「断罪パラドックス」 第18話
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一条がどこにいるのかなんて知らなかったけど学校へ走った。放課後のグラウンドからまだ野球部やサッカー部の掛け声が聞こえていた。教室にはいなかった。でも、俺は一条が屋上で俺を待っているような気がした。
あいつが俺の弱みを握って、売人の連絡先を聞き出した屋上にいるような気がしたんだ。 二段飛ばしで階段を駆け上って屋上のドアに手をかけた。鍵はかかっていなかった。
重たいドアのきしむ音が響く。視界が開けた瞬間。
こちらを振り返る一条の姿が見えた。
「あれ? 三国くん、どうしたんだい? ずいぶん慌ててるけど?」
俺は一条の胸ぐらを掴んだ。
「おまえ! よくも! この悪魔! なんだって樹里杏に近づいたんだ」
俺は怒りにまかせて一条を殴った。一条はたいした抵抗もせずに殴られて床に膝をついた。もう一度胸ぐらを掴んだ。
一条はにやにや笑っていた。背筋がぞうっとする嫌な笑いかただった。その得体の知れない恐ろしさに思わず掴んだ胸ぐらを放した。一条の口元には血が滲んでいた。一条はそれを手の甲で拭った。
「酷いなあ。僕、男に殴られたのなんか初めてだよ」
一条は殴られたのに逃げようとすることも、怖がることも、激高することも、悲しむこともなかった。ましてや、俺を殴り返そうとすることもなかった。
一条の落ち着いた様子に俺は段々と自分がものすごい失敗をしたような気分になってきた。
「こんなに人を簡単に殴るってことは、ヤク中のママは三国くんや、樹里杏ちゃんを殴ったんだね」
「……母さんは殴ったりはしない」
「じゃあ、なんで通報なんかしたのかな? ママを警察に売ったのはなんで?」
「母さんは……」
母さんに対して抱いている感情を言ったって一条みたいに恵まれているヤツにわかるはずがない。俺は黙り込んだ。
「三国くん、僕はね、母親を売ることができた君を、ある意味尊敬してるんだ。僕にはどうしても想像ができなかった。確かに薬物中毒のママなんて最低だけど。母親を売ることは僕にはどうしても想像できなかった。だけど、一生懸命考えてみたんだ。僕と君の違いをね」
「そんなの、分かりきってるだろ? 育ちの違いだ」
「育ち」と言った瞬間の一条の表情は奇妙だった。俺の気のせいかもしれないけど、苦痛に歪んでいるように見えたんだ。
「育ちか。きみほど分かりやすい育ちの人もいないけど、僕が注目したのはそんなことじゃないんだ。僕と君の違いは樹里杏ちゃんがいるか、いないかなのかもしれないと思ってね」
「樹里杏がいるからだったら、どうだっていうんだよ?」
「かわいいよね。樹里杏ちゃん。お兄ちゃん、お兄ちゃんって。三国くんのことばっかり話すんだ。ああ、この子のために、三国くんは母親を売ったのかなあってね。じゃあ、この子を売ることはできないんだろうか? どうなんだろうって知りたくなったんだ」
「そんなことを確認するために樹里杏をヤク中にしたっていうのか」
「そうだよ」
「どうしてそんなことができるんだよ。樹里杏はまだ小学生なんだぞ!」
「どうして? それじゃあ、三国くんはどうして僕に売人を紹介できたんだい? 僕がどうするか想像くらいはしたんじゃないかな? 僕がどうなってもいいと思ったから、三国くんは教えてくれたんだよね?」
一条はめちゃくちゃだったけど、俺が一条に売人を教えてしまった時の俺の気持ちは的を射ていた。
「でも俺は止めただろう?」
「そうだね。ご忠告通り自分では使わなかった」
「おまえはいったい……。なんなんだ?」
俺が勝手に抱いていた一条のイメージはすっかり消え去って、よく分からない恐ろしいもののイメージにすり替わりはじめている。西日が俺たちの影を長くしていた。その影の一つが悪魔であっても俺は驚かなかっただろう。一条は涼しい顔をしてこう言ったんだ。
「なんなのかは、そのうち分かるよ。それより、僕が一番疑問に思っていることを答えて欲しいな。ねえ。三国くんは樹里杏ちゃんを売るの?」
「樹里杏を売るなんてできない。できるはずがない」
俺がそう言った時の一条の顔に浮かんだ嫌らしい笑みに、俺はようやく一条がなんのために樹里杏に近づいたのかに気がついた。一条は決して自分から逃げ出すことのない奴隷が欲しかったんだ。俺はその奴隷に選ばれたに違いない。
樹里杏に売春を強要しない代わりに、俺は一条に呼び出されたらいつでも飛んでいくしかなかった。させられたこと事態は簡単だった。二村たちを見張ることだとか、ビデオや写真を撮ることだった。
一条は二村から金を毟っているわけではなかったから、一条の目的は金じゃあなかった。
「お金? ああ、祖父が相続税対策で僕に遺産を残してくれたから。お金には別に困ってないし、興味もないよ」
「その金の管理は親がしてるんじゃないのか?」
「母さんは僕のお金には無頓着だから、僕が自由に使えるんだ」
金が目的じゃないなら身体目当てってことなのか? と思うだろ? でも、一条は二村に何かを強要している感じはしなかった。二村は一方的に一条に好意を抱いていて、そのせいで言いなりになっているような気がしたんだ。
俺にようやく一条の目的が少しだけ分かったのは、三学期のはじめ、桜山高校の数学教師、大神に二村を使って、美人局らしきことをした時だった。
一条の目的は、金でも女でもない。むしろ、それをつかって、相手の弱みを突いたり、握ったりすることだった。
二村が襲われているのを録画するように言われた時、一条は二村にも恋愛感情や、愛着はないんだと思った。
いつものように、撮影用のスマートフォンを渡された。ビデオカメラではなく、スマートフォンで撮影するのは、持ち歩いていても違和感がないからだと一条に言われていた。何もかも用意周到だった。ただ、それまで撮影していたのは、二村が誰と一緒にいたかだけだったけど、今回は違っていたから、俺は撮影することに躊躇していた。俺は一条に聞いたんだ。
「一条と二村さんって、どういう関係なんだ? こんなことさせて平気なのか?」
一条は俺を哀れむかのように目を細めた。
「僕と三国くんの関係とそんなに変わらないよ?」
「でも、みんなお前と二村さんは付き合ってるって思ってるだろ?」
「そうだね。そう見えるかもしれない。でもそうじゃないと思うから三国くんは質問したんだろ? 撮影、気が進まないなら、僕がやるよ。三国くんは見張ってて」
あいつが言ったとおりに大神はやってきて、二村の身体をまさぐっていた。反吐がでそうだった。
一条は写真を撮って逃げた。大神はそれを追いかけた。俺は取り残された二村の様子をうかがった。二村は過呼吸を起こしていた。樹里杏がしょっちゅう過呼吸を起こしていたからどうすればいいのかは分かっていた。
死にそうにつらそうな二村を見て。それでも一条のいいなりになる理由を二村に聞いてみたけどよく分からなかった。
「私は一条くんのモルモットなの」
涙目で赤くなった目尻を細めて薄く笑った二村の心中は全然理解できなかった。二村は壊れていると思った。一条が壊したのだろう。
二村も一条には何か目的があると考えているみたいだったけど、分からないままズブズブと深みにはまっているみたいだった。
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