番外編・前編|その実習指導は、未来の保育士を育てていますか?
保育士を目指す学生にとって、実習は保育士人生の入口です。
その入口で、保育の面白さに出会える人もいれば、保育の厳しさや怖さだけを強く感じてしまう人もいます。
もちろん、実習生自身に学ぶ姿勢は必要です。
挨拶をすること。
時間を守ること。
記録を書くこと。
準備をすること。
わからないことを質問すること。
それらは、保育士を目指すうえでとても大切です。
でも同時に、実習生を受け入れる園側にも考えなければいけないことがあります。
その実習指導は、実習生をただ評価するためのものになっていないでしょうか。
保育士としての厳しさを思い知らせるだけのものになっていないでしょうか。
実習録を書くことが、実習の目的になってしまっていないでしょうか。
苦手なことだけで、その人の夢や希望を奪っていないでしょうか。
実習生を受け入れるということは、未来の保育士を育てることです。
今回は番外編として、実習生を受け入れる保育園側が考えなければいけないことについて書いていきます。
1. 実習は、保育士人生の入口である
保育士を目指す学生にとって、実習はとても大きな経験です。
初めて長い時間、保育の現場に入る。
子どもたちの前に立つ。
先生たちの動きを見る。
保護者の方の姿を見る。
記録を書く。
部分実習や責任実習に取り組む。
学校の授業だけでは見えなかった、保育の現実に出会う時間です。
その時間は、楽しいことばかりではありません。
うまく子どもと関われない。
声をかけても届かない。
何を書けばよいかわからない。
先生たちが忙しそうで質問できない。
自分の未熟さに落ち込む。
そんな経験も、きっとたくさんあると思います。
2. 私は実習を経験していない。だからこそ思うこと
私は、保育学校を出て保育士になったわけではありません。
保育学校には通わず、国家資格を受験して保育士資格を取得しました。
だから、いわゆる保育実習を経験していません。
実習の大変さを、自分の経験として語ることはできません。
実習録に追われる苦しさも、責任実習前の緊張も、実習先で評価される不安も、私自身が体験したものではありません。
だからこそ、かもしれません。
私は、保育を心から好きでいられているのかもしれない。
保育の入口で、必要以上に怖さや苦しさを植えつけられなかったからこそ、保育の面白さや奥深さにまっすぐ向き合えているのかもしれない。
もちろん、実習そのものを否定したいわけではありません。
実習は、保育士を目指す人にとって大切な学びの場です。
子どもと関わること。
現場の先生の姿を見ること。
保育の難しさを知ること。
自分の課題に気づくこと。
それらは、学校の授業だけでは得られない大切な経験です。
でも、だからこそ私は、実習生を受け入れる園側が、もう一度考えなければいけないと思っています。
3. 実習生を受け入れる一番の目的は何か
実習生を受け入れる一番の目的は、何でしょうか。
それは、園の人手を補うことではありません。
実習生を評価することだけでもありません。
保育士としての厳しさを思い知らせることでもありません。
実習生を受け入れる一番の目的は、良い保育士を生むための第1歩を、現場として支えることだと思います。
実習生は、まだ保育士ではありません。
できないことがあって当然です。
わからないことがあって当然です。
記録がうまく書けないこともあるでしょう。
子どもへの関わり方に迷うこともあるでしょう。
責任実習で思うようにいかないこともあるでしょう。
でも、それは「できない人」だからではありません。
これから学ぶ人だからです。
これから育つ人だからです。
これから保育士になっていくかもしれない人だからです。
だから、実習生を受け入れる園は、ただ実習の場を提供しているだけではありません。
未来の保育士を育てているのです。
4. 実習生は「できない人」ではなく「これから育つ人」
その学生が、いつかどこかの園で子どもたちの前に立つかもしれない。
その学生が、保育を好きになるかもしれない。
その学生が、「自分もこんな先生になりたい」と思うかもしれない。
逆に、その実習をきっかけに、保育の道を諦めてしまうこともあるかもしれません。
もちろん、すべてを園側の責任にするつもりはありません。
実習生自身にも、学ぶ姿勢は必要です。
挨拶をすること。
時間を守ること。
記録を書くこと。
準備をすること。
わからないことを質問すること。
指導を受け止めること。
これらは、保育士を目指す上でとても大切です。
でも、園側にも責任があります。
その実習生が、安心して学べる環境をつくれているか。
失敗をただ責めるのではなく、次につながる振り返りにできているか。
保育士という仕事の大変さだけでなく、面白さや尊さも伝えられているか。
実習生を、未来の仲間として見ているか。
ここを、園側が考えなければいけないと思うのです。
5. 厳しさとは、追い詰めることではない
保育士としての厳しさを教えることは、もちろん必要です。
保育は命を預かる仕事です。
子どもの安全を守る仕事です。
子どもの心に関わる仕事です。
保護者の大切なお子さんをお預かりする仕事です。
だから、甘い気持ちだけではできません。
準備不足が子どもに影響することもあります。
言葉のかけ方ひとつで、子どもを傷つけてしまうこともあります。
確認不足が事故につながることもあります。
責任感のない行動が、周囲の信頼を失うこともあります。
そうした厳しさは、実習生にも伝えなければいけません。
でも、厳しさの意味を間違えてはいけないと思います。
厳しさとは、怖がらせることではありません。
厳しさとは、追い詰めることではありません。
厳しさとは、人格を否定することではありません。
厳しさとは、「あなたには向いていない」と簡単に突き放すことでもありません。
本当の厳しさとは、その人が保育士になる可能性を信じて、必要なことを丁寧に伝えることだと思います。
できなかったことを、なかったことにしない。
でも、できなかったことだけで終わらせない。
なぜできなかったのか。
次はどうすればよいのか。
その行動は子どもにどんな影響があるのか。
保育士として何を大切にすべきなのか。
そこまで一緒に考えることが、実習指導における本当の厳しさではないでしょうか。
6. 「自分もそうだったから」が生む負のループ
保育の現場では、時々こんな言葉を聞くことがあります。
「私たちの時代はもっと厳しかった」
「自分もそうやって指導された」
「それくらい乗り越えられないと保育士はできない」
「実習生なんだから、これくらい当たり前」
その気持ちがまったくわからないわけではありません。
実際に、厳しい実習を乗り越えてきた先生もたくさんいると思います。
苦しい経験をしながら、それでも保育士になった先生もいると思います。
その経験が、今の自分をつくっていると感じている人もいるでしょう。
でも、そこで一度立ち止まりたいのです。
自分がそうだったから、次の世代にも同じようにする。
それは本当に、良い保育士を育てることにつながっているのでしょうか。
もしかすると、それは育成ではなく、負のループかもしれません。
自分が苦しかったから、相手にも苦しませる。
自分が耐えたから、相手にも耐えさせる。
自分が怒られて育ったから、相手にも同じように怒る。
もしそうなっているとしたら、保育の未来は少しずつ苦しくなっていきます。
大切なのは、昔の苦労を再現することではありません。
今の実習生にとって、何が学びになるのか。
どんな関わりなら、保育士としての責任を理解できるのか。
どんな環境なら、失敗を成長に変えられるのか。
そこを考えることだと思います。
7. 実習録を書くことが目的になっていないか
実習録についても、同じです。
実習録は大切です。
これは間違いありません。
保育士にとって、記録を書く力は必要です。
子どもの姿を言葉にする力。
自分の関わりを振り返る力。
保育の意図を整理する力。
次の保育につなげる力。
記録は、保育士の専門性を支える大切な仕事です。
ただし、実習録を書くことが、実習生の目的になってしまっていないでしょうか。
実習録を出すために子どもを見る。
実習録を埋めるために活動を見る。
先生に赤を入れられないために書く。
怒られないために書く。
そうなってしまうと、実習の本質から少し離れてしまいます。
8. 徹夜で実習録を書き、眠いまま子どもの前に立つこと
実習録を書き上げるために徹夜して、眠い目をこすりながら、翌日また子どもたちの前に立つ。
それが果たして、誰のためになるのでしょうか。
実習生のためでしょうか。
子どもたちのためでしょうか。
保育の学びのためでしょうか。
もちろん、記録を軽く見てよいという話ではありません。
でも、記録のために心身をすり減らし、翌日の子どもとの関わりに集中できなくなるのだとしたら、それは本来の目的から離れているのではないかと思うのです。
本当に大切なのは、きれいな文章を書くことだけではありません。
今日、子どもの姿を見て何を感じたのか。
その子の行動をどう受け止めたのか。
自分の関わりはどうだったのか。
うまくいかなかったことから何を学んだのか。
明日はどう関わってみたいと思ったのか。
そこを、自分の言葉でアウトプットする力です。
文章が上手かどうかよりも、まずは感じているか。
見ようとしているか。
考えようとしているか。
次につなげようとしているか。
実習録は、そのための手段です。
もちろん、提出期限を守ることは大切です。
記録を提出しないままでよい、という話ではありません。
ただ、記録が提出できなかったときに、園側がどう関わるかも大切です。
実習録を提出できなかったから、その日の実習を受けさせない。
そういう園があると聞くことがあります。
たしかに、記録を出さないことは軽い問題ではありません。
約束を守ること、期限を守ること、準備をして現場に入ることは、保育士として必要な姿勢です。
でも、その対応が本当に教育的なのかは考えたいところです。
なぜ提出できなかったのか。
書き方がわからなかったのか。
疲れ切ってしまったのか。
相談できなかったのか。
見通しが甘かったのか。
そもそも記録の意味を理解できていなかったのか。
そこを見ずに、ただ「出せなかったから今日は実習できません」とするだけで、実習生は何を学ぶのでしょうか。
失敗したら終わり。
相談できなかったら終わり。
記録を出すことがすべて。
そんな学びになってしまう可能性もあります。
本来であれば、提出できなかったという事実を使って、責任や準備、相談する力、見通しを持つ力を学ぶ機会にできるはずです。
「なぜ出せなかったのか、一緒に整理しよう」
「今日の実習後、どこまで書けそうか考えよう」
「明日から同じことにならないために、どう進める?」
「記録は何のために書くと思う?」
そう問いかけることも、実習指導です。
実習生に甘くするという話ではありません。
むしろ、きちんと向き合うという話です。
厳しさとは、切り捨てることではありません。
厳しさとは、学びに変えるところまで関わることだと思います。
9. ピアノが弾けないから、保育士を諦める必要はあるのか
これは、ピアノについても同じです。
「ピアノが弾けないから、私は保育士を諦めた」
そんな言葉を、これまでどれだけの人が口にしてきたのでしょうか。
そして、これまでどれだけの保育士になりたい人の夢や希望が、「ピアノが弾けない」という理由で打ち砕かれてきたのでしょうか。
もちろん、ピアノが弾けることは素晴らしい力です。
保育の中で音楽を楽しむための、大切な手段の一つです。
でも、ピアノが弾けないことは、保育士になれない理由なのでしょうか。
私は、そうは思いません。
ピアノが弾けないなら、違う楽器を使えばいい。
ほかの楽器も難しければ、手拍子でもいい。
リズム遊びでもいい。
歌が得意な先生と一緒にやってもいい。
極端に言えば、口ピアノでもいい。
子どもたちと一緒に声を出し、笑いながら歌えばいい。
大切なのは、何のために音楽をするのかです。
目的は、先生が上手にピアノを弾くことではありません。
目的は、子どもたちが「音楽って楽しいな」と感じることです。
音を楽しむ。
リズムを感じる。
友だちと一緒に歌う。
体を揺らす。
表現することを楽しむ。
その経験が、未来にはばたく子どもたちの心を育てていくのだと思います。

10. 手段が目的になったとき、保育の本質を見失う
保育には、いろいろな手段があります。
ピアノも手段です。
絵本も手段です。
製作も手段です。
運動遊びも手段です。
環境構成も手段です。
声かけも手段です。
でも、手段が目的になってしまうと、保育の本質を見失います。
ピアノが弾けるかどうか。
実習録がきれいに書けるかどうか。
責任実習で予定通りに進められるかどうか。
それらは大切です。
でも、それだけで保育士としての可能性を判断してよいのでしょうか。
本当に見たいのは、その人が子どもを見ようとしているか。
子どもの声を聴こうとしているか。
失敗から学ぼうとしているか。
自分の思いを言葉にしようとしているか。
保育を好きになろうとしているか。
そこではないでしょうか。
11. 園長先生が、実習生を受け入れる環境をつくる
そして、この実習生を受け入れる環境づくりは、現場の先生たちだけに任せていては難しいと思います。
現場の先生たちは、毎日とても忙しいです。
子どもたちの安全を守る。
保育を進める。
保護者対応をする。
記録を書く。
行事の準備をする。
職員同士で連携する。
その中で実習生にも丁寧に関わる。
これは簡単なことではありません。
だからこそ、園長先生が率先して、実習生を受け入れる環境をつくる必要があります。
園長先生は、園の理念や考え方の旗振り役です。
園長先生は偉いから旗を振るのではありません。
園長先生がいつも正しいから旗を振るのでもありません。
園長先生自身も、間違えることがあります。
見えていないこともあります。
現場の先生から学ぶこともたくさんあります。
それでも、園の方向性を言葉にする責任があります。
うちの園は、実習生をどのように迎えるのか。
実習生に何を学んでほしいのか。
どんな厳しさを伝えるのか。
どんな安心感をつくるのか。
失敗をどう扱うのか。
記録をどう指導するのか。
実習生に、保育の何を持ち帰ってほしいのか。
それを園長先生が言葉にしなければ、現場任せになってしまいます。
そして現場任せになれば、実習生への関わりは、担当する先生の経験や価値観に大きく左右されます。
もちろん、それぞれの先生の経験は大切です。
でも、園としての考え方がないままでは、実習生は混乱します。
ある先生は優しい。
ある先生は厳しい。
ある先生は記録だけを見る。
ある先生は何を見ればいいか教えてくれる。
ある先生には質問しやすい。
ある先生には声をかけづらい。
それがすべて悪いわけではありません。
でも、園としての軸は必要です。
実習生を受け入れることは、園の保育観が表れる場面です。
子どもを大切にすると言いながら、学ぼうとしている実習生には冷たい。
主体性を大切にすると言いながら、実習生には一方的に指示をする。
心理的安全性を大切にすると言いながら、実習生が質問できない空気がある。
もしそうなっていたら、園の理念は言葉だけになってしまいます。
子どもを大切にする園は、実習生の学びも大切にできる園でありたい。
子どもの成長を信じる園は、実習生の成長も信じられる園でありたい。
子どもに寄り添う園は、学びの途中にいる人にも寄り添える園でありたい。
私はそう思います。
12. 実習生を受け入れることは、未来の保育を育てること
もちろん、実習生はお客様ではありません。
特別扱いをする必要もありません。
保育士を目指す以上、責任をもって取り組む必要があります。
でも、未来の仲間かもしれません。
いつか、同じ保育の世界で働く人かもしれません。
どこかの園で、子どもたちの前に立つ人かもしれません。
保育の未来を一緒につくっていく人かもしれません。
だからこそ、実習生を受け入れる園は、未来の保育士を育てているという意識を持ちたいのです。
実習生が帰るときに、何を感じていてほしいか。
「保育って怖い」ではなく、
「保育って難しい。でも、もっと学びたい」
「先生たちに怒られないように過ごした」ではなく、
「子どもを見ることの大切さに気づいた」
「記録を書くために実習した」ではなく、
「感じたことを言葉にする意味がわかった」
「ピアノが弾けないから無理」ではなく、
「自分なりの方法で、子どもたちと音楽を楽しみたい」
「自分には向いていないかもしれない」ではなく、
「まだまだだけど、保育士になりたい」
そう思える実習であってほしい。
そのために、園側ができることはたくさんあります。
最初に、園の保育観を伝えること。
実習生に、何を大切に見てほしいかを伝えること。
わからないことを質問してよい空気をつくること。
記録の書き方だけでなく、感じたことを言葉にする時間をつくること。
失敗したときに、責めるのではなく一緒に振り返ること。
必要な厳しさは、理由とともに伝えること。
苦手なことだけで、その人の可能性を決めつけないこと。
実習担当者だけに任せず、園全体で受け入れること。
どれも特別なことではありません。
でも、その一つひとつが、実習生にとっては大きな学びになります。
実習生を受け入れることは、未来の保育を育てることです。
その学生が、いつかどこかで、子どもたちに優しく関わるかもしれない。
子どもの良さを見つけられる保育士になるかもしれない。
失敗しても振り返れる保育士になるかもしれない。
仲間を大切にできる保育士になるかもしれない。
音楽の楽しさを、ピアノ以外の方法で伝えられる保育士になるかもしれない。
その最初の一歩に、私たち保育園は関わっているのです。
だから、実習生を受け入れる園は、自分たちに問いかけたい。
私たちは、実習生をただ受け入れているだけになっていないか。
実習録だけを見て、その子の学びを見落としていないか。
厳しさの意味を、間違えていないか。
「自分もそうだったから」で、負のループを続けていないか。
苦手なことを理由に、その人の夢や希望を奪っていないか。
未来の保育士を育てているという意識をもてているか。
実習生にとって、実習は保育士人生の入口です。
その入口で、保育の難しさだけでなく、保育の面白さや尊さにも出会ってほしい。
そして、受け入れる園側もまた、実習生との出会いを通して、自分たちの保育を見つめ直す機会にしていきたい。
実習生を育てることは、未来の保育士を育てること。
未来の保育士を育てることは、未来の子どもたちを支えること。
私は、そう考えています。
保育士を目指すあなたへシリーズ
①園長のキモチとして、いま伝えたいこと―
②~人を表面で見る大人になるな~
③思いを言語化する能力が未来を切り拓く
