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「断罪パラドックス」   第17話

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 俺が一条に売人の電話番号を教えてから、一か月もたっていないある日、学校行事のせいで、早く家に帰った。

 樹里杏は居間にいた。ベランダの窓に、ぐったりともたれているその姿は母さんにそっくりだった。

「樹里杏、お前!」

 すぐに両腕を確認した。注射針の痕が沢山見つかった。

「樹里杏、どうしてだよ!」

「……。お、兄ちゃん? あ、お兄ちゃん。ごめんね」

「お前、母さんがどうなったか嫌ってほど分かってるだろう?」

「うん。分かってる。お母さんもきっと私と同じ目に遭ったんだよ」

「どういうことだ」 

「お母さんはきっと最初にあの彼氏にクスリを打たれたんだよ。私もそうだから……。お兄ちゃんの友だちだって言われて最初は疑ったけど、スクールバックも制服の校章もお兄ちゃんと同じ桜山高校のだったから、油断してたんだ」

「一条がこの家に来たっていうのか?」

「うん。桜山でお兄ちゃんに友だちがいるって知って嬉しかったんだ。私、まさかこんなことになるなんて思わなかった。私、お母さんと同じことをしてる。クスリのためならなんだってやる。クスリの奴隷なんだ。お母さんと同じだよ。一番いやだったのに。お兄ちゃんが悲しむって分かっていても止められないんだよ。お兄ちゃんごめんね」

 樹里杏は俺にしがみついて泣きじゃくった。どうして、今まで気づかなかったんだろう。きっと何度もこの部屋で樹里杏はラリっていたはずだ。様子がおかしかったことに俺は気づかなかった。

 俺が教室で金を盗んでいることを売人を教えたくらいで一条が本当に秘密にしていてくれるかばかり考えていた。

 それにあいつが薬物で補導されたら、どうやったって俺にたどり着く。そうしたら、俺が泥棒だってことまでバレてしまう。自分の後ろめたさに気を取られていたから、樹里杏が発していたはずの変化にまったく気がつかなかったんだ。

「樹里杏、このままじゃあ母さんみたいにダメになる。通報するぞ」

「嫌っ!」

「母さんを見てたんだ。分かるだろう? 今のままじゃあ……」

「お兄ちゃん、私のことも売るんだ? 自分のために。お母さんも私もいない方がお兄ちゃんはいいんだ」

「樹里杏、おまえそんな風に考えてたのか?」

「あの時、お兄ちゃんは私に一言も相談しなかった。私たちまた施設へ行くかもしれなかったのに……」

「母さんと暮らすより、施設に言った方がましだろ?」

「お兄ちゃんにとってはね」

「おまえ、母さんにだって、施設はいいとこだったって言ってただろう?」

「お母さんに安心して欲しかったからだよ」

「施設の何が嫌だっていうんだ?」

 樹里杏はワッと泣き出した。何を言っても首を振っていたけど、とうとうこう言ったんだ。

「私、施設で職員の人にずっと、体を触られてたんだよ」

 樹里杏が何を言っているのか一瞬分からなかった。膝から力が抜けてその場に座り込んだ。

「ねえ、お兄ちゃん、何か言ってよ」

 樹里杏はしゃくり上げながら泣いた。

 俺も泣いた。母さんを通報することで、妹も守れたつもりでいたんだ。これで俺も樹里杏も少しは人並みの生活を送れると思っていた。俺にとっての施設と、樹里杏にとっての施設は全然意味が違っていたという現実をつきつけられて、本当にどうしていいのか分からなくなった。

 どうして、持ってるヤツらは持ってない人間を狙うのか。それは、持ってない人間が弱いことをヤツらは知っているからだ。どこにも行く場所がないことを知っているからだ。

 親切面をひっさげて小さな樹里杏の身体をもてあそんだ男は今も施設にいるのだろうか?

 樹里杏が俺と一緒にいることにこだわる理由がやっと分かった。

「樹里杏はどうしたいんだ?」

「このまま、ここで暮らしたい。お兄ちゃんお願い。お金は私、自分でなんとかできるから」

「金をなんとかするって、どういうことだよ」

「どうって、想像つくよね? ウリだよ」

「お前、まだ小学生だろ!」

「若ければ若いほど高く売れるって、一条さんは言ってるよ。それに今までだって我慢してきたから大丈夫だよ。こっちの方がお金もらえるだけまし」

 俺は初めて樹里杏の頬を張った。

 樹里杏は驚きのあまりしばらく呆然としていたけれど、恐る恐る自分の頬を触った。

「お兄ちゃん、痛いよ」

 大粒の涙が、樹里杏の赤く腫れた頬に筋を引いていった。俺も誰かに殴られたかった。その痛みの方が今の苦痛よりずっとましだ。

――お金をもらえるだけまし――

 性的虐待と売春を天秤にかけた樹里杏。

 樹里杏は自分のことをひとつも大切だと思えてない。今度こそ俺が完璧に守らないといけない。俺だけでも樹里杏を大切にしないと、俺にだって後がない。

 そんな気がした。

「ごめん。ごめんな。樹里杏。今度こそ俺が守ってやるから。待ってろ」

 樹里杏にそう言って、俺は家を飛び出した。頭の中がぐちゃぐちゃで、怒りでいっぱいだった。その熱が俺を走らせていた。


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