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事例#02-2 ヒロシマ賞(広島市現代美術館・朝日新聞社)における問題


ヒロシマ賞設置要綱(広島市)

第1条 広島市表彰条例(昭和24年4月1日広島市条例第13号)第1条第2号に基づき、美術の分野で人類の平和に最も貢献した作家の業績を顕彰することを通じて、本市の芸術文化活動の高揚を図るとともに、“ヒロシマの心”を広く全世界にアピールし、人類の繁栄に寄与することを目的として、ヒロシマ賞を設置する。


ヒロシマ賞

ヒロシマ賞は、美術の分野で人類の平和に貢献した作家の業績を顕彰し、核兵器廃絶と世界恒久平和を願う「ヒロシマの心」を、美術を通して広く世界へとアピールすることを目的として、広島市が1989 年に創設したものです。3 年に1 回授与されるこの賞は過去11 組のアーティストが受賞しており、今回、第12 回目のヒロシマ賞受賞者にメル・チン(1951 年生まれ、アメリカ出身)が決定しました。
2026 年夏(予定) には第12 回ヒロシマ賞の授賞式を行い、あわせて当館においてメル・チンのヒロシマ賞受賞記念展を開催します。

https://www.hiroshima-moca.jp/info/hiroshima-art-prize

同賞の主催は広島市現代美術館朝日新聞社である。

主旨、過去の受賞者、選考の基準、選定方法

主旨
美術の分野で人類の平和にもっとも貢献した作家の業績を顕彰することを通じて、広島市の芸術活動の高揚を図るとともに、「ヒロシマの心」を広く全世界にアピールし、人類の繁栄に寄与する。 あわせて、この賞を受賞した作家の展覧会を開催して芸術の発展に寄与し、ヒロシマ賞の意義を高める。

過去の受賞者
第1回(1989年決定)三宅一生/デザイン
第2回(1992年決定)ロバート・ラウシェンバーグ/美術
第3回(1995年決定)レオン・ゴラブ&ナンシー・スペロ/美術
第4回(1998年決定)クシュシトフ・ウディチコ/美術
第5回(2001年決定)ダニエル・リベスキンド/建築
第6回(2004年決定)シリン・ネシャット/美術
第7回(2007年決定)蔡國強/美術
第8回(2010年決定)オノ・ヨーコ/美術
第9回(2013年決定)ドリス・サルセド/美術
第10 回(2015 年決定)モナ・ハトゥム/美術
第11 回(2018 年決定)アルフレド・ジャー/美術

選考の基準
美術の分野(平面、立体、映像、デザイン、建築等)で評価の高い活動を行っている個人あるいはグループ。
ヒロシマの心にふさわしい制作活動を行っている個人あるいはグループ。
美術館で単独の展覧会を開催する意義がある個人あるいはグループ。
国籍、年齢は問わない。

選定方法
世界各地の美術館長、美術評論家等で構成する「推薦委員」と、過去の受賞者からなる「特別推薦委員」から推薦された作家等をとりまとめ、国内の美術館長、美術評論家等で構成する「選考委員会」で絞り込みを行い、その結果をもとに、有識者、美術専門家等で構成する「選考審議会」で、受賞候補者を決定する。  


広島市ヒロシマ賞受賞者選考審議会委員、選考委員会委員

◎広島市ヒロシマ賞受賞者選考審議会委員
池田晃治(広島商工会議所会頭、ひろしま美術館館長)
逢坂恵理子(国立新美術館館長)
島敦彦(国立国際美術館館長)
千足伸行(広島県立美術館館長)
建畠晢(埼玉県立近代美術館館長)
寺口淳治(広島市現代美術館館長)
福永治(京都国立近代美術館館長)
松井一實(広島市長)
三浦篤(大原美術館館長)
吉田幸弘(公立大学法人広島市立大学芸術学部長)
ラワンチャイクン寿子(福岡市美術館学芸係長)
※ 2024 年11 月現在(五十音順・敬称略)

◎第12回ヒロシマ賞選考委員会委員
五十嵐太郎(東北大学大学院工学研究科教授)
植松由佳(国立国際美術館学芸課長)
大西若人(朝日新聞社編集委員)
尾﨑信一郎(鳥取県立美術館館長)
加須屋明子(京都市立芸術大学美術学部教授)
丹羽晴美(東京都写真美術館事業企画課長)
野中明(広島市現代美術館副館長)
保坂 健二朗(滋賀県立美術館ディレクター)
水沢勉(美術評論家、 美術史家)
※ 2024 年11 月現在(五十音順・敬称略)      


ノミネート、選考の不透明性について


【広島市に開示請求】「ヒロシマ賞」受賞者選考審議会 委員名簿・候補作家名簿・議事録 
過去5回分(2007年度以降)
・委員名簿(選考審議会委員/選考委員会委員
・候補作家名簿(候補作家推薦委員・特別推薦委員推薦時点)
・最終候補作家名簿
・最終審議議事録

少なくとも第9回(2013年決定:ドリス・サルセド)および第10回(2015年決定:モナ・ハトゥム)の選考過程において、いずれも石内都がノミネートされていたことが確認されている。この背景には、選考委員である大西若人(朝日新聞社記者)および松岡剛(広島市現代美術館学芸員)らが長年にわたり石内を支持し同賞に強く推してきた意向が関与している可能性がある。
※直近5回の「ヒロシマ賞審査」の候補者及び推薦者、審査議事録を要確認

「ヒロシマ」(カタカナ表記)を強く否定しつつ自らの作品評価を確立しようとする姿勢は、石内都による〈ひろしま〉シリーズの重要なコンセプトとされている。にもかかわらず、カタカナ「ヒロシマ」の名を冠する賞を石内に授与しようとする点には、概念的な矛盾ないしダブルスタンダードが認められ、その正当化の意図や関係者の動機について慎重に検証する必要がある。同時に、同館が行なってきた石内の表現の唯一の先行事例である土田ヒロミの〈ヒロシマ・コレクション〉の排除を松岡学芸員が中心に意図的に行なってきた狙いが、石内の作品評価を確立させることと密接に関係していることは留意すべき点である。

また、石内の〈ひろしま〉は被爆資料をモチーフとしているものの、その表現は「人類の平和に貢献する」ことや「“ヒロシマの心”を広く世界に発信する」という理念とは必ずしも一致していないと指摘される。石内自身の言動には、ヒロシマの歴史的文脈や表現史への敬意はほとんど見られず、逆にそれらを架空の枠組みに押し込め、さらにはジェンダー問題をこじつけ歴史を否定することで自らの作品評価を得ようとする姿勢が見られる。こうした点から、彼女の作品は「ヒロシマ」の表現史の系譜というよりも、作家自身の私的な自己表現として論じられるべき側面が強いと考えられる。

とりわけ、被爆資料をその所有者や背景にある歴史的文脈から切り離し、個人的表現の素材として再構成することが、作品の中心的なコンセプトとなっていると解釈できる。さらに、こうした〈ひろしま〉の作品群がギャラリーを通して国内外で広く流通・販売されている事実は、それらが「ヒロシマの心」という普遍的理念の表象というよりも、作家個人の表現として提示・商品化されている側面を示唆している。以上の点から、「私的に再構成されたひろしま」の表現を「現在のヒロシマの心」として普遍化し評価する現状の美術館の評価基準に対しては、慎重な再検討が必要であると考えられる。

【証言1】「石内さんはヒロシマ賞が欲しい」

(昨晩は)いつものように石内さんに物凄く高いワインをご馳走された。
石内さんは(二度目の個展のために)ヒロシマ賞が欲しい。(だから、受賞させなければ)

注)同館では一作家につき個展開催は一度までというルールがある。唯一、第8回ヒロシマ賞受賞者のオノ・ヨーコだけが二度の個展を開催している。

松岡剛学芸員の発言より

2015〜2017年頃、松岡剛学芸員が学芸課内の雑談の場において当該および類似する発言を複数回行ったとされる事実が、関係者の証言によって確認されている。なお、関連する発注や取引の有無も含め、常習化されていたと推察される当該をはじめとする高額接待が職業倫理規定に抵触する可能性については、検証および事実確認が求められる。

【検証1】石内都のヒロシマ賞へのノミネート

※過去5回、ヒロシマ賞にノミネートされた候補者(推薦者)名簿
審査の議事録公開を広島市に求めたい。

【検証2】石内都の長年の行動はヒロシマ賞に相応しいか

石内の長年の言動については、以下の諸点が指摘されており、「ヒロシマ賞」の理念との整合性の観点から検討の余地がある。

  • 「ヒロシマ」(カタカナ)の歴史や平和運動を揶揄し、否定的に言及する発言が見られる点。

  • 広島の被爆資料を作品化し、長年にわたり国内外で高額で販売することで、作家個人および私設ギャラリーの利益につなげているとされる点。

  • ヒロシマの問題を性差や個人的問題と結び付け、とりわけ男性写真家によるヒロシマ表現について、歴史的事実の歪曲解釈・歴史改竄が指摘される言説を展開している点。

  • 先行する「ヒロシマ」表現の構図やコンセプトに対する剽窃疑惑が指摘されている点。

  • さらに、松岡剛(広島市現代美術館学芸員)や大西若人(新聞記者)をはじめとする関係者による、石内の行為を擁護する発言や、石内にとって都合の悪い表現者を恣意的に排除する姿勢が見られる点。

以上の点は、同賞が掲げる理念や目的との関係において、慎重な検証を要する論点である。

【参考事例1】朝日賞(朝日新聞社)

大西若人(朝日新聞記者)は、長年にわたり石内都を高く評価する記事を継続的に執筆してきた記者の一人である。また、同様に石内の評価を継続してきた松岡剛(広島市現代美術館学芸員)との関係も指摘されている。両者に共通する特徴として、石内の作品を高く評価する一方で、ヒロシマとりわけ被爆資料の写真表現における唯一の先行事例とされる土田ヒロミの作品については、その存在や意義への言及がほとんど見られないどころか、石内を評価する目的で、先行する土田のコンセプトを歪曲し歴史の中で存在価値を矮小化しようとする意図的な記述や報道姿勢が挙げられる。こうした評価の傾向は、ヒロシマ表現の歴史的文脈をめぐる議論において検討を要する論点となり得る。

「従来のヒロシマ写真」「地味な衣服などの白黒写真」という印象操作

石内都の写真世界 横須賀、ひろしま、 記憶と時間に向き合い朝日賞編集委員・ 大西若人  朝日新聞2023年1月17日

大西若人による記事には、写真表現の理解や歴史的文脈に関して、いくつか検証を要する重大な誤りを含む記述が見られる。

【誤】地味な衣類などの重い白黒写真
モノクロ写真を一律に「重い」と形容することが、執筆者のモノクロ写真に関する知識の欠如を明確に示している。写真表現の分析においてモノクロの印象は多様であり、単純に「重い/軽い」といった二分法で規定できるものではない。例えば、土田ヒロミの〈ヒロシマ・コレクション〉におけるモノクロ表現は、階調や質感の扱いから「軽やかで柔らかい印象」を持つ作例として評価され得るものであり、「重い白黒写真」という一括的な断定は写真技法として誤りである。

【誤】資料ではなく「私が着ていたかもしれない」と思える存在として。
「私が着ていたかもしれない」というこの「現在性」を強調する視点は、既に1982年に土田が〈ヒロシマ・コレクション〉において提示していたコンセプトであり、2007年に石内都の作品によって初めて提示されたものではない。

【誤】カラーの撮影で従来のヒロシマ写真とは異なる美しさ
広島に関する写真表現においてカラー写真は1960年代以降すでに作品として発表されており、土田自身も1982年の時点でカラー撮影を行っている。土田と石内の作品には約25年の時間的隔たりがあり、社会的な背景や人々のメディア環境の受容における差異はもちろんのこと、その間には写真メディアや機材、印刷技術などの大きな変化が存在する。また、石内が広島の撮影を開始した2007年には、もはや多くの撮影者が「デジタル/カラー」を選択することが標準化していた時代である。したがって、「カラーかモノクロか」という要素のみをもって、異なる時代に発表されたモノクロ写真とカラー写真の評価を行うことは全くの見当違いである。

【誤】従来の「ヒロシマ写真」
萩原弘子(大阪府立大学名誉教授)の論文(リンク参照)にも乱用される歴史的に存在しない「ヒロシマ写真」という捏造された概念、これは石内にとって男性性を示唆する仮想敵の存在としてしばしば用いられてきた架空の概念であるが、それを新聞という媒体で明確に記述し、その正当化と普及に寄与した罪は大きい。

この「ヒロシマ写真」という概念については、明確な根拠がないどころか、50年以上に渡って多くの写真家によって個別になされてきた全く異なる表現のあり方を一括りにして矮小化するという、全く史実に基づかない架空の枠組みであることがすでに確認されている。この語はしばしば石内作品を評価する文脈の中で、主に男性写真家によって行われてきた広島を主題とする写真表現を一括して指す用語として使用されるが、その目的の多くは「男性/女性」「モノクロ/カラー」という安直な二項対立によって石内の作品評価に繋げようとするもので、明確な定義や歴史的連続性を持つ概念としては全く成立していない。また、この概念は、石内都を評価する言説において、既存のヒロシマの写真表現、特に、石内の唯一の先行事例であり構図やコンセプトに多数の類似が指摘される土田の「ヒロシマ・コレクション」を示唆し、土田が1982年に確立し現在まで継続している重要なコンセプトを歪曲・矮小化させる対立的枠組みとして頻繁に言及される。こういった概念で記事や論考を発表する者の姿勢に共通しているのは、石内以外のヒロシマの表現の歴史や写真史、写真技法についてほとんど学習しておらず、時には作品さえも参照することなく「ヒロシマ写真」という言葉を用いて石内の作品を一方的に賞賛していることである。
こうした「史実に沿わない/特定の意図で捏造された用語」が新聞などの公共的メディアにおいて明示的に用いられることは、その概念の流通や定着に一定の影響を与え続けており、用語の妥当性や歴史的根拠については慎重な再検証が求められる。


被爆者の遺品といえば、傷んだ服や着物の白黒写真のイメージだが、素敵な花柄のワンピースなどと出あい、「私が着ていたかも」と、柔らかく捉え続ける。戦争の存在が若い世代にもリアルに伝わった。
(編集委員・大西若人)

https://www.asahi.com/articles/DA3S15516964.html

ここでも、石内都の発言にしばしば見られる「地味なモノクロ」や「被爆者の遺品といえば傷んだ服や着物の白黒写真といったイメージ」といった表現が反復的に用いられている。こうした表現は写真史の実態を必ずしも正確に反映するものではなく、とりわけ土田の〈ヒロシマ・コレクション〉のコンセプトを歪曲化させる意図が明確に見られる。特に大西若人をはじめ石内を評価する新聞記者による記事の中で繰り返し用いられることで、被爆資料写真に対する特定のイメージを社会的に形成・固定化する役割を果たしてきた可能性がある。

また、鑑賞者に「私が着ていたかもしれない」という現在的な感覚を喚起するため、被爆資料を現在性の中で撮影するというコンセプトは、土田ヒロミが1982年の〈ヒロシマ・コレクション〉において既に提示・実践していたものであるとされる。にもかかわらず、先行する表現を「過去の古い白黒写真」と位置付けることでその意義を相対的に矮小化し、現在性という概念を石内の独自の着想として評価する言説が新聞記事を通じて広く流通した点については、メディアの表象の在り方として検討の余地がある。

さらに、ヒロシマ表現の歴史に関する解釈や事実確認が十分に検証されないまま評価言説として認知されてしまった場合、その言説を基盤とする賞の評価自体の妥当性にも影響を及ぼす可能性がある。例えば、朝日新聞による朝日賞の受賞理由として提示された説明の妥当性についても、こうした文脈を踏まえた再検討が必要であるとの指摘が成り立ち得る。この問題は、石内が候補として言及されてきた「ヒロシマ賞」の評価根拠をめぐる議論とも一定の共通性を有している。


【参考事例2】2025年「被爆80年展覧会」報道(朝日新聞・毎日新聞比較)


被爆80年展覧会記事(左:朝日新聞 2025年7月29日/右:毎日新聞 2025年7月28日)

朝日新聞:「記憶と物」(広島市現代美術館)(編集委員:大西若人)
     「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆×芸術」(岡本太郎美術館)

毎日新聞:「記憶をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)
     「記憶と物」(広島市現代美術館)
     「ゴヤからピカソそして長崎へ」(長崎県美術館)
  別枠「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクションー1945年、夏」(中之島香雪美術館)

朝日新聞紙面において地方の展覧会としては異例とも言えるほど大きな扱いで掲載された「記憶と物」展(広島市現代美術館)の展評は、同紙編集委員である大西若人が執筆している。

一方、朝日新聞社が主催した展覧会「土田ヒロミ写真展 ヒロシマ・コレクションー1945年、夏」(中之島香雪美術館)については、同紙の大阪版では複数の記事が掲載さているものの、東京版では展覧会関連記事は全く確認されない。主催に名を連ねているにも関わらず、これら扱いの差異は、単なる編集方針といった理由だけでは説明が難しい側面を持つと指摘できる。

NHK日曜美術館の「アートシーン」は、全国的な視点でその時々において注目すべき展覧会を考える時の一つの指針となる。2025年8月10日放送で、「ヒロシマ・コレクション」及び「戦後80年《明日の神話》次世代につなぐ 原爆×芸術」が取り上げられている。また、
「記憶をひらく 記憶をつむぐ」9月21日放送の日曜美術館本編にて特集されている。
「ゴヤからピカソ、そして長崎へ 芸術家が見た戦争のすがた」は前週8月3日(日)のアートシーンで紹介されている。

上記掲載のラインナップで唯一、広島市現代美術館の「記憶と物」だけが、日曜美術館本編でもアートシーンでも取り上げられていない。朝日新聞の大西記者による該当記事の扱いの偏向性を示す一つの指針となると言えるだろう。


⚫︎関連記事:広島市現代美術館における収集展示の不透明性

こちらについては以下記事に詳細あり
事例#02 広島市現代美術館(収集展示の偏向性・不透明性)







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