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【熔ける前の井川意高物語】#14:ギャンブルにのめり込み始めた社長時代

井川意高氏は現在、インフルエンサーとして活躍されていますが、かつては大王製紙の社長を務め、カジノで106億円もの巨額を失い、特別背任の罪で懲役4年の実刑判決を受けたことで広く知られています。

一方で、その父であり、「大王製紙の中興の祖」と称されながらも、その功績が十分に世に知られていないのが井川高雄氏です。

井川親子と共に仕事をするという貴重な経験を持つ私だからこそ、彼らとの思い出を振り返りながら、なぜあのような事件が起きたのかについて、冷静に考察してみたいと思います。


🌳ギャンブルにのめり込んでいった時期

大王製紙株式会社元会長への貸付金問題に関する特別調査委員会の調査によれば、井川意高氏が子会社の代表者に指示して個人口座に送金させていたのは、2010年5月12日が最初とされています。

そこから2011年9月6日までのわずか1年4か月間で、貸付金額は106億8千万円にのぼり、利息を含む返済額を差し引いても、残額59億3千万円という多額が未返済であることが発覚しました。この巨額の送金が必要になるほど、どのような背景でギャンブルにのめり込んでいったのでしょうか?

井川意高氏が大人用紙おむつブランド「アテント」を買収し、2007年の株主総会後に大王製紙の社長に就任した際には、自らのリーダーシップを誇らしく感じていたに違いありません。

しかし、彼の社長在任期間の内、フルに1年間社長として采配したのは2008年度から2010年度までのわずか3期(3年)と短く、十分に手腕を発揮できたかというと、この時期は大変な時でした。

まずは、2008年9月のリーマンショック、更にそれに続く日本経済の不安定期や2011年3月11日の東日本大震災を社長として経験するなど、経営トップとしての彼は常にストレスフルな状態だったと思います。

ただ、そのストレスは経済状況だけではなく、父親でありカリスマ的存在でもあった井川高雄氏による人事や経営への干渉にも起因していたと考えられます。

意高氏にとって、社長という会社のトップでありながらも自身の意見や采配が自由に通らないことは、計り知れないフラストレーションだったでしょう。この抑圧的な状況が、次第に彼を海外でのギャンブル依存へと追い立てていったのかもしれません。

🌳二重支配とガバナンスの欠如

井川意高氏が生産担当副社長として三島工場に赴任した後、彼の苦悩は始まりました。高雄氏は当時顧問の立場ではありましたが、三島工場の運営について高い見識を持ち、工場運営に多大な影響を与えていました。

意高氏が進めようとする改革案にも、高雄氏が容赦なく口を出し、まるで二重支配のような状況が続きました。

例えば、意高氏は、工場で3交代勤務をしてくれている操業員のことを大切に考えていました。人口減少が予見される未来の工場運営を考えた時に非常に重要な存在だと認識していたのです。

操業主任が主任を退く時に現場の操業員からも尊敬されていた優秀な主任には「※マイスター」の称号を与えて、他の操業員とは、全く違う種類のヘルメットや制服を支給して現場で一目でそれと分かる特別な存在(アドバイザー)を創り出そうとしていました。主任を退いた後もマイスターとして定年まで勤務してもらい、他の操業員の憧れの存在にすることを企画するように労務部に指示したことがありました。

残念ながら親子の確執からなのか、マイスター制度は立ち消えになってしまいましたが、20年経ってみると素晴らしい経営センスだったと思います。

マイスター (Meister)は、ドイツ語で「専門家や達人」を指す言葉です。その分野で熟練した技術や知識を持つ人物を指し、職人としての資格を持つ「マイスター制度」もドイツでは有名です。

せっかく若い生産担当副社長が新しいアイディアを具体化しようとしていた矢先に、お父さんの井川高雄氏は、工場の管理職をカンファレンスルームに集めて保全に関するレクチャー会が始まりました。

高雄氏自らが熱弁をふるうなど、生産担当副社長である意高氏を軽視しているかのようにも映るカリスマの言動を工場幹部は気にしなくてはなりませんでした。

高雄氏の意図としては、息子をフォローし、支える気持ちがあったのかもしれません。しかし、実際には工場の管理職たちにとっては、指揮命令系統が複雑化し、誰を頼りにすべきかが不透明になっていきました。

意高氏がどれだけ目標や方針を打ち出しても、それを現場が一体となって受け入れる前に、高雄氏からの指示が介入してしまう――そのような状況では、現場の士気も低下します。

当初は意欲的に工場の現場に足を運んでいた意高氏も、次第に現場から離れるようになり、1年後には週に1日のみの四国滞在がパターンとなりました。やがて新たなポストが任命されて2年も経たない内に東京に戻っていきました

彼にとっては、「そうじゃないだろう」と横やりを入れてくる父親の存在という大きな壁が前を塞ぎ、次第に意高氏と高雄氏の間に「隙間風」を生じさせていったのだと思います。

この溝は、意高氏が社長に就任した際に決定的なものとなり、その後の会社をも揺るがす事件の一因となっていったと私は分析しています。

🌳ガバナンス不全とその代償

コーポレートガバナンスとは、企業が健全に運営されるための管理体制や統制の仕組みを指します。大王製紙では、意高氏が社長でありながらも自由に采配を振るえないというガバナンスの欠如が、組織体制に深刻な影響を及ぼしていきました。

結果的に、意高氏は自らの意見に従順な人材を自身が代表取締役である子会社に配置し、無条件で自分に従う部下を身近に集めることで、自分が望む体制を作り出そうとしていたのかもしれません。

実際、彼が「私の口座に1億円を直ちに送金してくれ」と指示した際、反論することなく、何に使うお金かを聞く事すらせずに、それを実行してくれる部下が配置されていた訳で、子会社人事においては高雄氏の意向だけでなく、意高氏自身の意向がかなり強く影響していたことを物語っています。

子会社幹部の不正を許容する体質(意高氏が不正をするハズがないと思いこむバイアス)を背景に、意高氏の法的責任へとつながる行動を統制手続きを無視して許容してしまった事件は、結果的に、親子の確執が生んだものだったのかもしれません。

そして、井川高雄氏は、人を見る目があった人物でしたが、意高氏もまた、その才能を皮肉にも不正に加担してくれる人材を見抜く目利きに使ってしまったのかもしれません。

🌳もしも井川意高氏に任せていたら?

たらればの話ではありますが、もし意高氏にもっと経営の裁量権が与えられ、父親の介入が少なければ、彼がギャンブル依存に陥ることもなかったかもしれません。

週末ごとにシンガポールへ飛び、月曜の朝に戻ってくるような生活に追い込まれることもなく、より健全な形で経営に向き合っていた可能性があります。

意高氏は父親譲りの洞察力や観察眼を持っており、周囲の人材をよく見極めていました。しかし、その観察力が裏目に出てしまい、自己利益のために人を選び、彼に逆らわない人物を子会社代表者に配置したことが、最終的には彼の破滅を招く一因になったのかもしれません。

この皮肉な結末こそが、大王製紙のガバナンス不全を象徴していたのではないでしょうか。


いよいよ9.16事件の本質的な問題分析に入ってきました。
次回は、井川高雄氏と意高・高博兄弟のそれぞれの特徴を振り返って結びに入っていきましょう。

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