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偶然がつなぐ“点と点”──旅先で出会った日本ワイン歴史展が引き出した思考(2025/5/18 #133)

前回は、『チ。-地球の運動について-』の展示会に行ったことをもとに書いたところ、「AI時代においては、よく分からないことをつなげて考える。そのネタ元として色々なところに出かけるのが大事。」という考察に至りました。

先日配信されていた、voicyの木下斉さんと、リクルート スタディサプリ教育AI研究所所長・小宮山利恵子さんの対談のなかでも、まさに「色々なところへ出かけ、点を打っていく」ことの大事さにも触れられていました。

では、どういったところに出かけたらいいのか?という話なのですが、街中で・ネット上で・口コミで・どんなルートでもいいので気になったものを見聞きしたら、とりあえず行ってみれば良いと思います。

今回はそんな感じで、出かけた先でふと足を運んでみたら、偶然にも「自分の中で点と点がつながった」出来事があったので、それについて書いてみます。



家族旅行先にて「日本ワイン歴史展」を見かける!

先日山梨県へ旅行に行った際に立ち寄った、笛吹川フルーツ公園。

高台にあって見晴らし良き!

市街地から近くにありながら、小高い土地にある公園のため、非常に良い眺めです。子ども向けの遊具やら、室内のイベントやら、レストハウスやら、子連れで楽しめる公園だったのですが、併設されている「くだもの館」にて「日本ワイン歴史展」なる展示会が開かれており、思いがけず勉強になりました。

右側のパネルは日本ワインに関わった人達

展示によれば、甲州ブドウは16世紀初頭に日本に持ち込まれたと考えられるそうです。
その後、時は下って明治初期。真言宗の僧職であった山田宥教が、横浜で外国人がワインを飲んでいる姿を見て、明治以前から山ブドウでワインの試醸を繰り返していたのだそう。仏僧が、酒づくりなどとはかなり破天荒な感じがします笑。やはりアウトサイダーから変化は生まれてくるのだなと。

山田は、甲府で日本酒製造を営む詫間憲久にワイン造りを持ち掛け、明治7年にワイン製造を開始。
残念ながら2人のワイン造りは資金難で行き詰まりますが、造っていたワインが明治10年に開催された「第一回内国勧業博覧会」に出展され、銀賞を受賞したそうです。

内国勧業博覧会とは

ところで、この内国勧業博覧会とはどういった趣旨の会だったのか?

皆さんも歴史の教科書できっと目にしたことがある「岩倉使節団」。
明治4年12月~明治6年9月の期間で、欧米を歴訪。
このなかで、ウィーン万博を見た大久保利通が「日本においても、新しい産業を興すには博覧会が必要」という信念を抱き、大蔵省の反対にあいながらも、開催にこぎつけたのが内国勧業博覧会だったのです。

この第一回内国勧業博覧会は、明治10年8月~11月まで東京上野公園で開催されます。

そしてその後も同会は開催を重ね、第三回には先日記事で取り上げた豊田佐吉が15日間も通いつめ、当時の最新技術に触れ、その出来事が今のトヨタにつながっています。

博覧会で産声を上げ、再び博覧会で脚光を浴び始めた日本のワイン

こうして船出した日本ワイン。山田・詫間のワイン造りを受け継いだ山梨県立葡萄酒醸造所が本格的に稼働し、明治11年のパリ万博にも出品されています。

しかしその後、神谷傳兵衛(浅草神谷バーの創業者)が輸入ワインにハチミツや漢方薬などを調合したものを出したり、鳥井信治郎が明治40年(1907年)に「赤玉ポートワイン」(最初期はスペインワインに香料や甘味料を添加していた)を出したり、ワインといえば「甘味ブドウ酒」という時代が到来。

大正7年には、ワイン市場における甘味ブドウ酒のシェアが8割にもなったのだそう。
この時代には、国産ワインはこれらの甘味ブドウ酒の原料として使われる存在に。

再びワインの消費量が、甘味ブドウ酒を上回るのは1975年と、赤玉ポートワイン誕生から70年弱経過した後。
そのキッカケは1970年に開かれた大阪万博で洋食が浸透したからだとされています。

博覧会をキッカケに産声を上げた日本のワイン消費が、博覧会をキッカケに再び息を吹き返してくるといったあたり、偶然の面白さを感じますね。

ただ、その後1994年には輸入ワインの消費量が国産ワインを上回り、いまに至っています。

とはいえ、足元では日本ワインの造り手たちは増えつつあり、旅先でも地元産のワインを目にする機会は増えてきた印象で、そういったものを味わうのも旅の楽しみになりそうです。

出典:共同通信
こんな感じで旅先でワインサーバーを置いてる場所も、よく目にするようになった気がします。

ちょっと余談:展示のなかの面白エピソード

この展示を見てて面白かったエピソードとしては、当時は「甘いので女性や子供も飲める」という宣伝文句があった、ということ。

いまでは「お酒は20歳から」というのが当たり前に言われてますし、残念ながら「酒は百薬の長」説も怪しいとされています。
が、当時は子どもが飲めるかどうかは味の問題、とされていたあたり、色々な物の取扱いは時を経て洗練(?)されていくものだなあ、と感じました。

当時の甘味葡萄酒宣伝の数々(右側)

思いがけず点と点がつながる!

ということで、思いがけず出くわした「日本ワイン歴史展」を振り返ってみました。

ここで私の脳内では「日本ワインの源流」と「トヨタの源流」が「内国勧業博覧会」というキーワードでつながりました。
そして日本ワインの原点とされる人もアウトサイダー(僧職でありながら酒造りを営む)だったのだと。

こんな感じで、意外な点と点がつながると、AIが引き出してこない自分ならではの引き出しが増えて良いですね。
そしてそれは意図しなかった出来事で起こりえるのだと。

それにしても日本における博覧会は、何らかの分野で、時代の転機になっているのだなあと感じました。
現在行われている大阪万博も、会期内に行ってみて、何があるのか感じてみたいところです(今のところ行く計画はたっていないが、行ってみたい)。

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