【短編小説】〈隻翼の竜の書〉夏の綺羅星 前編
夏の綺羅星
少年たちの恙ない一日
前編
星といえば、冬空であろう。きんと、凍てつくほどに冷えた、どこまでも深い藍色の大気の中に、煌々たる光を放つ、天上の星。しかし、夏空の星もまた、格別だ。日中の、汗ばむような暑熱から解き放たれた闇夜に、涼しげに瞬き、静謐な楽を奏でる、星。
そして、夏の水辺、地上には、眩く燃えて賑々しい交響曲を奏する、綺羅星のごとき少年たちの姿があった。
「ああ、息が詰まる」
ちゃぷちゃぷと、水の中で足を動かしながら、大柄な、黒髪を短く切った少年が言った。
隣に腰かけて、やはり足を水に入れている少年が頷いた。
「まったくだ。こんなつまらない行事、付き合ってられないよ」
こちらの少年は、淡く青みを帯びた銀の髪を背まで伸ばしている。年の頃は、二人とも、十二歳程と見えた。
王城の庭園の一画、舟遊びなどもできるようにと整備された広い池の縁に、二人は、並んで座っていた。
とうに日は傾き、天蓋を染めていた薔薇色は西へと退き、深い藍色が、領域を広げていた。頭上には、星が瞬き始めている。宵の涼気が、密やかに昼の暑気にとって代わり、肌を撫でる風、足を洗う水が、人いきれで火照った身体を、心地よく冷やしていく。
この日、王城では、夏の宵を愛でる行事が行われていた。しかし、お題目はどうあれ、つまるところは、社交の場だ。大人ばかりではなく、一部の子供たちも、参加する。男子が主だが、女子も見られる。高位貴族の子息である二人は、それぞれ、幾人もの少年たちに囲まれ、追従の波にさらされることとなった。たまらず、二人は、機を見計らい、王城から脱け出したのだった。
解放された空間で、二人はしばし、無言で寛いだ。沈黙の中に、静かな虫の音のみが、柔らかく響いた。
と、そこに、ざっざっと、乱暴な音が近付いてきた。足音だ。何かを振り切るように、歩いてくる。その後ろに、さらに、それよりは軽い、しかし急いでいる、二つの足音。
程なく、僅かに残った残照と、今しも訪れんとしている星空の仄かな明かりに、乱暴な足音の主の姿が浮かび上がった。黒い髪を、銀髪の少年と同様、長く伸ばした少年。銀髪の少年が一つに纏めているのに対し、この少年は、無造作に背に流している。二人よりは、僅かに年長だ。
先に水辺に来ていた二人の少年は、同時に声を上げた。
「レミス殿」
苦い色を、隠し切れない。なにしろ、歓迎されざる相手だった。銀髪の少年にとっては、不倶戴天の政敵の一族である。相手の方も、小さく舌打ちした。
「シェイス、それにフォドルスか! なんでお前たちが、ここにいるんだ?」
銀髪の少年、シェイスが肩を竦めた。
「俺たちがここにいて悪い理由など、ないだろう」
大柄な少年、フォドルスも、同調する。
「そうだ、俺たちの勝手だ」
そのとき、後ろの二つの足音の主が、追いついた。口々に、言う。
「勝手じゃないわ。早く戻るべきよ」
「そうですわ。今、王城の付近では、物騒な事件が生じているのですから」
黒髪の、二人の少女だった。一人は、十五歳くらいと見えたが、紅を刷いたその口唇には、既に、妖艶な色香が漂っている。もう一人の少女は、シェイスとフォドルスと同年代で、物陰にひっそりと息衝く小動物のように、気配も、所作も控えめだった。
シェイスとフォドルスは、立ち上がり、水から出て、揃ってさっと一礼した。
「ヴァーナ姫、ララナ姫。ご機嫌麗しゅう」
一方レミスは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「ヴァーナ、ララナ。付いてくるなと言ってるだろう」
二人の少女は、レミスの従姉妹だった。そして――。年長の少女、ヴァーナが、棘のある口調で言った。
「仕方がありませんわ。婚約者殿が危険な目に遭っては、困りますもの」
ヴァーナは、レミスの婚約者なのだった。
「そんなこと、あるものか。ここをどこだと思ってるんだ。王城の庭園だぞ」
小うるさげに、レミスは、吐き捨てた。
ララナが、控えめに口を挟む。
「でも、レミスお従兄様、先日は、王城の目と鼻の先で、起きたのです」
夏に入ってから、王都近郊の水辺で、見目麗しい若者や少年が失踪する事件が、相次いで生じていた。三日前には、王城へと水を引く水路で、少年が姿を消していた。
「だったら、王城の警戒も強化されているだろ。何も心配することはない」
そうして二人が話している間に、ヴァーナのぬばたまの双眸は、三人の少年たちを、とっくりと観察していた。わけても、銀髪の少年に、それは、絡みついた。
その視線に、シェイスの肌が、粟立った。いつも、ヴァーナの視線は、シェイスに不快にまつわりついた。しかし、今は、違う。これは――。
――魔物?
フォドルスもレミスも、異様な気配を察し、身を強張らせた。
刹那。
池の水が、瞬時に、高く盛り上がった。壁をなし、三人の少年を囲い込む。そしてそのまま、池の奥、水中へと、引きずり込んだ。
ララナが、捕食者に捕らえられた小動物のような悲鳴を上げた。その横で、ヴァーナは、ぬばたまの瞳に妖しく燃える光を点し、濡れたような朱唇に、ぞっとするような笑みを浮かべていた。
水の壁が周囲を取り巻いたかと思うや、それは一気に収束し、三人の少年を呑み込んだ。水に打たれた衝撃に、三人は、息が詰まった。そして水に呑まれたまま、三人は、池の奥底へ、そしてそこから続く暗い水路へと、引き込まれていった。
あたかも意志あるもののごとく、一路、水は、三人を運んでいく。否、水は、確かに、ある地点に、あるいは物に、引き寄せられている。
何も見えず、左右も上下も分からず、それでも一点へと向かう力のみを明確に感じながら、三人は、なす術もなく、流されていった。息ができず、さして間もないうちに、思考が混濁してくる。
もう、限界だ。そう感じた瞬間、突如、三人は、流れが穏やかな水の中へと解き放たれていた。上方から、淡い光が射している。シェイスとフォドルスは、浮力に任せ、水面へと浮かび上がろうとする。その時、二人は、レミスがもがいているのに気付いた。大河を擁さぬ地で生活している彼は、泳ぎが得意ではないのだ。シェイスとフォドルスは、両側からそれぞれレミスの腕を取り、残された力を振り絞って、水を蹴り、掻いて、三人もろとも、水中を上昇していく。
やがて、シェイスとフォドルスの頭が水面に出た。二人に引き上げられるようにして、レミスも水面から顔を出した。
頭上には、星を鏤めた天蓋が広がっている。淡い星明かりを頼りに、シェイスとフォドルスは周囲に視線を走らせ、どうやら近くに岸辺と思しき葦の生えたところを見出し、ぐったりとした様子のレミスを引くようにして、そちらへと向かった。
「助けてくれなんて、言ってないぞ」
ようやく息を吹き返すや、開口一番に憎まれ口を叩いたレミスに、フォドルスは、顔をしかめた。別に、感謝されたくてしているわけではない。こんな言い方は、あんまりではないか。
シェイスは、軽く言った。
「一緒にいるときに何かあったら、疑われるかもしれないだろ」
レミスは、むすっと黙り込んだ。しかしフォドルスは、シェイスの気遣いに、内心、感心したのだった。レミスが恩義を感じずにすむよう、彼は、あえてこんな言い方をしたのだ。
川辺に開けた、小石の転がる草地で、魔法で小さな火を起こし、三人の少年たちは、まず濡れた衣服を脱ぎ、乾かすことにした。
そうして皆が裸になったところで、フォドルスが、レミスをまじまじと見た。その視線に気づき、レミスが怪訝そうに眉根を寄せた。
「何をじろじろ見ているんだ?」
「いや、女の子よりも可愛いけど、ちゃんと男なんだな、と」
呆れたように、シェイスが言った。
「お前なあ! レミス殿、どうか気にしないでくれ。こいつはいつも、こんな調子なんだ」
当のレミスは、目を丸くしていた。そして、ふふん、とふんぞり返る。
「お前、うどの大木かと思っていたが、存外、見る目があるじゃないか。そうなのだ、僕は、女の子よりも愛らしく、美しいのだ!」
シェイスは、二の句が継げず、固まった。フォドルスは、ぽかんと口を開けた。ややあって、フォドルスは、今度はシェイスに言った。
「お前も、可愛い」
シェイスは、電光石火で反応した。フォドルスを、ぎろりと睨む。
「何だって?」
「いや、冗談だって」
答えてから、フォドルスは、ぶつぶつと呟く。
「まったく、調子狂うよな」
シェイスの反応が、まあ、普通のところだろう。
中編に続く
お読みくださり、ありがとうございます。
『霜夜の星』のスピンオフ、ちょっと息抜き第二弾。
今回は、アクション等、様々な要素も入れています。
本作のみでもお読みいただけます。
全三話。お楽しみいただければ幸いです。
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前作『少年たちの恙ない一日』の前編はこちらです。↓
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