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【熔ける前の井川意高物語】#07:カリスマ井川高雄の息子!

井川意高氏は現在、インフルエンサーとして活躍されていますが、かつては大王製紙の社長を務め、カジノで106億円もの巨額を失い、特別背任の罪で懲役4年の実刑判決を受けたことで広く知られています。

一方で、その父であり、「大王製紙の中興の祖」と称されながらも、その功績が十分に世に知られていないのが井川高雄氏です。

井川親子と共に仕事をするという貴重な経験を持つ私だからこそ、彼らとの思い出を振り返りながら、なぜあのような事件が起きたのかについて、冷静に考察してみたいと思います。


🌳恐怖とカリスマ性:井川高雄氏のリーダーシップ

最近の研究によれば、人を叱りつけると脳内に快感物質であるドーパミンが分泌されることがわかってきました。

毎日多くの報告を受け、そのたびに大声で叱りつける──今ならパワハラと認定されるかもしれない井川高雄氏の脳内にも、役員や管理職を叱責する都度ドーパミンが流れていたのでしょうか?

さて、そのような「激昂型」経営者には、昭和時代特有の「上意下達」マネジメントに対する信念があったように思います。

周囲に漂う緊張感は、指示したことに即座に従う迅速な反応を生む一方で、思考や行動が萎縮し、パフォーマンスが十分に発揮できない副作用を生みました。

管理職たちもまた、トップの「恐怖」を模倣して、部下を叱責することが当たり前のマネジメント手法として社内に浸透していきました。

私はこれを一人「恐怖による動機付け」と呼んでいました。

トップの言葉を借りて「顧問指示だからやれ」と指示したり、顧問訓話を都合良く解釈し、時に誤った理解をして目的倒錯した内容に部下を盲目的に従わせる、つまり恐怖を武器にした歪んだ上司と部下の力関係が形成されてしまったのです。

こうした「恐怖による支配」は、カリスマ性を備えたトップが持つ強力な人事権によって確立されていました。

部下にとっては逆らうより従っておく方が「賢い生き方」として受け入れられ、結果として盲従が組織文化となっていったのです。

仮に異を唱える者がいれば、「逆らってもいいことはない」と、冷淡なマジョリティたちによる同調圧力が働くことも少なくありませんでした。

激昂型のトップが人事権を持つ限り、下の立場からその体質を改善するのは非常に難しいものです。

井川高雄氏が築いた「恐怖による支配」は、やがて社員たちの間で「井川家には逆らわない方が賢明だ」という無言の了解となり、形式的なガバナンスよりもトップの意向が優先される社内文化を定着させました。

こうした文化が根付くことで、子会社のトップとして出向した優秀なハズの役員や管理職たちもまた、井川意高氏に対して「統制手続きが必要なため、すぐには送金できません」と反論することが難しくなっていったのです。

🌳怒鳴らない恐怖:井川意高氏の支配と影響

東大法学部卒業の井川意高氏は、父親とは異なり、大声で叱責することはなく、穏やかな話し方で社員に接するジェントルな人物でした。

しかし、「若きプリンス」として人事権を握る彼もまた、社員たちには恐怖の対象でした。

噂の一つに「お父さんは降格させた部下に再びチャンスを与える寛容さがあるが、意高氏に嫌われたら二度とチャンスはないらしい」という話がありました。

この噂は瞬く間に社内に広まり、表面的には紳士的な彼にも、社員に対する「恐怖支配」が知らず知らずのうちに浸透していったのです。

そのような状況下では、「今すぐ1億円を私の口座に振り込んでくれ」との電話にも「はい、分かりました」と従うしかない子会社の社長たちが生まれ、こうした連鎖によって生まれた「盲従」が9.16事件を招く結果となりました。

皮肉なことに、法令を無視するような盲目的行動を最も恐れていたのは、他ならぬ父・井川高雄氏でした。

彼は常に「リーガルマインドをもって業務を遂行せよ」と語り、法令順守の意識を社員に強く求めていたのです。

しかし、現実には管理職たちが正規の手続きを無視して意高氏に資金を送金する状況が生まれていました。

高雄氏にとっても信じられない事態だったでしょうし、私もまた、意高氏がそんな事件を起こすとは信じられませんでした。それほど、社員はみんな彼の才能と手腕を信頼していたのです。

🌳親子関係と支配構造:9.16事件の背後にある親子の力学

平成14年7月に私は三島工場の労務部長として四国中央市に単身で赴き、井川意高氏は生産担当副社長として三島工場への赴任となりました。

井川高雄氏は、もう社長でも会長でもなく、単に顧問という役職でしたが、人事異動を始め、会社の運営状況を逐一報告させて、影の支配者として君臨する存在でした。

9.16事件が判明するまで、ある一部の者しか知らず、私も事件後の報道で初めてその実態を知ったのが、子会社支配を通じて親会社の大王製紙をコントロールする支配構造でした。

井川高雄氏は、大王製紙が所有する子会社株式の割合以上に井川家(自分と意高氏)が大量に子会社株式を所有して、子会社支配を通じて上場会社である大王製紙の実質オーナーとしての地位を築くという天才的な支配構造を創り上げていました。

つまり顧問といっても、実質的な支配者だったのです。

新任の生産担当副社長と新任労務部長として、お互いに着任した早々のころは、一緒に工場の組織改定案や人事案をその陰の支配者である井川高雄顧問に報告へ行きました。

親子でありながら、随分意高氏は、顧問である父の高雄氏に緊張というのか高揚されるんだなと思う場面が何度もありました。

親子なんだからちょっと電話してくれたらいいのにと思うことでも「君から顧問へ報告しておいてくれ」ということがどんどん増えていき、一緒に報告に行くことは無くなっていきました。

着任早々は月曜から木曜日まで四国中央市の工場で勤務し、金曜から週末を東京で過ごして四国に戻ってきていた意高氏でしたが、着任から1年も経つと週に1日しか四国中央市の三島工場にはおらず、後は東京にいる状態が続くようになっていきました。

インフルエンサー井川意高氏を見ていればわかるように広い交友関係は東京に集中している訳ですし、どんどん生まれ故郷の四国が退屈になっていったのかもしれません。

「君らは、私が工場の設備のことなんか分からないだろうと思っているかもしれないが、入社して最初の部署が工務部だったし、海外出張で設備の技術的なことを学んでいるので、君らが想像している以上に実は詳しいんだよ。」と工場の部長連中を前に話をしていた意高氏でしたが、H&PC(ホーム&パーソナル事業)や原料調達のことなら高雄氏に負けはしないとの自負心はあったものの、工場運営に関しては高雄氏に一日の長がありました。

自信満々に見えた生産担当副社長の意高氏でしたが、ある時「親を親とも思わずに自分の意見を押し通して、好き勝手やってきた顧問のようなことを、私は顧問に対して真似できない。」と愚痴をこぼされたことがありました。

「自らは父を乗り越えられない」という微妙な心情を感じさせる意高氏の弱気な一面を見た気がしました。

仕事の上で言いたいことがあっても言えない親子関係、親子であっても社員同様に怒鳴りつけられる、説教を受ける、そんなストレスや、そんな微妙な関係が、きっと事件の遠因として心に影を落とし続けていたのかもしれません。その始まりが平成14年7月の生産担当就任だったように感じています。


次回からは、そんな微妙な親子関係を感じた出来事を思い出して、親子に隙間風が吹き始めた要因を探ってみたいと思います。

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