「肩たたき」のある世界-施術者が地味チェンしたパラレルワールドで再出発した話
シャッターを下ろす音は、思っていたより軽かった。
ガラガラ、ガシャン。それで、私の一年が終わった。
借りたお金で開いた、小さなお店だった。修行は長くやってきたし、「ひとをほぐす」ってことにはそれなりに、いや本当は誰よりも私が上手だっていう自信があった。
でも、お店をやるっていうのは、たぶんそれだけの話じゃなかった。家賃と、光熱費と、返済日が、毎月きちんと順番に来て、お客さんはなかなか来なかった。贔屓にしてくれたお客様もいたけど、採算は成り立たなくって、準備してた貯蓄も崩した。一年で限界が来た。一年で、おしまい。
最後にもう一度、店の中を見回した。がらんどうになって、奮発したお気に入りのホワイトウッドの壁紙がよく見えた。
壁にかけていた資格証の額を、外す。裏側に、うっすらと埃が積もっていた。お店はキレイにしてたのに、埃って不思議だな、と思う。指でなぞって、はらう。気づいたら、額をぎゅっと胸に抱いていた。
……うっ。なんか、感傷的になりそう。
あわてて紙袋にしまった。今そういうのをやってる場合じゃない。明かりを消して、ドアを開けて、外に出た。その瞬間、空気が変わった。さっと風が通り抜けた気がした。何だろう、この感覚。
店を出て、見慣れた道を歩く。見慣れた道のいつもの風景、のはずだった。そうしたら、街が、なんだか変だった。
通りの向かいのカフェ。そのテラス席で、ひとりの女性が、若い男の人に肩をほぐしてもらっていた。目を閉じて、気持ちよさそうにしている。息子さんかしら、と思った。いいわね、親孝行。……と思ったのだけど、その男の人の手つきが、どう見てもプロだった。首の付け根の押さえ方が、素人のそれじゃない。・・・・あれ?
少し歩いた。公園のベンチでも、駅前広場のベンチでも、誰かが当たり前みたいに肩を預けていた。揉んでいる人がいて、揉まれている人がいて、まわりの誰も、それを気に留めていない。……家族という感じはしない。
あ、もしかして肩たたきの日、とか? ……んなわけないか。
今日はもうクタクタだった。考えても疲れるだけなので、バス停に向かった。荷物は重いし、足は棒だし、頭の中はこれからのことでいっぱいだったし、昼間に会った銀行員さんの顔がちらついて離れなかった。「石川さんなら大丈夫です、一緒にがんばりましょう。」 ……わたしのどこらへんが大丈夫に見えたんだろうか。けど、開業したときから、ずっと付き合ってくれた行員さんだった。明日支店で打ち合わせする約束をして別れた。
そこに、バスが来た。それも見たことのないおかしなバスが。
車体いっぱいに「肩たたき」とラッピングされたオレンジ色のバスだった。にこやかな人が、誰かの肩にそっと手を添えているイラスト。乗り込むと、車内の中吊りにも、同じ広告。
施術者にとっては、他人事じゃない。なんだ。なんなんだこれは。空いている席に座って、気がついたら、その広告の案内先にアクセスしてみた。
施術者として登録、を自然と押していた。名前を入れる。あ、本人確認か。
カメラで三方向の顔写真を撮影します、と案内が出た。正面、右向き、左向き。……さすがに、走っているバスの中で自撮りはちょっと気まずい。でも、夕方のバスは空いていて、近くに人もいない。よし。正面。右向き。左向き。アプリ内だからか、シャッター音が出ないのはよかった。
三方向、けっこうしっかり撮るのね。安心していいのか、ちょっと厳しいのか、よくわからない気持ちになる。
それから、資格証も撮影します、と言われた。さっき額ごと外してきたあれを、ごそごそと紙袋から出して、パチリ。額縁ごと撮ってしまって、ちょっとだけ、これ額いるかな、と思った。
家に着いて、荷物を玄関に置いた。自分の肩を揉む。贔屓にしてくれたお客様からプレゼントされたハーブティーをいれて、ようやくひと息ついたころ、スマホが鳴った。
「本人確認が完了しました」
時計は、夕方の六時。窓の外は、もう、いい色に暮れかけていた。
帰り道に見た景色が、ふっと戻ってきた。テラスの女性の、ゆるんだ顔。ベンチの人たちの、なんでもない感じ。
私も、誰かの肩、ほぐしたいな。うん。
お店を閉めたばかりだっていうのに、その気持ちだけは、ずいぶんはっきりしていた。指が、ちょっと、うずく感じ。せっかく完了したことだし、と、稼働ステータスというところを、そっとオンにしてみた。オンライン、予約受付中。
そうしたら、すぐに、依頼が来た。
歩いて行ける、商店街のエリア。少し緊張して、少し、楽しみだった。それにしても、新人にこんなにすぐ来るものなんだ。画面には、お客様のことが少しだけ出ていた。利用、二十回以上。
あら、ベテランさん。……ん? このサービス、前からあったのかな。私が知らなかっただけ? 二十回って、けっこうな常連さんじゃない。
考えながら、私はもう、靴を履いていた。
商店街のフリースペース。木の椅子に、ちょこんと座って待っていたのは、おばあちゃんだった。肩の出し方も、力の抜き方も、すっかり慣れている。
「こんにちは。呼んでもらった、サツキです。よろしくお願いします」
「はいはい、よろしくね」
「昼間は暑かったけど、夜は冷えますねえ」
「ほんとねえ。……あー、そこ。そこ、気持ちいいわ」
「腰も、ちょっとやりますね」
「あなた、上手ねえ。新人さんだと思ったけど」
「お店、やってたんです。一年だけでしたけど。……修行は、けっこう長かったんですよ。へへ」
笑ってごまかしながら、気になっていたことを聞いてみた。
「あの、このサービスって、前からありましたっけ」
「ええ? そうねえ。半年くらい前からかしらね」
「……半年。そうなんですね」
知らなかった。半年も。その半年、私はずっと、お金とにらめっこしてた気がする。お客さんと向き合えていただろうか。
おばあちゃんの肩は、こってはいたけれど、いい肩だった。長く生きてきた人の肩、という感じがした。終わるころには、もうすっかり日が暮れていたのに、なんだか体じゅうがポカポカと暖かかった。
「あ〜気持ちよかった。あなた上手よ!また頼むわね」
そう言って、おばあちゃんは帰っていった。気づくと、私の肩まで、ゆるんでいた。日はすっかり暮れていた。稼働ステータスをOFFにした。
翌朝、目が覚めて、私は銀行に行った。返済の具体的な計画をたてないといけないんだ。
窓口で担当の行員さんを呼び出した。見知った顔がこちらに向かって歩いてくる。だけど、なんだかいつもと違う気がした。
「あの……お客様、ご返済というのは」
「はい、がんばりたいとおもってます。少しずつになっちゃうかもしれませんが……」
「失礼ですが……こちらに、そういったお取引は、ないようなんですが」
「え?」
「え?」
「いえ、あの、私、借金、あるんです。・・・・え?」
「……ほかの銀行さんと、お間違い、ということは」
何言ってるんですか、昨日も会ったじゃありませんか、開業のときからずっと……と言いかけて、口を閉じた。
向かいのテラスの女性。公園のベンチ。半年前から、あるらしいサービス。そして、消えた借金。
……あ。
なんとなく、わかってきた。ここ、たぶん、私のいた世界と、肩ひとつぶんくらい、前に進んでるっていうかズレている。いや、そんなことある? と自分でも思うのだけど。
行員さんに苦笑いを返して、銀行を出た。怖がる気にも、もちろん怒る気にもなれなかった。だって、借金がない。そして、手元には「肩たたき」がある。私の、いちばん得意なもの。世界で誰よりも私が得意なこと。
家に戻ると、通知が一件、来ていた。昨日のおばあちゃんからのレビューだった。
「最高!👍」
星が、五つ。あのおばあちゃんが、グッドマーク。なんだろう、このギャップ。クスっと笑ってしまう。
それを見たら、なぜだか、涙がひと粒だけ出た。お店を閉めたときには、一滴も出なかったのに。……いや、なんで今ここで。自分でも、ちょっとおかしくなって、あはははって笑った。こんなに笑ったのいつぶりだろう。
まだ、ちょっと、よくわからない。この世界のことも、消えた借金のことも、全部。
けど、このチャンスを、無駄にはしたくない。
……と、しんみりしかけたところで、おなかが、ぐーっと鳴った。
今日はちゃんと、ご飯を食べてから、はじめよう。
――――――
(おまけ)
サツキの話はつくりものです。でも、彼女が登録した「肩たたき」は、ほんとうにあります。
認証を受けた施術者を、公園のベンチや商店街の休憩スペースみたいな、ちょっとした公共スペースに呼んで、肩や首や腰をほぐしてもらえる。お店に行くほどじゃないけど、ここをちょっとだけ、という時のためのサービスです。
サツキみたいに「ひとをほぐすのが、いちばん得意」という人が、もう一回だけ、と踏み出せる場所にもなれたらいいなと思っています。
