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【人生編第10話】“ママ”だった頃の義母|義母の介護と夫のうつ、激流の中で私が見つけた家族の形

私が義母の言葉に傷ついて逃げ出した話はこちら👇

義母が
まだ歩けていた頃のことを思い出す。

——いや、それよりもっと前。
二十年以上前、
初めて出会ったときの彼女は、
“義母”ではなく「ママ」だった。

私がまだ夫と結婚する前、
義父の小料理屋のカウンターの
向こうで笑っていたママは、
明るくて、テンポが良くて、
毒舌が人気の“お店のママ”だった。

気前が良くて、
ちょっと破天荒で、
でもどこか憎めない人。

その横で義父が、

「あいつは両替すらできへん。
混んでると銀行でケンカになる」

とボヤいていたのを、
私は笑いながら聞いていた。

あの頃のママは、
ただただ可愛かった。

けれど、結婚して
“義母”になった頃から、
少しずつ、確かに変わっていった。

病気が進むにつれて、
義母は不安定になり、
息子よりも私を頼ることが
増えていった。

「あなたは優しい」

義母は、よくそう言ってくれた。

年に一度、
難病指定の更新書類を出すため、
私は仕事を休んで義母の病院へ
付き添った。

義母が、
「息子とは行きたくない」
と言うからだった。

病院へ向かう車の中で、
義母はいつも夫の文句を言った。

「あの子は昔から冷たい」
「お金も全部持っていく」

でも本当は、
義母は昔からお金の管理が苦手で、
夫がずっと支えていた。

毎月、
夫が自分のお金を足していたことも、
義母は知らなかった。

そしてもうひとつ、
義母が知らなかったことがある。

夫が、
自分の病気を隠していたこと。

「言ったら、
あの人は余計に不安になるだけ」

夫はそう言って、
義母の前ではいつも通りに
振る舞っていた。

義母の前でだけ、
夫は“息子”に戻っていた。

その姿を見るたび、
私は胸の奥が少しだけ痛んだ。



義母は若くして母になった。

望んだ妊娠ではなかった、と
何度も繰り返していた。

そのまま義父の田舎に嫁ぎ、
授かり婚が御法度だった時代の、
閉ざされた土地の“若い嫁”になった。

「ほんまに居づらかったんやで」

義母は、
同じ話を何度も何度もした。

その言葉の奥には、
若さと孤独と、
逃げ場のなかった
人生の重さが滲んでいた。

夫は、
そんな義母よりも義父のことが
好きだったようだ。

義父は穏やかで、優しくて、
夫にとって
“家の中で唯一安心できる人”
だったのかもしれない。

だから、
義父が亡くなったあと、
夫は深い鬱に落ちた。

義母の依存が強くなったのも、
夫の心が弱っていったのも、
その頃からだった。

夫は、
子どもの頃のことをあまり語らない。

けれど、
時折こぼれる断片だけで、
その環境がどれほど過酷だったのかが分かった。

そんな夫が、
私が子どもたちに
接する姿を見ながら、
ある日ぽつりと言った。

「俺の育った環境って……
異常やったんやな」

その言葉は、
長い時間をかけてようやく出てきた、
夫の心の奥の痛みだった。

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