【短編小説】〈隻翼の竜の書〉少年たちの恙ない一日 後編
少年たちの恙ない一日
春、世はなべて事もなし
後編
「今度は雑草の山かよ」
フォドルスが嘆息した。
二人は、魔法戦士団の館の周囲に広がるキャベツ畑の一画にいた。また性懲りもなく喧嘩をした二人に、今度は、畑の草むしりが科された。
「何か魔法で、ちゃっちゃとできないかな」
フォドルスが、期待を込めてシェイスを見る。が、シェイスは肩を竦めた。
「無理だな」
げんなりした様子で、黙々と、二人は草をむしり始めた。
程なく、素っ頓狂な悲鳴じみた声が、広い畑に響いた。フォドルスだった。
「どうした?」
「む、む、虫だ……!」
シェイスがフォドルスの方に目を向ける。フォドルスの近くのキャベツに、丸々と太った青虫がいた。もこもこと動き、のんびりと、葉っぱを食べている。
「青虫か。毒を持っているわけでなし、噛みつくでもない。別に害はないよ。もっとも、キャベツを食べられるのは、ありがたくないな。できれば、ついでに、キャベツからよけた方がいいのかも」
「いや、しかし、気持悪い……」
「なら、無理にかまうことはないだろう。俺たちが指示されたのは、草むしりだけだし」
「そうだな」
虫をよけることを指示されなくて、よかった。つくづくそう思いながら、なるべく青虫から距離を取るようにして、フォドルスは、作業に戻る。大柄なフォドルスが、小さな虫に遠慮して縮こまる様子は、なんとも滑稽だった。
さして経たぬうちに、また悲鳴が上がった。
シェイスは、眉根を寄せた。
「今度はなんだ?」
「ミ、ミ、ミミズが……! うわっ、太い、大きい、気色悪い……!」
ふう、と、大きく、シェイスは息を吐いた。
「お前なあ。お前だって、太ってはいないが、大柄だろ。だいたい、そんなので騒いでたら、作業が進まな――」
フォドルスの方に顔を向けていたため、手元から、視線が外れていた。雑草を抜こうとしたその手が、何かを、ぐにゅっと、なんとも不快に、握り潰す感触があった。粘りつくような、ぬめぬめとした、これは――。
うっ、と、詰まったような声が口を衝いた。
「どうしたんだ?」
「……ナメクジだ。うっかり潰してしまった。ナメクジに、悪いことをした……。ごめんよ」
いくら苦手でも、無益な殺生は、望むところではない。ナメクジを気の毒に思いながらも、しかし、声が、怖気に震えた。
「ナメクジ? 大丈夫だ。カタツムリじゃないか。殻がないだけだ。お前、カタツムリは平気、というか、昨日、中庭に可愛いのがいたって、見てたじゃないか」
「殻があるのとないのとでは、大違いだ! どっちにしろ、潰してしまったら、大丈夫じゃないだろ」
熱弁して、それから、立ち上がる。
「とにかく、手を洗わないと」
そうこうして、作業は捗らなかった。なにしろ、青虫もミミズもナメクジも、そこいらじゅう、いくらでも湧いてくる。これでは駄目だ、と、さらに別の罰が言い渡された。
「うう、おなかが空いた」
フォドルスの腹が、ぐうう、と、大きく音を立てた。
「仕方ないだろう」
夕食時、フォドルスの部屋、二間続きの手前の居間兼書斎に、二人は、並んで座っていた。今晩は、食事抜きだった。結局のところ、この罰が、二人にとっては一番応えた。
ところが、フォドルスは、おもむろに、にやりとした。
「こんなときこそ、秘蔵の品を放出するとするか」
言うなり、棚の奥の方から、一本の瓶を取り出す。
「ほら、とっておきの葡萄酒だ。蔵からこっそり持ってきて、隠しておいたんだ。少しは腹の足しになるだろ」
「それはいいな」
杯はない。そこで二人は、コップに注いで乾杯し、一口飲んだ。
「ああ、美味い!」
至福の笑みが、フォドルスの満面に浮かんだ。一方、シェイスの眉間には、皺が刻まれていた。喉が焼けるような刺激。脳天まで痺れるような――。
「おい、これは、葡萄酒じゃないぞ。蒸留酒だ」
そう、この強い酒精は、濃縮された蒸留酒のものだった。
「えっ? 言われてみれば、そうだな……。でも、美味しいから、いいや」
「確かに、美味しい」
葡萄酒ならば、飲む機会もなくはない。しかし、蒸留酒は初めてだった。鼻腔を満たし、脳髄まで蕩かしてしまいそうな、芳醇な香り、苦みのある、大人の、濃密な味、喉を、さらには胃をも焼き焦がすような、強い刺激――。実に、魅力的な体験だった。
己の酒量など、わかったものではなかった。もう一杯、また一杯、と、二人は、殆ど何も考えずに、夢中になって飲んだ。
あと二、三年もすれば、互いに、底抜け、うわばみと言い合うことになる二人である。しかし、今はまだ、若すぎた。あっという間に酔いが回り、二人は、正体を失って、奥の部屋の寝台に倒れ込んだ。
「申し訳ありません。弟子が、騒ぎを起こしてしまいまして」
少年たちの寄宿舎の、石床の通廊を並んで歩きながら、シェイスの師、魔法戦士団の前副団長ゼフィルは、フォドルスの父である現団長フォーデイスに、言った。
フォーデイスは、苦笑した。
「いや、愚息も悪かったのですよ」
二人は、不良少年たちの様子を見ようと、フォドルスの部屋へと向かっていた。
ややあって、部屋に着いた。ノックをするが、応えがない。眉を顰め、ゼフィルが、扉を開ける。二間続きの、手前の居間兼書斎に、二人の姿はなかった。怪訝げに、ゼフィルは、奥の寝室へと踏み入る。途端、ゼフィルの鋭い目が、真ん丸になった。
その時、手前の部屋から、フォーデイスの、失望で地の底にまで沈み込みそうな唸り声が上がった。何事かと、ゼフィルが、手前の部屋へと戻った。
「どうされました?」
「どうしたもこうしたも……二人して、きこし召しおったな! それも、よりにもよって、わたしのお気に入りの、極上の蒸留酒じゃないか。この悪餓鬼どもめが」
フォーデイスの指し示す卓の上には、酒瓶とコップが二つ、置かれていた。
これは、たっぷりと灸を据えねばなるまい。鼻息も荒く、フォーデイスは、どすどすと、奥の寝室に踏み込んだ。そして、寝台の上に二人を発見し、地獄の鬼も一目散に逃げ出すような、世にも恐ろしい形相で覗き込む。と、そのいかめしい面が、ふっと緩んだ。
ほんのりと、揃って顔を赤く染めて、二人の少年は、まるで幼子のように、ぐっすりと無防備に寝入っている。なんとも、可愛らしいではないか。とりわけシェイスの愛らしいことといっては、深層の姫君もかくや、これでは女の子のようだと言われるのも、むべなるかな、と思われるのだった。本人がそうと聞けば、冠を曲げるであろうが。
怒ろうという気は、すっかり失せてしまった。フォーデイスは軽く嘆息して、居間に戻った。
「仕方のない奴らだ。まあ、今回は大目に見るか。しかし、この酒は、没収せねばな」
言って酒瓶を手に取り、少年のような、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「どうですかな、我々も一杯やるとしませんか。こんなろくでもない馬鹿息子を持ったからには、そうでもしないと、やってられませんよ」
くすりと笑って、ゼフィルは、快諾した。
「もちろん、喜んで」
そうして部屋に残された少年たちは、幸せそうに、朝まで眠り続けた。ともあれ、恙ない一日が、過ぎたのだった。
朝になり、酒瓶が消えていることに気付き、二人は慌てた。すわ一大事、再び騒動が起きようか。
そんな波乱の予感をよそに、今日もまた、春の陽は穏やかに照り、風も優しく、そよぐように吹いていた。その陽と風に抱かれて、天下泰平とばかりに、大地もゆるりと寛ぐ。恙ない一日が、また始まろうとしていた。
了
お読みくださり、ありがとうございます。
本作は、『霜夜の星』のスピンオフです。ちょっと息抜き。
重い宿命を負うシェイスにも、こんなエピソードもあったのでした。
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前編はこちらです。↓
『霜夜の星』序章はこちらです。↓
