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【36歳からの人生の作り方】#16 忍び寄る”不穏”の気配。幸せすぎて忘れていた、一番大切なこと

note創作大賞2026 オールカテゴリ部門 応募作品

36歳まで、わたしは「趣味で絵を描いていた専業主婦」に過ぎなかった。

それがイラストレーターになり、46歳で漫画家になり、51歳でインタビューライターになった。気づけば4冊の本を出し、NHKで教え新聞やテレビ媒体でコラムを書くまでになったのだ。

36歳の自分に20年後の自分の話をしても、おそらく信じないだろう。

今までわたしが心がけてきたこと、やってきたこと、やらなかったことを、少しずつ書いていきたいと思う。

この冒頭から始まる記事も、今回で16本目となる。

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10秒で読める「前回までの話」

20年前、趣味で絵を描いていた専業主婦のわたし。ライター講座が縁で決まった「ひよこ企画」は、離婚と同時に頓挫したが、代わりに『仏像ぬり絵』の著者として華々しくデビュー。

フリーのイラストレーターとなり、営業に試行錯誤。「イエローモンキー好き」「美術館好き」の9歳年下男子Yと出会い、39歳の誕生日を迎えた。

2008年に見た忘れられない桜の一つ。蘆花恒春園の「高遠小彼岸桜」と菜の花


手羽先は泣き笑いの味


わたしの話を聞いたYは、きっぱりとこう言った。

「ウチの親はそんなこと言わないよ。それに、そんなこと絶対に言わせない」

よく考えれば、わたしはまだ彼から「結婚しよう」と言われていない。それなのに「あなたのご両親に結婚を反対されるかもしれない」と訴えて泣いているのである。

それなのにあきれることも怒ることもなく「言わせない」と言ってくれたYよ、あなたは神ですか。

それに彼の言葉は、遠回しに「結婚について考えている」と言っているようなものである。何も考えてなかったら「気が早いよ」の一言で終わっていただろう。

(そうか、彼も同じ気持ちで、心配することはなかったんだ)

ほっとすると、すごくお腹がすいていることに気づき、2人で手羽先にかぶりついた。気恥ずかしくて、おかしくもないのに笑ってしまった。そんなわたしを見てYは「笑ってくれてよかった」と笑顔を見せた。

その夜、無事にYからプロポーズされたのだった。


鳥愛とりLOVE炸裂のウェディング事情


さて、ここまで2005年から2008年にかけての出来事をのんびりと描いてきたが、ここからはやや駆け足で進むことにする。

2008年7月7日に無事結婚。出会ってから8カ月のスピード婚だったが、プロポーズ以降も結婚後も、トラブルなく過ぎていった。


鳥のウェディングお帽子

ひとつ書き忘れていたのは、わたしがその春から帽子の学校に通い始めたこと。

わたしは帽子が好きで、洋服はプチプラなのに帽子は服の3〜5倍の値段、なんてことがよくあった。そんなわたしは、一人暮らしをしていたマンションから徒歩10分の場所に帽子の学校があることを知り、すぐに通い始めた。

タイミングよくわたしは、自分のウェディングの帽子を制作できたのだ。

鳥の刺繍もオリジナル


結婚式はしなかった。義両親とわたしの母(父は他界)とわたしたちの5人で写真館で記念撮影して、都内で食事をして終了。


世界一美しい鳥を見る旅

その分、新婚旅行だけは贅沢しよう!ということになった。『水曜どうでしょう』信奉者の道産子・Yと、無類の鳥好きのわたしが結婚するとどうなるか。

新婚旅行先は『水曜どうでしょう』のロケ地の一つで、「世界一美しい鳥」が住むコスタリカ一択なのである。

コスタリカ旅行は素晴らしかった。食事は美味しく景色は素晴らしく、なんといっても世界一美しい鳥・ケツァールが見られた!

これがケツァール。手塚治虫の漫画『火の鳥』のモデルだといわれている
左がオス、右がメス


ケーキになったわたしたち


結婚式はなかったが、2人が知り合うきっかけとなったクリエイター集団Aのメンバーたちがお祝いしてくれた。

当日は新宿ロフトプラスワンで『ふせん大喜利』というイベントがおこなわれた。わたしたちは普通に参加していたのだが、いきなり壇上に上げられて祝われたのだった。

オリジナルケーキまで作ってくれて!これはかなり感激した。

ちなみに元はこのイラストである。黒いひよこのモデルはY、黄色いのはわたし。我ながらよく似ておる。

この日のイベントは参加者が数百人いて、そのうち半分くらいは仲間だったが、残り半分はネットの告知を見てやってきた人たちだった。つまり、全然知らん2人の結婚を祝う羽目になったわけで、さぞかし「誰やねん」と突っ込まれていたことと思う。


絵本・帽子・ブログに没頭する日々


その後わたしは、どっぷり主婦生活に浸っていった。Yあらためオットの「ひよこちゃんの好きなことをしてほしい」という言葉にすっかり甘えて、本当に好きなことをしていたのだ。

イラストの仕事がまったくないわけではなかった。けれど、展示やワークショップなど、出ていくお金の方が断然多かった。それらは自分の貯金で賄ったため、残高は目に見えてさびしくなっていった。

のちに、わたしはある本を書いて、それを読んだ方たちからは「なんていい奥さん♡」と賞賛を浴びることになる。だが当時の自分を振り返ると、申し訳ない気持ちになる。結婚して2年半までのわたしは本当に悪妻だった。

毎日お弁当と夕飯をつくってはいたが、あとは家事もそこそこで、帽子づくりと絵本づくりに没頭していた。

当時通っていた絵本塾の卒業展示。やっぱりひよこ!

さらに2009年、ここにブログが加わる。当時Amebaで漫画を連載すれば書籍化できる可能性が高いという情報を絵本仲間から得て、新装リニューアルした『ひよこ日記』を描き始めたのだ。

今度は「名古屋弁でしゃべる名古屋コーチンのひよこ」が主人公と「道産子のウコッケイ」というパートナーの結婚生活を描くことにした。もちろん、モデルはわたしとオットである

まだ当時はアラフォーだったのね!40になったばかりだったもんな

ブログへの没頭はとりわけすさまじく、1日3本の4コマ漫画を描いたりしていた。「新聞よりスゴイ!」と自画自賛していたが、まったく収入になっていないのだからえらそうなことは言えない。

ダーリンというのがYのこと。痛すぎる…

そして、残業して帰宅したオットの「ただいま~」という声で我に返り「ごめん!ご飯できてない!」と謝ったことは一度や二度ではなかった。そんなダメ嫁なのに、オットはいつも笑顔で受け止めてくれた。「じゃ、どこかに食べに行きますか」

最初こそ「なんてやさしい」と感動したが、繰り返されるうちに、そんな会話も当たり前になっていった。当然だが相手の思いやりは「当たり前」ではない。そのことをわたしは忘れていた。


既視感の結婚生活


当時は気づいていなかったが、この生活には既視感があった。経済的に夫に依存して好きなことをしていたという点では、まさに前の結婚生活と同じである。

ただ違うのは、前の結婚生活が孤独の中にあったのに対して、今度はたくさんの仲間がいたことだ。絵本、帽子、ブログそれぞれに仲間がいた。そして何でも話せるオットというかけがえのない味方までいた。

当然、結婚生活には何の不満もなかった。「わたしはなんて幸せなんだろう」と涙ぐむことすらあった。

でも、幸せの涙に酔いしれていたわたしは、その足元が誰の献身で支えられているかについて深く考えようとはしなかったのだ。

もちろん、彼に感謝はしていたつもりだった。けれど、毎日「ありがとう」と口にしながら、その言葉のなんと軽かったことか。

当時のわたしの幸せは、SEの激務を文句ひとつ言わずにこなし続けたオットの犠牲の上に成り立っていた。

そのことを忘れかけていたわたしに、罰が当たったのだろう。わたしたちにはこのあと、結婚生活最大の危機が訪れるのである。

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結婚してから、こんなはずじゃなかった…と後悔しないために。あるいは今、結婚生活に悩む人のためのnoteをまとめたマガジン


このシリーズをまとめたマガジンです。


コスタリカ旅行については、このnoteに旅行記を書いている。『水曜どうでしょう』ファンを中心に、意外と多くの方に読んでいただいた。


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陽菜ひよ子 / インタビューライター&イラストレーター もし、この記事を読んで「面白い」「役に立った」と感じたら、ぜひサポートをお願い致します。頂いたご支援は、今後もこのような記事を書くために、大切に使わせていただきます。