何をやっても続かなかった自分が、読んでよかったnote記録①
noteの面白さは、
色々な人の記事や投稿を読むことで様々な発見があることです。
今まで私は自分の記事だけを見つめて、精いっぱい書いてきました。
でも、noteをやっていくうえで大事なのは、
フォロワーさんや読んでくれる人と交流を深めて、
人生をより良く、豊かにするツールにしていくことだと考えています。
ということで、
私が読ませていただいたnoteをシリーズとして記事にしていきたいと思います。
読んだ自分の感想や感じたことをまとめて、自分自身の思考の整理にもなると考えているからです。
正直言うと…
読んだ記事すべてに学びがある!
みなさんのnoteクオリティが凄い!参考になる!
自分自身にとって有益なモノばかりです。
私の記事を見て、ぜひ色々な記事に触れるきっかけになるといいなと思います。最後までぜひご覧ください。
100本の記事を書いて、わかったこと
100本の記事を書いて、わかったこと
作者:夏子さん
まず、100本書くことを達成できた夏子さんに拍手!
すごいなぁ…とシンプルに感じています。
結局楽しく書くのが一番で、数字とか収益とかそんなこと考えずに自由に言葉を連ねるのが楽しい、という初心にかえることができた。
自由に言葉を考えて書くのが楽しい!というのが共感できます!
わたしもnoteを毎日楽しく書けています。そして、noteを続けられるのはフォロワーさんや読んでくれる人、スキしてくれる人がいるからです。
踏切の音に怯える。散歩の記録
踏切の音に怯える。散歩の記録
作者:カミノリトさん
踏切の音と人間関係は似ている…
たしかにそうだなぁと考えさせられました。
人から出る声や、物音で何かを察知できることありますよね。
いまは近寄ってほしくない、助けてほしい…
音で判断できることって多々ありますよね。
とてもシンプルで短い文章で表現できるの凄いな!と思いました。
とても参考になりました!
空があまりにも綺麗だったから
空があまりにも綺麗だったから
作者:そらのゆるっと思考ログさん
とても美しいサムネイルです。
これは外を歩いて空を見上げなければ得られない景色です。
わたしもよく散歩とかランニングしますが、
外の景色を見ると気分って結構変わるんですよね!
朝の空はすごい幻想的で、毎日違う。
自然からしか得られないパワーってありますよね!
ということで、私も今から散歩します!
美容院
美容院
作者:うてなさん
美容院で髪型が思い通りにならなかった経験。
画像だけでは伝わらない大切な要素がたくさんあるのだと感じます。
わたしもたまに思い通りの髪形にならないことがあります笑
なんて説明すればいいんだろ…って毎度悩みます!
また、美容師さんとの相性や、話しやすい空間づくりも仕上がりに関わるのだと気づきました。
この記事を見て、次は自分に合う環境を意識して選んでみたいと思いました。
アンザック・デーの生卵とハンバーガー
アンザック・デーの生卵とハンバーガー
作者:桃もめんさん
とてもいい記事…学びが凄いある…
今まで自分が触れてこなかったジャンルなので、とても新鮮です。
アンザック・デーという日が、ただの祝日ではなく、戦争で命を落とした人々への深い敬意と感謝から成り立っていることを知りました。
街の明るい雰囲気の裏に、歴史の重みが確かに息づいているのだと思いました。また、日本人として複雑な歴史に触れ、驚きや戸惑いを感じつつも、今のオーストラリアの人々の温かさに救われる場面が印象的でした。
嫌な出来事があっても、それ以上に「この国が好きだ」と思える経験が積み重なっていくことが、とても素敵です。
こういう記事をいつか自分も書けるようになりたいな…
10センチの弁当箱で、自分を回収している(自己紹介エッセイ)
10センチの弁当箱で、自分を回収している(自己紹介エッセイ)
作者:小麦粉舐め太郎(弁当とエッセイ)さん
お弁当作りとものづくりの仕事について書かれています。
わたしもものづくりの仕事をしていますが、とても共感できる部分が多く何度も見させて頂きました。
帰りの電車の窓に映る顔が、自分のものなのに、少しだけ会社の所有物みたいに見える日がある。
会議の中ですり減って、棚に収まりやすく、交換もしやすい形に変わっていた。
とても共感できる記事の一部分の引用です。
「仕事の中で少しずつ失われていく“自分らしさ”を、10センチの弁当箱の中で回収している」と私は考えました。
仕事をすると、ついつい自分を失いがちです。
自分の考えたアイデア、作戦がいくつものフィルター(会議など)によって取り除かれることって多々あります。
自分はいったい何なのだろう…
そんなマイナスな気持ちも出てくる中で、自分らしさを出す機会を作る事って忘れちゃいけない!って思いました。
弁当づくりは節約でも丁寧な暮らしでもなく、静かな自己回復の儀式なのだと気づかされる記事でした。
