IOCの中の人、ミラニスタ説
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オリンピック始まりましたね。
開会式という名のファッションショー見るだけでももう楽しい。
あと、雪が降らない国の代表見ると頑張れってなります。
(どうせ夜8時過ぎたら選挙一色になるし、今のうちに上げておこう…!)
一つの街の二つの物語
今回のミラノ・コルティナ五輪。4会場での広域開催だが、メインとなるのはイタリア北部の中心都市・ミラノである。
今回の開会式の会場はサッカースタジアムなのだが、その名称は実は2つ存在する。
一つは𝑺𝒂𝒏 𝑺𝒊𝒓𝒐 - サン・シーロ かつてケイスケホンダも所属したACミランの本拠地だ。
もう一つは𝑺𝒕𝒂𝒅𝒊𝒐 𝑮𝒊𝒖𝒔𝒆𝒑𝒑𝒆 𝑴𝒆𝒂𝒛𝒛𝒂 - スタディオ・ジュセッペ・メアッツァ こちらはかつて長友佑都も所属したインテルナツィオナーレ・ミラノの本拠地だ。
そう、このライバル関係にある2クラブは同一都市がホームというだけでなく、ホームスタジアムまで同じなのである。
Jリーグでいう横浜や大阪とは違う。
近鉄ライナーズとFC大阪が同居する、東大阪市花園ラグビー場の例があるがお互いに他競技だ。
言うなれば、北海道移転前の日本ハムファイターズと読売ジャイアンツが同居してた東京ドームのような感じだろうか。
その開場は1926年。阪神甲子園球場の開場の2年後にあたる(甲子園球場何気にすごい...!)
ミラノのカルチョはブリテンが連れてきた
現在でこそ永遠のライバルという位置づけの両クラブだが、最初にミラノに誕生したのはACミランだった。設立は1899年、ギリ19世紀にあたる。
ミラノ在住の英国人によってMilan Cricket and Football Clubというクラブチームが創設されたところから始まる。だからMilanは英語読みだ。
Cricketはご存じの通り、Commonwealth(イギリス連邦)だけで流行っている野球に似て非なる競技なので、同じクラブにサッカーもクリケット(≒野球)も抱えているという意味ではスペインのFCバルセロナや、国内だとアルビレックス新潟 (NPB2軍参入のオイシックス、Bリーグの新潟アルビレックスBBなど)みたいな感じだろうか。
ムッソリーニに目を付けられたインテル・ミラノ
ACミラン創立から9年後の1908年、外国人選手の加入を巡ってクラブ内で対立が生じる。そこから外国人選手加入に積極的だった反主流派がACミランと決別、彼らが新たに作ったクラブがFC 𝐼𝑛𝑡𝑒𝑟𝑛𝑎𝑧𝑖𝑜𝑛𝑎𝑙𝑒 𝑀𝑖𝑙𝑎𝑛𝑜 (インテルナツィオナーレ・ミラノ) 、通称インテル・ミラノだ。
文字通り「国籍を問わず世界中の選手に門戸を開く」という意味が込められている。
現在まで続くACミランとインテル・ミラノによるミラノダービーの構図は、プレミアリーグのような階級の違い、スコットランドのような宗教の違い、あるいはJリーグのような企業ルーツのいずれとも異なる、喧嘩別れから始まった。
1920年代に入り、ご存じ国粋主義を掲げるファシスト党が台頭すると、チームの創設からして「外国に対する寛容な精神」がスタートのインテルは、当然国から目をつけられ、イメージカラーを変えさせられ、クラブの命同然である名前まで変えさせられてしまった。
ドラマなき同居
サン・シーロは、当初ACミランの本拠地として開業した。その名前はミラノ西部にある教会に由来している。街のシンボルに因んでいるという意味では中立的なネーミングと言える。
その後第二次世界大戦が終結しファシスト党が失脚すると、インテル・ミラノはようやく元の名前を取り戻す。
当初のインテルは、本拠地をACミランとは別にしていたが、戦後になったころに老朽化に伴い、ACミランの本拠地であるサン・シーロに本拠地を移す。
ライバルチーム同士の同居がなぜ実現したかという疑問は調べてもすぐに出てこなかったが、恐らく戦後の資金難、元は同じチームだからという同祖論、あるいはイタリアのおおらかな国民性、などが考えられるだろうが、実際のところ反対する理由がなかったからだろう。
ACミラン: 断る理由が薄い
インテル・ミラノ: そもそも断られると思ってない
ミラノ市: コスト削減万歳
ミラノ市民: まあそんなもんか
イタリア全土: そもそも英国みたいな本拠地=聖地という考え方が薄い
大方こんなところだろうか。
そんなわけでサン・シーロには、経緯から期待するような血で血を洗うような争いなど一切なく、あっさりと2つのライバルチームが同居することになる。
英雄の死と正史の書き換え
1980年、イタリア代表のエースとして君臨したひとりの英雄が亡くなる。
𝑮𝒊𝒖𝒔𝒆𝒑𝒑𝒆 𝑴𝒆𝒂𝒛𝒛𝒂 - ジュセッペ・メアッツァ
彼はキャリアの大半をファシスト政権下のインテル・ミラノで過ごす。引退直前にはACミランにも在籍していた時期もあったが、インテル・ミラノ側の功労者として言って間違いないだろう。
彼の功績を称えて、サン・シーロの所有者であるミラノ市は突如、正式名称を「𝑆𝑡𝑎𝑑𝑖𝑜 𝐺𝑖𝑢𝑠𝑒𝑝𝑝𝑒 𝑀𝑒𝑎𝑧𝑧𝑎」に書き換えたのだ。
インテル・ミラノ側からしたらこの決定は喜ばしいものであるが、ACミラン側からしたら面白くないに決まってる。
だって最初は自分たちの持ち物だったところに勝手に転がり込んできた上に、正史を書き換えられてしまったんだから。
これは先述の東京ドームで例えると、読売ジャイアンツが突如、長島茂雄スタジアムという愛称を提唱し、それに反発した日ハムファンは頑なに後楽園球場と呼び続けるみたいな感じか…! (※どちらが後か先かはさておき)
だからACミランサポーターは頑なにその場所を、教会の名前で今も呼び続けている。
翻って2026ミラノ・コルティナ五輪
ミラノ・コルティナ五輪公式サイトを開くと、以下のような記述が見られる。
会場について
ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックは、ミラノ・サンシーロ・オリンピックスタジアムでの開会式からスタートする。ジュゼッペ・メアッツァ・スタジアム、通称サンシーロは、「サッカーの聖地」として知られ、長年にわたりサッカー界や音楽界の伝説的な人物を迎えてきた。そして今、第25回冬季オリンピックの聖火が灯る壮大な舞台となる。世界で最も視聴されるスポーツイベントの会場として、ミラノ・サンシーロ・オリンピックスタジアムは、この特別な夜のために準備を進めている。世界中から集まる何千もの人々がオリンピック精神を称えるこの瞬間は、2026年に100周年を迎えるスタジアムにとって、唯一無二の歴史的な出来事となる。その伝説の物語に、新たな1ページが刻まれるのだ。
https://www.olympics.com/ja/milano-cortina-2026/venues/milano-san-siro-olympic-stadium
主な特徴
1926年に開場したサンシーロは、インテル・ミラノやACミランの試合をはじめ、UEFAチャンピオンズリーグ決勝やイタリア代表による国際ラグビーの試合など、幅広いイベントを開催してきた。しかし、オリンピックの開会式は特別な意味を持つ。それは単なるスポーツやエンターテインメントを超え、国家間の結束と友情を象徴する壮大な祭典である。
この夜、サンシーロは世界的な舞台へと姿を変え、アスリートやアーティスト、著名人たちが華麗な演出、音楽、光のショーを繰り広げる。77,000人の観客の前で、息をのむようなパフォーマンスが繰り広げられ、オリンピックの聖火がミラノの夜空を照らす。その瞬間、100年の歴史を持つこのスタジアムは、改めてミラノを象徴する存在であることを証明するだろう。常に進化を続け、新たな挑戦を受け入れ、感動とインスピレーションを与え続ける都市、ミラノ。その輝きの中心にあるのは、サンシーロなのだ。
https://www.olympics.com/ja/milano-cortina-2026/venues/milano-san-siro-olympic-stadium
ミラノの象徴として、「サン・シーロ」となんと6回も述べている…!
それに対して「ジュセッペ・メアッツァ」表記は申し訳程度の1回だ。
繰り返すが、ミラノ市によるスタジアムの正式名称は今もスタディオ・ジュセッペ・メアッツァのままだ。
これはもう、中の人はゴリゴリのミラニスタで確定なんじゃないですかね…!
余談: 建替え計画
開場から今年でちょうど100年にあたることもあり、当スタジアムは老朽化という問題に直面している。
2019年にはインテル・ミラノとACミランの共同で新スタジアムの計画を発表している。お前ら何だかんだズッ友だな!
ところがこの新スタジアム建設は、都市計画の観点から待ったが入る。
古すぎるがゆえに、景観保護しろということになり取り壊しができないというのだ。
これって、どこかで聞いたことのある話ではないか...?
そもそもスタジアムに2つの名前があってどちらか決めきれていない。
そういや、どこかの通り名もそんな感じではなかったか...?
春日なんか佐井なんかどっちなんだいみたいな。
ACミランのイメージカラーは赤と黒、インテル・ミラノのイメージカラーは青と黒。
赤と青を足したら紫だ。
これって全部...
京都やないかい!
…おあとがよろしいようで。
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