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縦からと横からの層がある四天王寺

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 縦からは歴史の重み、
 横からは距離の厚み。

2025年5月15日
(文字数:約3000文字)



河内と九州から見た遠さ

  大阪府に住んでいても、
  大阪市に住んでいなければ、
  それほど身近には感じられない場所、

  四天王寺。

  まして大阪府民とは言え、
  先祖は和歌山県の高野山民である、
  生まれながらの河内者にとっては、

  同じ聖徳太子が築いたとされるものでも、
  法隆寺より四天王寺よりも、
  竹内街道に対する愛着の方が強い。

  更に私は九州の中でも、
  西の最果ての僻地出身。

  お大師様の事すら、
  ことわざに出てくるお坊さん、
  (すごく書が上手かったらしい)
  程度にしか知らず、

  聖徳太子のお札も、
  ギリギリ目にしていない世代、
  ともなれば、

  一生涯に二、三回くらいは、
  旅行で行けるかもしれない程度の、
  本州の歴史というものは、
  
  外国の歴史と変わりがない。

  重要な実感と思われるので繰り返す。
  外国の歴史と変わりがない。


大阪府に移り住んでなんと20年目にして

  そんなわけで一度は見に行っていいよな、
  と思いつつも、

  優先度は低めに設定されたまま、
  気が付けば20年が過ぎていたのだが、

  昨年あたりから、
  中山市朗先生のYouTubeや、
  北御堂での怪談会に参加するなどして、

  私の中で今聖徳太子が、
  徐々にしかし確実にアツくなっており、

  先日わりとご近所に住んでいた、
  千世さんにもお会いして、↓

  「大阪に住んでいる者として、
   四天王寺と住吉大社は基本やで!」
  と言われてしまったからには、
  (しかも歴史マニアなら尚更だろう)

  聖徳太子の縁日である、
  22日目掛けて行こうじゃないか。

  (前置きの時点で800字になった。
   さあ書きたいところまで書き切れるか?)


JR天王寺駅周辺の地名の由来

  だというのにやはり、
  帰ってから家の近所の若者に話しても、
  「四天王寺」の名前すら知らなかったよ。

  私も数回ふらりと迷い込んだ事ならあるけど、
  天王寺駅を出てさあ、
  どっちの方角にどれだけ進めば良いのやら。

  あまりの心細さに一度、
  「四天王寺 →」の表示があった地下道に、
  降りてたたただ通り抜けて出てしまった。
  そのまま地上を歩いて良かった。

  石の鳥居で一礼して、
  極楽門から入る。

  ほぼ初めて中に入ったから素で言う。
  めちゃくちゃに広い。

  うん。私は確実に、
  迷う!

  なので門近くにあった、
  観光ボランティアさんのテントに寄って、
  境内地図を頂く。


だって中心伽藍が無料開放だよ♪

  どうして聖徳太子の縁日、
  毎月の22日に来たかったかって、

  見出し写真に使わせてもらった、
  五重の塔を中心にして回廊で囲われたエリアが、
  無料で入り放題♪

  もちろん私はどの寺社でも、
  お賽銭に、
  ロウソク二本を立てる事にしているが。

  初めて観るから素で言うが、
  金堂ものすごい。

  仏教がまだこの国に精神的に根付く前の、
  外国から来た途方もなく有難いものだった時代の、
  平安・鎌倉以降の寺社を見慣れた目からは、
  キリスト教会とか儒教・道教の廟に近い印象だ。

  聖徳太子に似せて造られたと伝わる、
  救世ぐぜ観音の四方を守る、
  四天王像の中でも私は、
  もちろん広目天がお気に入りだ。
  なんでかって筆持って文章書いてるから。

  しかもこの金堂で、
  毎日、
  毎日(!)
  舎利出しゃりだしやってんだって♪

  釈迦の遺骨を取り出して供養する、
  その様子もタイミング良く見れちゃったもん♪

  詳しい方には常識なんだろうけどさ。
  何せ初めて知るから舞い上がっちゃうよ♪


そして五重の塔に登れるんだよ♪

  毎月22日は、
  五重の塔も開放されてて、
  登ることが出来るってあったからさ。

  それは登ってみたいよね。
  頂上はどんな景色なんだろう。

  って正直息を切らしながら登ったら、
  窓はめ殺しで、
  外の景色なんかほとんど見えなかったが、

  外国人観光客はもちろん、
  日本人観光客もガッカリって感じで、
  登ったそのまま降りて行ったが、

  頂上には、
  舎利塔が、
  あるんだよ♪

  正直ここの五重の塔は、
  この舎利塔を守るがための場所だよ♪

  そんなものに何の価値があるのって、
  おいおい♪

  聖徳太子御自らの手で、
  仏舎利を入れたとされる舎利塔だよ♪

  嘘でしょそんなの、とか、
  釈迦の骨どんだけ多いの、とか、
  聖徳太子って最新の研究じゃ
  実在していないんだよね、とか、

  ……だまらっしゃいなのよ!

  自らは信じなくとも良い。
  そうと信じられ守られ続けてきた、

  長年の、
  庶民も含めた、
  信者たちの心意気に、
  萌え萌えキュンなんだ私は!

  民草の心を侮るなかれなんだ!


絵堂を探して守屋

  毎月22日には、
  聖徳太子の生涯を描いた襖絵が収蔵された、
  絵堂も開放されると聞いていたが、

  その絵堂はどこにあるんだろう。

  地図をもらっておいて良かったと、
  聖霊廟太子殿に向かって、
  まずはロウソクを上げてから、
  さて、

  絵堂への行き方が分からない。

  庭の方に道が出来ているようだが?
  立ち入り禁止ではなさそうだな?
  とそろそろ小道を歩いてみて、

  物部もののべの 守屋もりやの祠を発見!

  テンション(・∀・*)ぶち上げ

  なんでーーー?
  なんで守屋がここにいるのーーーー?

  知ってるよ私飛鳥時代の中では、
  守屋が一番大好きなんだけど、
  貴方聖徳太子と蘇我氏に討たれて、
  亡くなった方だよねーーーーーー?

  敵に対しても祠を設けて祀るなんて、
  聖徳太子ったらなんてお心が広い⭐︎

  ……じゃ、ないよねっ。

  この私は、
  だからこその、
  歴史マニアなんだけども、

  飛鳥時代ってまだまだ謎に、
  満ち満ち満ちあふれてるよねっ♪

  ところで絵堂はその先にあったよ。
  太子殿の真裏側に入り口があったよ。
  絵の中でもやっぱり守屋、
  聖徳太子に矢を射込まれて落馬落命してたよ。

  (めちゃくちゃ面白かったので、
   私は時間をかけてじっくり観ましたけども、
   解説も頂けますので興味を持った方は、
   ぜひそれぞれに鑑賞して下さい。)


実は4月の22日だった

  なぜ毎月22日かと言えば、
  聖徳太子の月命日であるからなのだが、

  実は私が訪れた、
  4月22日こそが、
  命日の当日であり、

  中心伽藍より北にある、
  六時堂前で、
  年に一度の盛大な、
  聖霊会しょうりょうえが執り行われる日であった。

  もちろん私も知ってはいて、
  ついでにちょろっと覗けたらいいな、
  くらいには思っていたんだが、

  ついでにちょろっと覗く程度で済まない、
  本気の法要に舞楽が、
  みっちり五時間は続くとの事だったので、

  うん。“(・∀・)また来年気合い入れて来よう

  石の鳥居近くの、
  蕎麦屋「煩悩のかたまり」でお昼食べて、

  やはりいらしていた千世さんに挨拶して、

  それでもこれだけは観ておきたかった、
  舞楽演目の「蘇利古そりこ」だけ観て、
  ソリコは(@▲@)厄払い

  今年は帰る事にした。
  (それでも3000字になっちゃったね)


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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岡埜 由木古(偏光) 何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!