸一貫で勝負するようなイメージがあるかもしれないが、実際にうまくいく独立は、こういう大人の手続きの積み重ねでできている。


独立は「啖呵」ではなく「手続き」でできている


このとき26歳。85万円は時給ベースの契約で、160時間働いて85万円。残業をすれば、その分だけ増える。

最初にアサインされたのは、炎上しているプロジェクトの火消しだった。なぜかわからないが、私は昔から炎上プロジェクトに縁がある。前任PLからの引き継ぎ、噴き出しているバグの修正確認、自分での修正。どうしようもないものは、調整して仕様自体を変えてしまう。そうやって1年かけて、新しいサービスをリリースできた。

残業は月20時間くらい。ベンチャー時代の10分の1だ。当時の私には「かなりホワイト」に感じられた。

そして気づけば、残業込みではあるが、月収は100万円を超えていた。

目標を達成した瞬間、何も感じなかった

「30歳までに月100万円」という学生時代の目標を、26歳で達成したことになる。4年前倒しだった。

正直に書くと、達成した瞬間、何も感じなかった。

独立して間もない時期で、目の前の火消しに必死だったせいもある。ただ、口座残高だけは、ものすごい勢いで増え続けていった。ふりかけご飯の家から見れば、別世界に来たとは感じた。感動ではなく、違和感に近い感覚だった。

そのとき自分の中に生まれたのは、「もっと上へ」ではなかった。

この単金を、維持したい。純粋にそう思った。

それまでの人生はずっと、上へ上へと目指してきた。でもこのとき初めて、「維持したい」という気持ちの方が強くなった。そして、維持のためにやるべきことも自然に決まった。このお金をしっかり使って、自己学習と経験に投資して、能力を向上させ続けること。単金は能力への対価なのだから、能力が止まれば単金も止まる。

面白いのはここからで、「維持しよう」と思って学習に投資し続けた結果、収入は勝手に上がっていった。

単金は、半年から1年のプロジェクトを一つ成功させるたびに、数万円単位で上がっていった。ポジションもPLから、複数のPLの相談役になり、システムアーキテクトへと変わっていった。なぜ上がり続けられたのかは自己学習と積極的な提案に尽きるのだが、長くなるので、これも別の記事で書こうと思う。

結局その大手企業には、7年ほどいた。会社員としてベンチャーにいた期間より、ずっと長い。独立3年目には、節税のためにマイクロ法人も立ち上げた(この話は既に書いた)。単金は最終的に105万円になり、次の会社の仕事を新しく始めることになって、その会社を「卒業」した。

今は、ある上場企業の案件を受けている。現在進行形の話なので、単金も含めて詳しくは書けない。ただ年収で言うと、令和7年は1,200万円。来期は1,700万円ほどになる見込みで、法人と不動産投資を足すと2,000万円くらいになる。

数字だけ並べると、こうなる。

会社員時代の月給35万円 → 65万円 → 85万円 → 105万円 → そして現在。


月あたりの収入カーブ(会社員時代は月給、独立後は単金)


8年間で、取引先は実質3社しかない。フリーランスというと案件を渡り歩くイメージがあるかもしれないが、私の独立は「辞める自由を持ったまま、同じ場所に居続けること」に近かった。

一番苦労したのは、技術ではなかった

8年間で一番苦労したことを、最後に書いておきたい。技術でも営業でもなく、チームマネジメントだ。

自分と同じ活力を持った人は、ほとんどいない。

当たり前の話だ。彼らは貧乏を知らないし、大手企業にいれば「仕事がなくなる」という経験もない。積極的に頑張るのは当たり前だと思っていたが、ほとんどの人はそうではなかった。そして、人はどうやっても変わらない、ということを知った。

だから局面は、いつも二択になる。自分のやり方をその人に課して成果を出してもらうか、自分自身でなんとかするか。

土壁の団地は、私に活力という燃料をくれたが、同時に、その燃料を持たない人と分かり合えない孤独もくれた。強みの源泉と苦労の源泉が同じところにあるというのは、皮肉な話だと思う。

これから独立する人へ

最後に、答え合わせをして終わろうと思う。

「30歳までに独立して月給100万円」という学生の妄想は、結果的にすべて達成された。ただ、振り返って独立がうまくいった理由を挙げるなら、自由への憧れではなく、次の三つだったと思う。

一つ目は、独立する前に能力を作ったこと。私の場合、それはベンチャーでの3年間だった。残業200時間を推奨する気はまったくないし、私は体を壊しかけた。ただ、「一人で全部できる」状態を作ってから独立したのは、順番として正しかった。独立は能力を換金する手段であって、能力を作る手段ではない。

二つ目は、信用の手続きを飛ばさなかったこと。中抜きのタブーを避けて一社挟んだこと、CEOに元の会社との関係を丸く納めてもらったこと。フリーランスの営業力とは、名刺の数ではなく「あの人なら大丈夫」という評判の蓄積で、それは辞め方から始まっている。

三つ目は、目標を達成した後に「維持」へ切り替えたこと。ただし、維持のためにやるのは自分磨きではない。自己学習に投資し続けたのは自分のためでもあるが、それ以上に、今いるお客さんを勝たせるためだ。お客さんが勝たない限り、自分の単金は維持されない。この順番を間違えなかったから、維持しようとした収入は、結果的に勝手に上がっていった。

それでも、と最後に付け加えたい。今でも時々、普通に日本の大手企業を目指せばよかったと思うことがある。独立は私にとって正解だったが、それは「お金が欲しい」という明確すぎる動機と、たまたま体を壊す前に辞められた運があってのことだ。

フリーランスは自由になれる、というのは嘘ではない。ただ、私が8年やって得たものは自由というより、「30歳までに」と焦っていた自分が、もう焦らなくてよくなったこと——それだけのような気がしている。

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ベンチャー時代に、生き延びるために「提案型」へ変わっていった経緯はこちら。

独立3年目に作ったマイクロ法人の、実際の中身はこちら。

いま受けている案件の、現在進行形の悩みはこちら。


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