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【第17話】嫌いだったはずのシドニーへ、私は逃げた

2009年1月、
私たちは入籍した。

春の匂いが近づく4月に
結婚式を挙げ、
5月には新婚旅行でハワイへ
向かった。

私は5回目のハワイ。
夫は初めてだった。

「到着してすぐ寝たら
時差ぼけになるよ」
そう伝えたのに、
ホテルに着いた瞬間、
夫はそのまま眠ってしまった。

案の定、
しっかり時差ぼけに。

その間、
私はホストマザーに会いに行ったり、
ショッピングを楽しんだり、
久しぶりのハワイの空気を
胸いっぱいに吸い込んだ。

夫はふらふらしながらも、
「ハワイ、めっちゃ好きになったわ」と笑っていた。

「死ぬまでにもう一度行きたい。」
その言葉が、なんだか嬉しかった。



帰国して間もなく、
義母に難病が発覚した。

何年か前から転倒が増えていたけれど、本人は「大丈夫」と言い続けていた。

病院に付き添った日、
医師から告げられたのは
パーキンソン病。

その帰り道、
義母は私に言った。

「あなたは私の面倒を
見ないといけないから、
子どもは作ったらだめよ」

結婚してから、
義母は少しずつ変わっていった。

私たちへの依存が強くなり、
言葉も、
どこか一方的になっていった。

その中で向けられたこの一言は、
はっきりと“拒絶”として胸に残った。

その言葉は、
一生忘れない。

胸の奥に、
冷たいものが落ちていくようだった。

やっと32歳で結婚できたのに、
子どもを持つことすら、
許されないのかと思った。



家に戻ってからも、
その言葉が
頭から離れなかった。

息がしづらくて、
どこにも居場所がないように感じた。

あの日のことは、
今でもはっきりと覚えている。
この言葉は一度だけではなく、
その後も言われ、
結局三度も言われた。

その後、
夫と義父が真剣に
怒ってくれたこともあった。

その姿に救われた部分もあったけれど、心の奥の傷は、
簡単には消えなかった。



結婚後、
私は義父が営む小料理屋で
手伝いをしていた。

義父は無口で優しい人。
でも義母の介護疲れもあってか、
お酒の量が少しずつ増えていった。

そんな中、
夫の会社が倒産した。

同僚と一緒に新しい会社を立ち上げたものの、生活は不安定になり、
小さな小競り合いが増えていった。
実家に帰って愚痴っても
父を心配させるだけ。

気づけば、私の心は
どこにも居場所がなくなっていた。



そんな11月のある日、
Jetstarから
プロモーションメールが届いた。

片道9,000円。
その日が最終日だった。

胸がざわついた。
「行かなきゃ」と思った。

理由なんてなかった。
ただ、ここから離れたかった。

義母のあの言葉が、
心の中で何度も響いていた。



気づけば私は、
衝動のようにシドニー行きの
チケットをブッキングしていた。

シドニー時代の友達たちに
「行くよ」と連絡を入れると、
みんなが「待ってるよ」と返してくれた。

シアが韓国からシドニーに戻っていることも前から知っていた。

だからこそ、
また会えると思うと胸が熱くなった。

あの頃の私たちが、
またどこかでつながり始めているような気がした。



そして私は、
義母のあの言葉に
傷ついた心を抱えたまま、

嫌いだったはずのシドニーへ、
逃げるように向かった。



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