ファクトチェック#03 萩原弘子(大阪府立大学名誉教授)論文【著者から取り下げ意向】
当該論文(大阪公立大学学術情報リポジトリ 公開日2022年5月2日)
・ヒロシマからひろしまへ―石内都の写真シリーズ『ひろしま/hiroshima』に促される視線
萩原弘子 大阪府立大学人文学会 人文学論集 抜刷 第40集(2022年3月)
・経緯
2025年10月15日 大阪公立大学宛に事実確認依頼 ファクトチェック該当箇所とともに以下2点の確認を求める。
・萩原弘子氏本人への事実確認(及び修正・経緯公開)
・論文を承認・掲載した大学への事実確認(査読・承認フロー、体制確認)
同日 大阪公立大学 広報課からメールにて回答
→「大阪府立大学人文学会 人文学論集編集委員会」へ申し送り
2025年10月20日 同大学本部事務機構学務部教育推進課から回答
・萩原弘子氏から「当該リポジトリの取り下げを行う意向である」との回答
・同編集委員会からは「査読を経て厳正な手続きに基づき掲載にいたった」という回答
2025年10月21日 大阪公立大学に対して下記依頼
・本論文が「ファクトチェック」対象・事実確認中である旨の表示
・同編集委員会の「査読を経た厳正な手続き」フローの詳細・責任者確認
2025年11月4日(大阪公立大学)著者、人文学論集編集委員会への共有と確認中との回答
2026年1月30日 大阪公立大学名義で郵送にて回答
「2025年10月から12月にかけて、本学名誉教授・萩原弘子氏の論文についてのお申し越しの案件につきまして、鋭意検討いたしましたが、ご要望については、いずれも応じることはできないという結論に至りましたので、ご報告申し上げます。」
現在、萩原弘子氏が当該リポジトリの取り下げ意向を表明しているにもかかわらず、大阪公立大学は本件に一切応じないとの立場を示しており、その結果、当該論文は同大学のウェブサイト上において引き続き公開されている。
・当該論文リンク(大阪公立大学学術情報リポジトリ)/ファクトチェック赤入版
・ヒロシマからひろしまへ―石内都の写真シリーズ『ひろしま/hiroshima』に促される視線
萩原弘子 大阪府立大学人文学会 人文学論集 抜刷 第40集(2022年3月)
(公開日2022年5月2日)
・以下は同論文の赤入れ版(全箇所ファクトチェック反映PDF)
・事実誤認箇所/ファクトチェック
本来であれば写真史的観点から、事実誤認該当箇所のすべてを引用し解説すべきであるが、土田ヒロミに直接関連する部分に限っても事実誤認が約数十箇所に及ぶため、ここでは、土田の名前が直接挙げられ、明らかな事実誤認である根拠が提示できる部分を列挙する(詳細解説は随時追加)。それ以外の作家に関わる部分にも誤りと思しき箇所は多数確認され、到底正式な論文と認められるものではない。多くは歴史改竄に等しい、出典も根拠も確認できない、結論ありきの著者の偏見と思い込みによる記述であることが確認されている。
土門のあとに続 いたのが川田喜久治(1933-)、土田ヒロミ(1939-)、江成常夫(1936-)たちだ。作風 も被写体の選択もそれぞれに個性的で、作品の印象は異なるが、戦争の記憶に対する姿勢が共通している。(p.1 l.XX)
【誤】戦争の記憶に対する姿勢が共通している。
誤りである。この三名にはほぼ共通点はない。また、被爆地を撮影した多くの写真家の中でこの三名を選定した基準にも論理的根拠がない。
石内都(1947-)が広島平和記念資料館の所蔵品を撮影した写真シリーズ『ひろしま /hiroshima』(2007-現在)の中心にあるのは、女性や子どもの衣服である。原爆投下 された広島に関する写真である点では同じだが、系譜からは外れている。石内の写真は 新しい視線で広島を見ることを促してくれる。
【誤】系譜からは外れている。
誤りである。そもそも著者の言う「系譜」は歴史的に存在しないものである。虚偽の系譜に基づき、しかも比較対象である写真家の作品への正確な理解を欠いた上で石内だけが「異なった」「新しい視線で広島を見ることを促す」と定義することは適切ではない。
土門に続けて何人もの写真家たちが広島の戦禍を表現した。そこで形成されてきた独自の系譜にある写真を、本論では「ヒロシマ写真」と呼ぶことにする。この系譜にあるのは、いずれも原爆投下の直後を捉えた写真ではない。リアリズム表現の写真、抽象表現と見える写真など、作風はさまざまだ。
【誤】形成されてきた独自の系譜にある写真を、本論では「ヒロシマ写真」と呼ぶことにする。
誤った主張である。
実際には「独自の系譜」と呼び得る事実も根拠も存在しない。土門拳以降に広島を撮影したという点以外に共通性を持たない写真家および作品を、「独自の系譜」として一括して把握することが前提となっており、この時点で写真史的および論理的整合性は失われている。
萩原による「ヒロシマ写真」の定義が、写真史および被爆地撮影史における基本的認識を欠いていることを示すものとして、以下のまとめを参照されたい。
1970年代から2000年代にかけて広島を撮影した1939年生まれの土田ヒロミにとっても、時間の経過とともに弱まっていく記憶に抵抗することは大きな関心事だった。土田 の重要作品は『ヒロシマ1945~1979」(1979)、『ヒロシマ・コレクション』(1995)、『ヒロシマ・モニュメントII』(1995)、『ヒロシマ2005』(2005)の4部作である。これら はいずれも、原爆投下の瞬間と鑑賞者の現在を繋げることを試みている。
【誤】土田ヒロミにとっても、時間の経過とともに弱まっていく記憶に抵抗することは大きな関心ごとだった。
誤りである。土田が「弱まっていく記憶に抵抗すること」をテーマとした事実はない。(被爆地における「忘却への抵抗」を根幹とした代表的な写真家は東松照明である。)
【誤】『ヒロシマ1945~1979」(1979)/『ヒロシマ2005』(2005)
この二つは同じシリーズである。即ち、著者がほとんど写真集の内容を把握しておらず、基本構造さえ理解できていないことがうかがえる。
【誤】『ヒロシマ・モニュメントⅡ』(1995)
誤りである。『ヒロシマ・モニュメントⅡ』は写真集のタイトルであり、シリーズとしては〈ヒロシマ・モニュメント〉であり、最初の撮影年も誤っている。撮影は1979年から始まって(本論文が執筆された時点では)3回であり、継続中である。
【誤】『ヒロシマ・コレクション』(1995)
誤りである。〈ヒロシマ・コレクション〉の撮影は1995年が初回ではなく、1982年、1995年、2008年の三度にわたって行われており(本論文執筆時点)、現在も継続している。にもかかわらず、最初の1982年の撮影事実を把握しておらず、当時の刊行物や作品自体への言及も欠いている点は看過できない。土田ヒロミによる被爆資料の撮影は、本論考の主題において最も重要な先行事例かつ比較対象であるにもかかわらず、このような不十分な認識と調査姿勢は、本論文が結論のみを先行させた史実に沿わない内容であることを明確に示している。
【誤】〜の4部作である。
誤りである。「4部作」が存在した事実はない。シリーズは上記の「ヒロシマ三部作」である。
土田ヒロミの写真集『ヒロシマ・コレクション 広島平和記念資料館蔵』(1995)の 焦点は原爆投下時点の「ヒロシマ」にある。石内作品より10年以上前に広島平和記念資 料館所蔵品を撮影したもので、被写体のなかの数点は後年石内も撮っている。この本に掲載されている約100点の遺品には、すべて寄贈年月日、寄贈者と元の所有・着用者、 収集の経緯などの情報が添えられている。土田の写真集は、資料館にある遺品情報を「ヒロシマ」の名とともに丁寧に再掲することで、見る者に被爆の衝撃とその影響を現 実感とともに伝えようというつくりになっている。
【誤】土田ヒロミの写真集『ヒロシマ・コレクション 広島平和記念資料館蔵』(1995)の 焦点は原爆投下時点の「ヒロシマ」にある。
誤りである。土田はそのような焦点設定は一切行っていない。土田の写真における焦点は一貫して「現在」に置かれている。写真によって網羅し得ない「過去」を文字によって補完するという方法論であるが、この点を著者は理解していない。著者は当該シリーズの参照を作品発表から10年以上経過して刊行された当該写真集一冊のみに依拠しているようだが、その書籍形態は本来の〈ヒロシマ・コレクション〉の作品形態とは異なる。最初の発表時の刊行物や作品の存在も当然確認できておらず、したがって著者は、作品を正式な形で一度も鑑賞、検証しないまま本論考を執筆したことになる。
【誤】石内作品より10年以上前に
誤りである、石内作品より「25年以上前に」が正しい。著者は1995年の撮影のみという大変な誤認をしているが、実際は最初の撮影は1982年、続いて1995年、2008年と継続されている(執筆時までは以上、その後は2023-24年)シリーズである。
【誤】掲載されている約100点の遺品
正確ではない。全てを「遺品」としているが、遺品ではない資料は多数存在している。
【誤】土田の写真集は、資料館にある遺品情報を「ヒロシマ」の名とともに丁寧に再掲することで、見る者に被爆の衝撃とその影響を現実感とともに伝えようというつくりになっている。
誤りである。土田は「見る者に被爆の衝撃とその影響を現実感とともに伝えよう」など意図していない。土田の撮影コンセプトは、被爆資料を「現在」に存在するものとして、演出や作家の感情表現を排除し、記号的に撮影する点にある。衣類や日用品といった我々が所有する衣類や日用品との共通性や日常性を認識することが意図である。さらに、時間の遡行が不可能な写真表現に対し、時間情報を容易に表現し得る「文字」を併置することで、写真の記号的性と資料の所有者の物語を同時に認識させ、「普遍性/唯一性」を一作品内に共存させることが、1982年以降現在に至るまで〈ヒロシマ・コレクション〉において一貫されてきた重要なコンセプトである。
土門拳のリアリズム写真に始まる「ヒロシマ写真」の系譜は、皮肉にも二重の機能をもった。つまり犠牲者の衝撃的なイメージを写真で伝えて平和を訴えながら、戦争の被害者という国民の自己イメージ形成を推進することもした。
【誤】「ヒロシマ写真」の系譜は、皮肉にも二重の機能をもった
当該記述は二重の誤りを含んでいる。第一に、実在しない「ヒロシマ写真」の系譜という仮構に依拠しており、第二に、その上に「イメージ形成」という同様に実体を欠く概念を重ねて論じている点である。「犠牲者の衝撃的なイメージ」や「戦争の被害者としての国民的自己イメージ」など、土田ヒロミの〈ヒロシマ〉シリーズのコンセプトとはむしろ真逆の乖離したイメージであり、また他の写真家についても同様の断定を行うための根拠および出典が明示されていない。これらの裏付けが提示されない限り、本記述は写真史の解釈として成立せず、史実を歪曲する歴史改竄に等しい恣意的解釈に該当すると言わざるを得ない。
【誤】犠牲者の衝撃的なイメージを写真で伝えて平和を訴えながら
誤りである。先述のとおり、土田ヒロミが写真によって提示しているのは、被爆資料のありのままの「現在」であり、それは著者の言う「衝撃的なイメージ」や「平和の訴え」といった情動的・メッセージ的表現を意図したものでは全くない。明確な根拠および出典の提示が求められる。
【誤】戦争の被害者という国民の自己イメージ形成を推進
誤りである。そのような意図は、土田の作品には全く認められない。明確な根拠と出典の提示が求められる。
土田と江成の写真に見られるような戦時中の被害者としての集合的な記憶という捉え方は、現在の日本社会に浸透している。それは直接的にも間接的にも、日本国家の責任や日本人の戦争への加担を免罪するものである。「ヒロシマ写真」の系譜にある写真は、見る者を被爆の過去に直接立ち会わせるようなイメージを特徴としている。その写真は擬似記憶のなかのヒロシマ像構築にまちがいなく関与してきた。
【誤】土田と江成の写真に見られるような戦時中の被害者としての集合的な記憶
まず、土田と江成のコンセプトには本質的な共通点はほとんどない。土田の作品は、「被害者としての集合的記憶」の表象を目指すものなどではなく、むしろその対極に位置する。すなわち、被爆資料一点一点の現在の姿とリアリティを写真によって、過去の出来事を文字によって記録し、持ち主(そして寄贈者といった関連する人々)と物それぞれが有する固有の来歴と被爆の多様性を、日常性と共に提示することを目的としている。
【誤】それは直接的にも間接的にも、日本国家の責任や日本人の戦争への加担を免罪するものである。
土田の作品において、「日本国家」や「日本人」といった集合的主体が作品の中心的概念として扱われることは一切ない。まして、「戦争への加担の免罪」といった政治的イデオロギーを土田の作品に読み込むことは、そのコンセプトや実践と著しく乖離した解釈であり、これを裏付ける根拠も一切示されていない。このように、作品や作家の言説との整合性を欠いたまま政治的意味を付与する解釈は、学術的な分析として妥当性を欠くと言わざるを得ない。
【誤】「ヒロシマ写真」の系譜にある写真は、見る者を被爆の過去に直接立ち会わせるようなイメージを特徴としている。
そもそも「ヒロシマ写真の系譜」など存在しておらず、また、土田の作品は「見る者を被爆の過去に直接立ち会わせるようなイメージ」を特徴としてなどいない。
【誤】その写真は擬似記憶のなかのヒロシマ像構築にまちがいなく関与してきた。
ここで展開されている議論は、作品や作家自身の言説に基づく分析からは乖離した、著者である萩原による恣意的な解釈のみに依拠している。そのため、作品の実態や作家が提示してきた基本的なコンセプトはおろか、基本的な写真史との整合性をも完全に欠いており、とても論文として成立しているとは言い難い。
また、「擬似記憶のなかのヒロシマ(ひろしま)像」の構築という観点からみれば、むしろ被爆資料の所有者の個別性や歴史的文脈を捨象し、それらを一律の「死者」のイメージへと収斂させる石内の表現の方が、そうした表象の形成に寄与していると解釈する方が妥当ではないだろうか。
(Point)
土田のコンセプトや実践と著しく乖離し、根拠や出典が確認できない許容し難い歴史改竄が行われている。本記述に至った理由およびその根拠について、著者である萩原氏による明確な説明が求められる。
土田の写真に写っているワンピースとそれに付随する情報は、それが発見された1945年の現場に立ち会うことを促す。モノクロ写真だが、ワンピースのフレア・スカート部分がシミでかなり汚れているのがわかる。着ていた女性の焼けた肌から移ってできたシミかもしれない。
【誤】土田の写真に写っているワンピースとそれに付随する情報は、それが発見された1945年の現場に立ち会うことを促す。
【誤】モノクロ写真だが、ワンピースのフレア・スカート部分がシミでかなり汚れているのがわかる。
(各項目解説準備中)
土田と江成は、被災者が体験した過去の衝撃を再現することを動機とし、広島平和記 念博物館の展示ケースのいわば写真版をつくった。再現された犠牲者のイメージは、被害の苛酷さを強調しており、戦争の薄れた記憶を見る者に思い起こさせる。しかし先述したように、「ヒロシマ写真」の系譜にあるような記憶の風化に対する抵抗の写真は、皮肉にも、戦争加害者である日本の責任を無意識のうちに免罪し、ヒロシマの被害を国民の被害として意識化する視点の形成に寄与している。「ヒロシマ写真」にある写真表現は、被爆した死傷者の悲惨な個人的体験に焦点を合わせている。犠牲の図を提供するこの言説は、戦後の日本における反核平和主義の事実上の基盤となってきた。
【誤】土田と江成は、被災者が体験した過去の衝撃を再現することを動機とし、広島平和記 念博物館の展示ケースのいわば写真版をつくった。
【誤】再現された犠牲者のイメージは、被害の苛酷さを強調しており、戦争の薄れた記憶を見る者に思い起こさせる。
【誤】「ヒロシマ写真」の系譜にあるような記憶の風化に対する抵抗の写真は、皮肉にも、戦争加害者である日本の責任を無意識のうちに免罪し、ヒロシマの被害を国民の被害として意識化する視点の形成に寄与している。
【誤】「ヒロシマ写真」にある写真表現は、被爆した死傷者の悲惨な個人的体験に焦点を合わせている。犠牲の図を提供するこの言説は、戦後の日本における反核平和主義の事実上の基盤となってきた。
(各項目解説準備中)
本記述は、根拠や出典の提示を欠いた推測的な叙述に終始しており、事実関係を裏づける正確な情報をほとんど含んでいない。そのため、個々の記述について逐一検討・反論すること自体が、学術的には大きな意義を見出し難い内容となっている。
少なくとも明らかなのは、本記述が土田のコンセプトや実践と著しく乖離しているだけでなく、根拠や典拠を確認できない解釈に基づいて歴史的事実を書き換えている点である。したがって、このような記述に至った理由と、その解釈を支える具体的な根拠については、著者である萩原氏による明確な説明と根拠の提示が求められる。
むしろ石内が回避したいのは、苦しみの表現の一律化、パターン化ではないだろうか。石内の写真は、単純化された図式的なヒロシマ・イメージからは遠い。正面きって平和メッセージを打ちだすこともしない。石内のアプローチは、過去への姿勢が「ヒロシマ写真」とは大きく違っている。
【注】石内が回避したいのは、苦しみの表現の一律化、パターン化
むしろ、被爆資料の所有者である一人一人の個別性を抹消しているのは石内の表現である。そこでは、生存者や行方不明者を含む多様な存在が一括して「死者」として祭祀化され、一律に美化されるというパターン化が生じている。この点は、石内自身が提示する理論とも整合せず、その内在的な矛盾について、著者の萩原は全く認識できていないように思われる。
【誤】単純化された図式的なヒロシマ・イメージ
石内の作品こそが「単純化された図式的なひろしま・イメージ」である。
【誤】石内のアプローチは、過去への姿勢が「ヒロシマ写真」とは大きく違っている。
歴史的経緯や基礎的知識を十分に踏まえないまま、自己肯定のために過去を否定するという石内の姿勢においては、先行する写真家たちの歴史への向き合い方とは大きく異なっていると言えるだろう。土田や江成が被爆資料の辿ってきた歴史的文脈を重視しているのに対し、それらを「必要ない」として軽視する石内の姿勢は、歴史的文脈そのものを軽視する態度といえる。そのような姿勢が果たして積極的に評価されるべきものであるかについては、慎重な検証が求められる。
石内の写真は被害者意識に根ざす国民的神話を打ち砕く。その神話は、現実に被爆の犠牲になった者たちをパターン化した被害者像に押しこめる作用もあった。その神話を打破し、被爆者にも被爆する前の生活があったことに 思い至れば、災厄は他人事ではなくなる。
(準備中)
【注】石内の写真は被害者意識に根ざす国民的神話を打ち砕く
【誤】神話は、現実に被爆の犠牲になった者たちをパターン化した被害者像に押しこめる
【誤】その神話を打破し、被爆者にも被爆する前の生活があったことに思い至れば
土田の表現は、「被害者意識に根ざす国民的神話」に依拠するものではない。むしろ、個々人の日常生活と、それが一瞬にして断絶された事実を写真と文字によって提示する、現代性(コンテンポラリー)と普遍性を備えた表現である。
一方、生存者やその後の人生を捨象し、すべてを「死者の遺品」として祭祀化するとともに、情緒的な美化や私物化を通じてステレオタイプ化しているのは、むしろ石内の表現である。さらに、後発である石内が、土田が1982年以降提示してきた「(現在と共通する)被爆資料の日常の形」や「モンペの下にワンピースを着る女性の存在」「自分が着ていてもおかしくない」といった重要なコンセプトを、自らの発見であるかのように語っていることの是非こそ、萩原による支離滅裂な解釈の誤りと併せて検証されるべきではないだろうか。
土田ヒロミ『ヒロシマ 1945~1979』.東京:アサヒソノラマ社、1979年.
『ヒロシマ・コレクション 広島平和記念資料館蔵』.東京:NHK出版、1995年.
『ヒロシマ・モニュメントII』.東京:冬青社、1995年.
『ヒロシマ 2005』.東京:NHK出版、2005年.
【注】著者が参照した土田ヒロミの「ヒロシマ」に関する文献はわずか四冊に過ぎない。とりわけ、石内との比較において最も重要なシリーズである〈ヒロシマ・コレクション〉については、1995年刊行の一冊のみが参照されているに留まる。1982年の最初の発表当初の評論・論考などを含む重要な刊行物には一切言及されておらず、これは著者が初出年を10年以上誤認していたことに起因する。入手が容易ながら作品の本質を的確に示しているとは言い難い一冊のみに依拠し、それだけで当該シリーズを理解したとみなし、独自の解釈によって架空のイデオロギーや戦争観を付加した思想をこじつけて論じている点は、もはや歴史改竄に等しい行為であり、この内容を正当な論文と認めた編集委員会の査読プロセス含めて、厳しく責任が問われて然るべきである。
・本論考問題点
本論考は石内都〈ひろしま〉のみを掘り下げ、手放しで礼賛するという結論を前提として構成されており、比較対象である石内以外の写真家、とりわけ被爆資料撮影の先行事例である土田ヒロミに関する記述には、著者の恣意的推論や事実誤認に基づく記述が数多く見受けられる。そのため、論理的で客観的な比較検討が十分に行われているとは言い難い。
また、戦争の加害認識や平和主義といった特定のイデオロギーと土田らの作品を恣意的に結びつける箇所が複数存在するが、これらの論理展開には全く根拠がなく、明確な出典も示されていない。作品のコンセプトや写真史的文脈を、著者の意図通りに論理を展開させる目的で不適切に歪曲している点は歴史改竄に等しい行為であるとみなされ、著者による明確な説明が求められる。
土門拳以降に広島を撮影した主要な写真家である川田喜久治、江成常夫、土田ヒロミは、作家間に共通点や直接的な系譜関係を全く有していない。そのため、これらを「ヒロシマ写真」という実在しない枠組みによって同一の系譜として論じることは成立せず、この前提に立脚した著者の持論は、史実や各作家の制作理念を著しく歪曲させている。結果として本論文は、写真史的知見に基づかない著者の恣意的解釈に陥り、理論的整合性を欠いている。にもかかわらず、萩原氏によって提示されたこの実体を欠く「ヒロシマ写真」という系譜が、とりわけ学生や若手評論家によって無批判に受容され、論考に引用される事例が多く見られる点は、看過できない問題である。
また、著者である萩原弘子は、石内都の所属ギャラリーと関係を有している。萩原が誤った歴史認識に基づいて石内作品の評価および価値形成に寄与していることは明白であり、アカデミックな立場を利用した写真史の歪曲解釈の商業的利用がなされているとすれば、研究者としての矜持のみならず、職業倫理が問われるべきである。
さらに、萩原が教育者として、誤った歴史認識、事実誤認の写真史に基づく教育が大学において長年継続されてきた点、大学教授という肩書きにおいてについても、重大な責任が問われるべきである。
以下のシンポジウムにおいて萩原が提示した「日本の太平洋戦争観を形成してきた『ヒロシマ写真』の系譜」という概念は、萩原による恣意的推論のみに基づくものであり、写真史上に実在する系譜ではない。

・派生事例/本論文引用事例【ファクトチェック対象外】
多数の研究実績を有し、大学名誉教授の肩書を持つ萩原弘子氏による本論文は、美術界において一定の影響力を有するため、いくつかの弊害を生んでいる。とりわけ、若い世代の学生や評論家の間において、一次資料に直接あたることなく、本論文の記述のみに依拠した「(土門拳を代表とする)ヒロシマ写真」「(石内によって)それらの呪縛から解放された」という写真史に沿わない事実誤認の概念を無批判に引用し、それを前提とした論考が散見される。さらに、写真史に十分な専門的素地を持たない大学教員や美術関係者が審査員として、史実に即さないこうした論考を評価し、顕彰する事例も複数確認されている。
※事実誤認の論文をそのまま引用しているため、これらはファクトチェック(事実確認)対象外。
【受賞事例1】
・京都芸術大学 アートプロデュース学科 卒業論文
2024年度奨励賞(山下ゼミ 森本千琴)
責任者である山下里加教授へのヒアリングにより、著者である学生が萩原氏の論文を全面的に参照していること、土田の〈ヒロシマ・コレクション〉に関するリサーチはほとんどなされていないこと、評価者に写真史の専門家は一人もいないことなどが確認された。

【誤】「憎悪と失意」の記録として撮影され
【誤】それらヒロシマ写真は「被害者であるわたしたち」という連帯の象徴にもなっていた
【誤】原爆遺品を、怒りや悲しみ、あるいは「被害者であるわたしたち」という連帯の象徴から解放し
【誤】そのひとりひとりが原爆に晒されたことを想像させる
【受賞事例2】
・T3 NEW TALENT 美術評論家部門
T3 NEW TALENT (2025)
美術評論部門 対象者 高嶋 慈 他一名
統括責任者 速水 惟広
Director: 千葉 由美子(美術批評家部門)
DIRECTOR COMMENT
(…)写真は長い間時代の記録者としての役割を果たしてきました。しかし急速な情報化を始めた社会によって次第にその役割を変えており、現代の写真の定義は拡大され、写真が置かれる状況はより複雑化し多義的になっています。本事業ではそうした点をふまえ、写真の属性を様々な視点と立地から分析し、意義と役割について問い直す力を持った若手批評家2名を対象者とします。
高嶋 慈は、ジェンダー、クイア、フェミニズムに軸を置きながら、その視線は柔軟で多点的であり、常に社会全体に向けて開かれています。(…)
https://t3newtalent.com
同賞に、萩原弘子氏の当該論文の虚偽内容、日本写真史に存在した事実のない「ヒロシマ写真」という「男性写真家の系譜」をそのまま参照、起点とした論考執筆者が選出されている。
「土門拳を嚆矢に、川田喜久治、東松照明、石黒健治、土田ヒロミら男性写真家が被爆者の身体や原爆の痕跡をモノクロームで撮った写真の系譜」と、そこからの「解放」として「石内都がカラーで被爆遺品を撮った『ひろしま』が起点」といった萩原論文における「架空の系譜/そこからの解放」という空論を起点・前提とした内容で、英訳版出版に際し、編集担当者から土田ヒロミ〈ヒロシマ・コレクション〉《ワンピース》の図版借用についての申請がなされた。全文精査の結果、萩原論文の参照はじめ、複数の事実誤認が確認された。作品図版が正確な作品コンセプトに基づいて使用されないと判断され、根拠を付して申請は却下された。(2026年1月)
⚫︎被爆地(ヒロシマ・ナガサキ)写真表現史:写真集他出版物
⚫︎他ファクトチェック事例まとめ
