「断罪パラドックス」 第31話
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桜山高校に入学できた一瞬だけはホッとしたけど、母はとんでもないことを言いはじめた。
「あの女! あの女よ! 美穂を連れて行った女」
外面のいい母は行事には必ず出席してくれた。入学式の日、五十嵐先生の顔を見た時、母は稲妻に打たれたように立ちつくし、顔を強ばらせていた。僕は嫌な予感しかしなかった。
「あの女って、美穂おばさんを連れて行った女子高生のこと? でも、顔を思い出せないって言ってたじゃないか」
「今日、この瞬間に思い出したの!」
「三十年前のことでしょう? よく似ているだけじゃない?」
僕がそう言うと母は拳で僕の鼻を殴った。カッと顔が燃えるように熱くなり、生温かいものが流れ出す。祖父母が亡くなってからはしょっちゅうだったので僕はよけなかった。よけるともっと怒られるからだ。それに、殴られるだけある意味は母との関係がマシになったと思っていたんだ。
「私が適当なことを言っていると言いたいの? やっと、思い出せたの! あの女の顔が!」
母は興奮していた。血色の良くなった顔は輝いていた。
とても、美しかった。
そして、僕はそれが怖かった。
「警察に行って話すの?」
「警察に行ってなんになるって言うの。あの時だって私の話をまともに聞いてくれなかったのに。警察になんか言わない。何も気づかないふりをしたまま、あの女に復讐しましょう。死んだほうがましだと思えるような復讐をするのよ!」
母は夢見心地の少女のような目で僕にそう言った。僕は絶望が半分と母が喜ぶことをしてあげられるかもしれないという期待が半分だった。もう、自分が復讐の道具にされることは分かっていた。
だって僕は初めから、道具として生を受けたんだから。
入学式からすぐに、母は探偵事務所を使って、五十嵐先生のことを調べた。探偵事務所の調べによると、五十嵐先生の家はT市でもかなりの資産家の一族であるにも関わらず、五十嵐先生は私生児だった。財産を守るために娘に子どもを産ませたのかと思ったらそうでもないらしい。五十嵐先生には妹もいたが、この妹も私生児だった。探偵事務所もかなり調べたが、五十嵐先生とその妹の父親は分からないという。
父親が分からないのは僕も同じだ。
「驚いたわ。うちの病院でふたりとも産まれているのね」
母はそう言ったけど、そんなのはどうでもいい情報だと思った。このあたりで一番評判のいい産婦人科はうちだったからそういう事情に過ぎないと思った。
母はかなりお金をつぎ込んで五十嵐先生を調査した。でも、いくら叩いても埃は出なかった。調べれば調べるほど五十嵐先生がいい教師だということが分かった。弱点らしい弱点と言えば、五十嵐先生が私生児というくらいで、五十嵐家はT市でもかなりの資産家に入るらしく、さまざまな寄付をしたりしているし、昭和初期から、私設の奨学金事業をしており、優秀な人材を育ててきたらしい。そして、皮肉なことに、祖父がこの奨学金を受けていたことが分かった。母は五十嵐家から祖父が恩恵を受けていたことに一瞬混乱していた。
「でも、あの女に間違いないの!」
母はどうにかして、五十嵐先生に復讐したいようだった。僕は僕なりに五十嵐先生を観察していたが、評判通りだった。
「あの女に問題がないのなら、あの女の生徒が問題だらけになればいいのよ。ないならでっちあげなさい。いじめられているとか、なんとか言って」
「僕はいじめられるようなキャラクターじゃないんだけど」
「今からでもなれるでしょう?」
「いじめじゃなくても問題を起こせばいいんでしょう?」
問題を起こすならいじめをでっちあげるのが一番だと母は言った。確かにそうだとは思う。「いじめがなかった」ことを証明することのほうが実は難しそうだからだ。でもそれでは困るからどうにか母をなだめて説得した。冗談じゃない。いじめに遭うキャラなんかを演じたら、ライオンじゃいられなくなる。ライオンじゃなくなったら、僕の言いなりになる人間を作るのが難しくなる。
生徒を問題だらけにすればいいのなら、お手のものだ。どのみち僕はこの学校の中で自分の数学を担当させる生徒だか教師だかを見つけなければならないのだから。でも、生徒に目星を付けるのは、なかなか難しかった。
こんな田舎の学校でも桜山はT市で一番の進学校で、生徒の親にはそれなりに経済力があり、本人の学力もあって、自己肯定感ってやつも高い。弱みがあるヤツを見つけるのは一苦労だと思った。
逆に数学の学年担当の教師、大神の弱点はすぐに見つかった。母が使っていた探偵事務所を母には内緒で僕が使って大神を調べた所、叩いたらあっさり埃が出た。
大神は前の学校で女子生徒にわいせつな行為をして処分されている。狼を羊が沢山いる牧場にこんなにあっさり戻してしまうなんて、いい加減な処分だと思ったけど、僕にとっては重要な切り札が簡単に手に入ったので、いい加減な処分に感謝したいくらいだった。
そうなると、羊が必要になってくる。五月になってから学校で大神を見張り続けたけど、今のところ大神が自分で見つけた羊はいないらしい。そうなると、こちらから大神にけしかける羊が必要になってくる。どうしたものかと考えていたんだ。
僕が勝つための駒をそろえなければいけない。
僕は新校舎の屋上の鍵を職員室からくすねていた。考えるのにうってつけの場所だったからだ。桜山は生徒数の多いマンモス校だ。人気のない場所は限られている。そういう場所を押さえておくのは色んな意味で大事なことだった。秘密の話を持ちかけたり、弱みを握ったりするためにはそういう場所の確保は必須だった。その点、新校舎の屋上はうってつけだった。それに気分転換できるという意味では最高だった。風通しが良く見晴らしもいい。時々下を見て、五十嵐先生に問題を起こすとしたら、僕がここから飛び降りるのが一番手っ取り早いかもしれない。なんて冗談半分で思ったところだった。
屋上の重たい鉄の扉がバタンと閉まる音がした。まずい。誰か来た。僕は入り口のそばにいたからその影に隠れた。女子生徒だった。ちらりと見えた顔を知っていた。同じクラスの二村さんだった。すらりと手足の長い、色白の目鼻立ちのはっきりした可愛い子だ。大人しそうな性格も手伝って、男子から密かに人気がある子だった。
その二村さんがどうして? と思った瞬間に二村さんはまっすぐ歩いて行き突き当たった屋上のフェンスをなんの躊躇いもなくよじ登っていった。
この人は本気で死ぬ気だ。
ということは何か弱みがあるのかもしれない。そう思って、思わず二村さんを止めた。
「私、妊娠しているの」
と打ち明けられた時には少し驚いたけど、そんなことで、死ななきゃいけないと思い詰めてしまった二村さんの母親は二村さんにとって弱みだなとも思った。二村さんはネットで知り合ったジジイに脅されて性行為を強要され続けた末の妊娠をまるで自分のせいだと思っている節があった。
僕の説明不足のせいで、二村さんの目の前で母に殴られたのは精神的にきつかった。でも、自分のせいで母が僕を殴ったのだと思った二村さんから、同情を買うことができたのは結果的に良かった。
別にしなくてもよかったのかもしれないけれど、そのほうが二村さんにいうことを聞かせやすい気がしたから二村さんとセックスをした。
二村さんが僕に複雑な感情を抱いているのは何となく分かったし、居心地は悪くなかったけど、二村さんは僕に同情していた。僕はそれがどうしても許せなかったから、冷たくすることもたびたびあった。でも二村さんは僕が粗末に扱えば扱うほど僕に依存していって、それが時々自分と重なって見えることがあって息が詰まった。
三国くんに二村さんが可哀想だと、きっぱり言われたこともあった。
三国くんはあの学校には珍しいDQNネームだったから、かなり早くからマークしていた。弱みが見つけやすいと睨んだからだ。でも、慈愛杏登なんてふざけた名前のくせに、けっこう鋭いし、根が優しかった。
「慈愛杏登ってすごい名前だよね」
そういった時の三国のいらついた顔は今も脳裏に浮かぶ。
「お前の名前だってある意味結構DQNだよな」
そう言われた時にポーカーフェイスを保てた自分を褒めたい。自分の名前のことは密かに僕が気にしていたことだった。三国の名前はDQNネームかもしれないが、そこには確かな親の願いが入っていた。僕にはそういうものがない。母には名前の由来を聞いてもいない。怖くて聞けないのだ。三国は名前がコンプレックスだったけど、僕は気にすることさえ怖くてできなかった。
三国は本当に愚かだと思う。学校であんな大胆に泥棒をやっていたら、僕じゃなくてもいつか他の誰かに見つかっていただろう。
本当は三国を僕の意のままに操るには泥棒の件だけで十分だった。あそこまでやってしまったのは、三国のことは絶対許さないと誓っていたからだ。触られたくないところを触られたからだ。五十嵐先生は三国に五十嵐家の奨学金を融通するつもりだったと思う。だから、あいつは大学進学を視野に入れていたんだ。全部ぶち壊してやりたかった。
だから、あいつの妹を狙った。あいつが一番大切にしているものを壊したんだ。自分のせいで一番大切なものが壊れたと知った時のあいつの顔を見た時は本当に爽快だった。
四ノ宮はまるで僕をみているような部分もあってひたすらに痛々しかった。あいつは時々、本当に俺と替え玉やカンニングの計画を立てるのが楽しそうだったんだ。
あいつは母親から時間のすべてを奪われていた。僕は母親から感情を何も与えてもらえなかった。あいつは時間がないせいで友だちがひとりもいなかった。僕は自分で塗り固めた嘘のために友だちと呼べる人間はひとりもいなかった。真逆にいるようで、僕と四ノ宮はとてもよく似ていたんだ。どうしようもない兄がいた点で、四ノ宮のほうが大変かもしれない。四ノ宮は強制わいせつだか準強姦で大学を退学になった兄をどうするつもりなんだろう。ああいうのはたぶん治らないから四ノ宮は兄の尻を拭い続けるのかもしれない。
僕はこうして、母の妄想にしか思えない復讐心を満たすためと、自分が高校生活をやり過ごすための駒として、二村瞳、三国慈愛杏登、四ノ宮学、三人の駒を揃えた。この三人の駒を上手くやりくりして、五十嵐先生を駒にする。そして、母の妄想めいた復讐心を満たして……。
母から「よくやった」と言われたら、それでいい。と思っていた。それから、先のことなんて考えていなかった。でも、五十嵐先生は僕の想像力ではまったく追いつけない人間だった。
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