祖父の原爆絵本を語り継ぐ【第5回】沈黙の壁を破って|祖父が語り始めた理由
1970年、長崎の小学5年生の約2割が「原爆がいつ落ちたか」答えられなかった
衝撃を受けた祖父は、沈黙の壁を破り、絵本や原爆読本の執筆を始めた――。
「二度と教え子を戦場に送ってはならぬ」その信念とともに。
戦後25年――1970年。
祖父・坂口便は、ある調査結果を知って衝撃を受けました。
それは、小学5年生の約2割が「原爆が落とされたのはいつですか」という質問に答えられなかったという原爆意識調査の報告でした。
その現実に、祖父は深く打ちのめされたのだと思います。
実は戦時中からすでに、「教育が子どもを戦場に送る」ことへの疑問を抱いていたようです。
戦後、その疑問はやがて強い信念となりました。
「二度と、教え子を戦場に送ってはならぬ」
その想いを胸に、祖父は語り継ぐことを「書く」ことで始めました。
1970年「沈黙の壁を破って」に、「今こそ沈黙の壁を破って」を掲載。
被爆者ではなかったけれど、被爆の実情を訴えるために仲間と共に筆をとりました。
祖父自身は、原爆投下時に中国にいたため、直接の被爆者ではありません。
しかし、こう語っていたそうです。
自分は被爆していない。
でも、親類や知人の多くをなくし、母親も被爆、家も痛めつけられた。
だから、被爆者も同然。
祖父は静かな語り手でした。
でもその言葉は、決して沈黙ではありませんでした。
それは「忘れないために、知ってほしい」という、教育者としての強い願いだったのです。
🙏出典と謝辞
本記事は、『聞き書き 坂口便先生』(著:末永浩さん)の記録をもとに構成しております。
祖父の足跡をたどる上での貴重な資料として、多くの学びと示唆をいただいていることを
この場を借りて、心より感謝申し上げます。
📚次回予告
【第6回】山里小学校での平和教育|祖父の絵本を読んだ私の記憶
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