『食べてくれないんです』と相談に来るあなたが、一番深く考えてるんじゃないかと思う。
「HONOさん、ちょっと時間いいですか?
…この患者さん、食事摂取が進まなくて…。」
病棟の廊下、ナースステーションから少し離れたところで、あなたは立ち止まっていた。
カルテを抱えたまま私の顔を見て、
それから話しかけてきた。
——たぶん、
声をかけるタイミングを計っていたよね。
私は、そう思った。
これは、私が管理栄養士さんから大事なものを教えてもらった話。
あなたは、いつも少し離れたところに立っている
あなたが病棟の管理栄養士さんとして来てくれてから、もう何年が経っただろう。
気がついたら、
私はあなたを頼るようになっていた。
そんなあなたは、
いつも少し離れたところに立っている。
朝のミーティング、
ナースステーションでの情報共有、
リハスタッフが集まる夕方の引き継ぎ。
みんなが輪になっているとき、
あなたはその輪の、ほんの少し外側にいる。
最初は、遠慮深い人なんだろうと思っていた。
輪の中に入っていけない人なのかな、と。
でも、しばらく見ていて違うと気づいた。
——ずっと観察していたんだね。
聞きたいことはあるけど、
相手の予定と、
いま手が空いているかどうかを、
ぜんぶ考えてから話しかけている。
だから少し離れた場所に立っている。
輪の中にいたら、観察できないから。
学会に行って発表もする。
外の場で学んだ知識を、
病棟に持ち帰ろうとしている。
こんなに頑張っていることを、
私はだいぶ後から知った。
あなたは、自分がしている努力の部分を
あまり言わない。
「食べてくれないんです」と聞かれて、私の頭の引き出しは開く
「食べてくれないんです」と相談されたとき、私の頭の中では、いくつかの引き出しが順番に開く。
まず、いちばん最近の処方変更を思い出す。
先週、何か薬変えたっけ?
増やしたっけ。
減らしたっけ。
次に、薬剤性の食欲不振を起こしそうな薬を、
患者さんの処方箋に重ねていく。
たとえばメトホルミン、SSRI、抗コリン薬、長期で続いている便秘薬。亜鉛が足りていないかもしれない、と思って採血結果を遡ったりもする。
そして、たいていの場合、薬を減らす方向で検討するとうまくいくことが多い。
薬を足すより、薬を引くほうが、
患者さんが食べてくれることがある。
ただ、こうやって書いているときは情報が整理されているけど、廊下で相談されたその瞬間には、ここまで全部は出てこない。
少し前までの私は、
「調べて、明日また報告しますね」と言っていた。
持ち帰ってちゃんと調べて、
次の日の朝、情報を整理してから話しに行く。
それが丁寧な仕事のつもりだった。
でも、あるとき、あなたはこう言ってくれた。
「あのときもらった情報で、夕食に間に合わせて変更することができました。」
——そうだったの?
私は、ちょっと驚いた。
明日でいいと思っていた話に、
その日の夕食という締め切りがあったなんて、
私は気づいていなかった。
それからは、午前中に話しかけてもらえたなら、
できる限りすぐに返すようにしている。
完璧な答えじゃなくていい。
「いまの時点で、これくらいまでは言える」を、
早めに伝える。
残りはわかり次第。
少しでも食べてほしいと思っているのは、
あなたも私も一緒だから。
そのことを、私はあなたから教わった。
「なんとなく」の正体
質問されて、答えて。
私からも質問して、教えてもらって。
気づけばそんなことを繰り返すようになっていた。
繰り返しながら、
もうひとつ、気づいたことがある。
私の頭の中の知識より、
あなたが運んできてくれた「なんとなく」のほうが当たっていることが多いということ。
「ちょっと変なんです」
「いつもと違うんです」
「説明しにくいんですけど、なんか食べ方が…」
看護師さんのいう「なんか変」とはまた違うこの感覚を、私はここでも目にするようになっていた。
あるとき、聞いたことがある。
「カルテの食事摂取量って、看護記録に毎食ちゃんと数字が入っているじゃない。それを見て判断するんじゃないの?」 と。
あなたは、こう言った。
「看護記録の数字も大事です。でも、実際に食べている姿を見ることのほうが、私は何倍も大事だと思っているんです」
——その時、
私の頭の中でひとつの疑問が浮かんだ。
薬を飲むところまで見届けている薬剤師って、
どのくらいいるんだろう。
私は、たぶん見届けていない。
あなたは、ちょくちょく食べている姿を見に病室に行く。看護記録の数字より、目の前のその人の姿に重きを置いている。
仕事の性質上、
薬剤師が「飲み込む」までを見ることはあまりない。でも、それをわかったうえでこう思う。
実際にその一錠が、その人の口に入っていく姿を、
私は何度見ただろう。
そう気づいてから、
廊下であなたに声をかけられたとき、
私が最初にすることが変わった。
あなたの言葉そのものを、もう少しちゃんと聞くようになった。
そして、自分も、
もう少し患者さんのところに足を運ぼう、
と思うようになった。
「なんとなく」を運んでくれるあなたから、
私は仕事への向き合い方を教わっている気がする。
「知識が足りない」と思っている人が、いちばん深く考えている
あなたは、ときどきこんな風に言う。
「私、薬のこと全然分からなくて。こんなことばっかり聞いてすみません」
そのたびに、私は心の中でこう思っている。
分からないと言うあなたが、
誰よりも勉強し続けているのを知っているよ。
学会発表の準備でぐったりしている横顔も、
私は知っている。
「分からないから聞きます」と言える人ほど、
たぶん深く考えている。
「分かっています」という顔をする人より、
ずっと。
これは、薬剤師の世界にもある話だと思う。
私だって、
自信のない症例の前では何度も何度も調べる。
「分かっている」顔をするより、
「まだ分からない」と言える人のほうが、
たぶん仕事が深い。
私は、そう思っている。
だから、あなたが「すみません、薬のこと分からなくて」と言うたびに、こう思う。
——そんなことない。
深く考えているから、慎重なんですよね。
わかってるよ。
声に出しては言わない。
言うと、たぶんあなたは恐縮してしまうから。
だから私は、心の中でそんな風に思っている。
だから、もう少しだけ近くで
あなたは、薬の知識が足りないから、
輪の少し外側に立っているんじゃない。
誰よりも、患者さんのことを深く考えているから慎重なんだと、私は思っている。
だから、
もう少しだけ近くで立ち話をしませんか?
廊下のあの場所のままでいいです。
輪の外側のままでも、いい。
ただ、もう一歩だけ、
私のほうに近づいてくれたら嬉しい。
薬の知識は私が出します。
「なんか違う」のほうは、あなたに教えてほしい。
そうすればたぶん、
いちばん患者さんに近いところで、私たちは話せると思うから。
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食べることと薬の板挟みを、管理栄養士さんと考えた原点の記事。食物繊維とカリウムのあいだで、一緒に立ち止まった話です。
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