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【36歳からの人生の作り方】#17 都会の魔力に飲み込まれたわたし。それは、崩壊へのカウントダウンだった

note創作大賞2026 オールカテゴリ部門 応募作品

36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。

それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。

そして、36歳で離婚し、39歳で9歳年下の男性と再婚した。

36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。

今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。

この冒頭から始まる記事も、今回で17本目となる。

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10秒で読める「前回までの話」

20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座が縁で決まった「ひよこ企画」は、離婚と同時に頓挫したが、代わりに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくデビュー。

フリーのイラストレーターとなったわたしは「イエローモンキー好き」「美術館好き」の9歳年下男子Yと39歳で結婚。順調に見えた結婚生活には、大きな試練が待ち受けていた。

結婚イベントのイラスト

ひよこブログふたたび


わたしには、何かがうまく行かないと、その穴を埋めるように別のことへ全力疾走する癖があった。

イラストの仕事は来ない。
絵本の企画も通らない。
現実を見れば、成果なんて何ひとつ出ていなかった。

それでも—— その事実が、まるで他人事のように思えるほど、わたしは浮き足だっていた。

「ひよこブログ」の人気が出て、現実的に「書籍化」が近づいてきたからだ。書籍化を検討してくれる出版社も現れた。

このときには、手ごたえがあった。「ファン」がついたのだ。 ランキングの順位も悪くなかったし、コメントもついた。展示をすれば、わたしに会いに来てくれる人が何人もいた。 その光景が、わたしの心をふわりと持ち上げ「浮かれさせて」ていたのだ。

でも、やっぱり簡単に行くわけがなかった。 今回も企画は静かに立ち消えになった。

コミックエッセイを扱わない児童書の編集さんが、漫画の出版社を紹介してくれたりもした。それでも、『ひよこだがね』は世に出ることはなかった。

なぜなのか?自分なりに分析してみた。わたしの漫画には、良くも悪くも“毒”がない。 パンチも足りない。そのせいかもしれない。

わたしはついに、かつて救われたブログにも行き詰まってしまったのだ。

その瞬間、胸の奥が少しだけ沈んだ。 でも、それもほんの一瞬だった。

だって、わたしにはまだ「次の切り札」があったからだ。


帽子作家への道


それが、趣味で習い始めた「帽子」だった。

帽子を仕事にするつもりなんてなかったのに、 気づけば先生の助手をして、 展示では帽子を販売するようになっていた。

わたしが特別技術的に優れていたわけではない。ただ、わたしは「帽子への愛」だけは大抵の人に負けなかったと思う。

そして、わたしには「パトロン」が現れた。 ブログ読者のMさんだ。

彼女は華やかな経歴を持つ女性で、 わたしの帽子を気に入り、 プレゼントをくれたり、食事をごちそうしてくれたり、 展示の最終日には残った帽子を全部買い取ってくれたりした。

そのたびに、胸の奥がふわりと浮いた。

——わたし、もしかして、いけるんじゃない?

そんな甘い予感が、 じわじわと心の中に広がっていった。

でも、パトロンという存在は、 甘いだけではなかった。

距離が近づくほど、 彼女はわたしのプライベートにまで口を出すようになり、自身の恋愛がうまくいかなくなると、 わたしのブログからも離れていった。

そのとき初めて、 胸の奥に小さな穴が開いた気がした。


東京という街の「魔力」


2010年、浮き足だったまま1年が過ぎた。相変わらず仕事はなかったけれど、なにかが起こりそうな予感で、 毎日がきらきらして見えた。

着物に帽子という出立ちで街を闊歩し、著名人が集まる交流会でグラスを傾ける。

今思えば、東京はファンタジーではなく、残酷な「魔物」が棲む街だった。

何者でもなかった私に、「自分は特別な人間ではないか」という毒入りの林檎を齧らせ、心地よく勘違いさせてしまう。

そんな魔力が、あの街にはあったのだ。


オット、倒れる


その頃、オットは仕事や持病のことで悩みを抱えていた。彼にとって不安でしかなかったときに、妻であるわたしは何も気づかず、働きもせずに浮かれていた。たまの展示での帽子の販売など、家計の足しにもならない。

2011年、年が明けた頃から、あんなに働き者だったオットが、会社を休みがちになった。

もしや悪い病気?死んじゃったりしたらどうしよう…不安になったわたしに彼が言ったのは、意外な理由だった。

「心配かけてごめんね。僕、脱ステしてるんだ」

脱ステ――そのその言葉の意味を、当時のわたしはまだ知らなかった。


闘病生活のはじまり


彼はかなり重症のアトピー性皮膚炎患者だった。

脱ステとは「脱ステロイド(※)」の略で、アトピーの標準治療であるステロイド治療を中止し、別の方法で治療することを指す。

(※ステロイドには賛否両論があり、長期使用に不安を感じて脱ステに踏み切る患者は少なくありません。センシティブな問題のため、ここではステロイドを悪として糾弾する意図がないことだけ明言しておきます)

当時のわたしには、アトピー性皮膚炎について「皮膚に湿疹ができてかゆくなる病気」くらいの知識しかなかった。

でも、アトピーはそんなに簡単な病気ではない。最重症のケースでは、通常の生活を送ることすら困難になる。

のちにわたしは、アトピー治療とは、人の尊厳を、体温を、そして平穏な日常を根こそぎ奪い去る、底なしの沼だと知ることになる。


時を脱ステについて告白された日に戻そう。

彼はわたしに自分の病気について打ち明けると、ガタガタと震えはじめた。 布団を何枚重ねても、彼は「寒い、寒い」と呻き、崩れ落ちるように寝込んでしまった。

運命の3月11日


こうして、私たちの人生最大の試練——アトピーとの絶望的な戦いが、幕を開けた。

でももしかすると、最大の試練こそが、最大のチャンスを連れてくるものなのかもしれない。

このどん底の暗闇こそが、わたしに「本当の喜び」を授けてくれることになるとは、この時のわたしはまだ、露ほども知らなかったのである。

オットという個人の世界が崩れ始めたあの日から、わずか2ヶ月。
今度は、わたしたちが立っている地面そのものが、音を立てて崩れ始めることになる。

2011年3月11日。
その日が、わたしたちの運命を完全に「あの日以前」と「あの日以後」に引き裂いた。


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このシリーズをまとめたマガジンです。


当時のアトピー治療についての詳細は本になっています。コミックエッセイなので読みやすいと好評です。

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陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。